そしてついに自分の腕を奪った宿敵、沖縄空手の二谷太郎と弟子との対決!
via 「片腕ドラゴン」コレクターズ・エディション より
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自分もボロボロになりながら、ついに宿敵二谷の右腕を叩き落したティエン・ロン!
via 「片腕ドラゴン」コレクターズ・エディション より
最後に
92分という短い上映時間の中に、これでもか!とばかりにアクションシーンを詰め込んだ、文字通りサービス精神の固まりと言える本作。
登場人物の掘り下げや、細かい人間関係・ドラマ部分を極限まで省略し、強敵との対決シーンを優先させたその製作姿勢には、今見返しても素直に頭が下がる。
実は1974年2月に本作が公開されてから、4月に「ドラゴン危機一発」が公開されるまでの間に、同じく東和映画の配給で、「女片腕ドラゴン」という作品が公開されるはずだったことをご存知だろうか?
実際にポスターまで作成されていたのだが、結局劇場公開が中止になってしまったため、具体的にどういう作品が公開される予定だったのかは、未だに謎のままだ。
事実上、「燃えよドラゴン」に次ぐカンフー映画第二弾として公開され、見事にその引継ぎ役を果たした本作。もしも「片腕ドラゴン」が無ければ、カンフー映画ブームがより短命に終わったかも知れないことを考えると、ジミー・ウォング大先生が、日本の映画興行界に果たした役割は、極めて大きいと言える。
現在の三池崇史監督作品にも通じる、その「何でもアリ」のサービス精神こそ、実は我々が映画館に足を運ぶ、大きな理由なのかも知れない。
片腕を失くしても、なお復讐のために己の肉体と精神の限界を賭けて闘うジミー大先生の雄姿!
この「片腕ドラゴン」こそ、敢えて今ミドルエッジ世代に見て欲しい作品だと言えるだろう。
なお、このハンディキャップヒーロー映画の系譜は、7年後の1981年4月29日に東映系で公開される、不朽の名作にして最大の問題作「阿修羅・ミラクルカンフー」へと続くのだが、それはまた次の機会に紹介することにしよう。
登場人物の掘り下げや、細かい人間関係・ドラマ部分を極限まで省略し、強敵との対決シーンを優先させたその製作姿勢には、今見返しても素直に頭が下がる。
実は1974年2月に本作が公開されてから、4月に「ドラゴン危機一発」が公開されるまでの間に、同じく東和映画の配給で、「女片腕ドラゴン」という作品が公開されるはずだったことをご存知だろうか?
実際にポスターまで作成されていたのだが、結局劇場公開が中止になってしまったため、具体的にどういう作品が公開される予定だったのかは、未だに謎のままだ。
事実上、「燃えよドラゴン」に次ぐカンフー映画第二弾として公開され、見事にその引継ぎ役を果たした本作。もしも「片腕ドラゴン」が無ければ、カンフー映画ブームがより短命に終わったかも知れないことを考えると、ジミー・ウォング大先生が、日本の映画興行界に果たした役割は、極めて大きいと言える。
現在の三池崇史監督作品にも通じる、その「何でもアリ」のサービス精神こそ、実は我々が映画館に足を運ぶ、大きな理由なのかも知れない。
片腕を失くしても、なお復讐のために己の肉体と精神の限界を賭けて闘うジミー大先生の雄姿!
この「片腕ドラゴン」こそ、敢えて今ミドルエッジ世代に見て欲しい作品だと言えるだろう。
なお、このハンディキャップヒーロー映画の系譜は、7年後の1981年4月29日に東映系で公開される、不朽の名作にして最大の問題作「阿修羅・ミラクルカンフー」へと続くのだが、それはまた次の機会に紹介することにしよう。
ついに自身の右腕を奪った宿敵、沖縄空手の二谷太郎との一騎打ちを挑む。