【富士山を両側から登った電車】JR東海371系【青から赤へ華麗な転身】
2017年9月24日 更新

【富士山を両側から登った電車】JR東海371系【青から赤へ華麗な転身】

日本が世界に誇る観光地・伊豆、箱根、富士の観光客の輸送のため、小田急とJR東海が協力して運行した、新宿から小田急線・御殿場線経由で沼津へ走らせた特急「あさぎり」号。両社とも新車を製造して投入するなど、非常に力を入れたプロジェクトでした。JR東海がこのために造った「371系」は、世界に1編成しかない貴重な存在。あさぎり号を引退した371系は今どこに?

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371系の基本要素。

371系電車(371けいでんしゃ)は、かつて東海旅客鉄道(JR東海)で運用されていた特急形直流電車である。
御殿場線と小田急電鉄小田原線を相互直通運転するために登場した車両で、JR東海となってから初めて新造された在来線用特急形電車である。7両固定編成×1編成のみが製造され、当時の通商産業省より1991年度グッドデザイン商品に選定された。

東海道新幹線100系

100系新幹線

100系新幹線

出典:裏辺研究所 さまより借用

371系 JR東海

JR東海 371系

JR東海 371系

東海道新幹線に「のぞみ」用300系ができたのが1992年なので、371系の登場(1991年)当時最新型の新幹線は100系。その一番の花形電車にデザインがそっくり。
いかにJR東海がこの371系に期待していたかがわかるというものです。

特急「あさぎり」の歴史のおさらい。

1955年に小田急から国鉄御殿場線への直通列車として、新宿駅と御殿場駅を結ぶ特別準急2往復の運行が開始されたのが始まりです。その後小田急線内を特急、国鉄線内は「急行」として運転されました。
1991年3月16日からは御殿場線内のJR区間も特急列車に格上げされました。
片乗り入れという形ではあるがJR東海に直通運転をしているため、関東の大手私鉄の特急列車では唯一JR東日本以外のJRに乗り入れる列車となっています。

その構想の歴史は古く、小田急線と御殿場線を結ぶという発想は、第二次世界大戦中に国鉄東海道本線が爆撃を受けた際に迂回路線として活用するという構想に遡ります。
(wikipediaより引用、編集)

実現された当初は「準急」から始まり、小田急はこのルートに並々ならぬ力を入れ、蒸気機関車主流の時代に専用のディーゼルカーを造ります。当時御殿場線は電化されていなかったので、せっかく既に電化されていた小田急線内をディーゼルカーで通してでも、このルートを作りたかったのです。
御殿場線の電化が完成すると、あの超名車が登場します。

新幹線0系のもとにもなった超名車「小田急3000系」

小田急3000系急行「あさぎり」号

小田急3000系急行「あさぎり」号

小田急線内は特急として運用。
出典:裏辺研究所 さまより借用させていただきました。

箱根をめぐる企業グループの競争。

乙女峠のある箱根の山頂を境に、箱根は2つの企業グループの観光客の取り合いとなりました。
東側が小田急グループ(新宿ー小田原ー箱根湯本ー強羅ー桃源台)、西側が西武グループ(伊豆箱根鉄道)に大きく分かれます。
なお似たようなケースとして、伊豆に関しては、東側の鉄道が東急グループの伊豆急行、バスは小田急グループの東海自動車に大きく分かれます。西側はやはり西武グループの伊豆箱根鉄道が勢力を伸ばしています。

小田急は箱根の西側からのルートをなんとか開拓できないか考え、また、伊豆の西側の勢力を広げるために、箱根の西の玄関口:御殿場止まりだった「あさぎり」を、西伊豆の観光の拠点「沼津」まで伸ばそうとしました。
そこでJR東海とタッグを組み、1991年、JR東海は371系を、小田急は20000系ロマンスカーを新しく造り、「急行」だったあさぎりを「特急」としてリニューアルします。
小田急「あさぎり」用20000形電車

小田急「あさぎり」用20000形電車

出典:裏辺研究所 さまより借用させていただきました。
JR東海 371系

JR東海 371系

出典:裏辺研究所 さまより借用させていただきました。
小田急20000形、JR東海371系、両車ともに編成の中ほどが、「ダブルデッカー」になっていることがおわかりいただけるかと思います。
まさに「観光電車仕様」ですね。

ダブルデッカーの先輩、伊豆観光用JR東日本「251系」

JR東日本 伊豆への電車「251系」。

JR東日本 伊豆への電車「251系」。

出典:裏辺研究所 さまより借用させていただきました。

新幹線100系もダブルデッカー。

新幹線100系のダブルデッカー。

新幹線100系のダブルデッカー。

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