2017年11月24日 更新
ペレやクライフも参戦していた、今はなき「北米サッカーリーグ」
現在、アメリカで「野球、バスケットボール、アメフトに続く第4のスポーツ」と言われているサッカー。その人気を生み出しているのは、1996年からスタートした「メジャーリーグサッカー」ですが、その原型となったのは、1967年~1984年で開催されていた「北米サッカーリーグ」でした。その軌跡を今回紹介していきます。
活況を呈するアメリカのメジャーリーグサッカー
メキシコの地で活躍を続ける本田圭佑。彼がACミランからパチューカへ移籍したのは、2017年夏のこと。それまで新天地の最有力候補に挙がったのが、アメリカのメジャーリーグサッカーでした。
本田圭佑
1996年に開幕した同リーグも、今年でもう22年目。サッカー不毛の地と呼ばれる米国において、当初こそ苦戦を強いられたものの、今では、カカやフランク・ランパード、スティーヴン・ジェラードにアンドレア・ピルロといったかつて強豪国の超一線級だったクラックを揃え、さながら開幕期のJリーグのような絢爛さを呈しています。
このメジャーリーグサッカーが創設される9年前。一つのプロサッカーリーグが終焉を迎えました。リーグの名前は、北米サッカーリーグ(NASL)。1967年から1984年にかけてアメリカ・カナダを横断して行われた同リーグは、MLSの基礎を築いたとして歴史にその名を残しています。
Jリーグ開幕期に華を添えたジーコ、北米サッカーリーグを盛り上げたペレ
1993年。開幕期のJリーグにおける目玉選手の一人といえば、ジーコです。「新たに発足するプロサッカークラブを中心とした街づくりを行う」という、当時日本サッカーリーグ2部だった住友金属工業蹴球団(現、鹿島アントラーズ)からのオファーに魅力を感じたこの元ブラジル代表は、引退宣言を撤回して来日を果たしました。
このジーコ同様、サッカー新興国における未成熟なプロサッカーリーグを盛り上げるべく現役復帰を果たしたのが、サッカーの王様、エドソン・アランテス・ド・ナシメントこと、ブラジル代表「10」番の系譜の起源・ペレです。
1967年からはじまった北米サッカーリーグ
1975年、当時34歳のペレは北米サッカーリーグのニューヨーク・コスモスへ移籍。もともとサッカー人気があまりなかった米国ですが、1966年、イングランドで開催されたFIFAワールドカップ・が全米中継されたことにより、サッカー熱が沸騰。このブームを受けて有力な資本家・ビジネスマンたちの中で、「サッカーを野球、バスケットボール、アメリカンフットボール、アイスホッケーに次ぐ第5のスポーツに」との機運が高まり、1967年からNASLが開催されるようになったというわけです。
イングランドワールドカップ
NASLの特徴は、欧州リーグのように秋⇒春開催ではなく、メジャーリーグと同じ春⇒秋開催なところ。そのため、世界各国の一流プレイヤーをレンタル移籍できるというメリットがあり、この利点は現在のメジャーリーグサッカーにも受け継がれています。
また、サッカー協会ではなく、ビジネスマン主導でつくられた同リーグは、FIFA公認ではない独自のルールが多数設定されることに。たとえば、ゴールから30メートルまでオフサイドなしにしたり、延長戦の際はゴール30メートルからドリブルして相手GKと1対1のPK合戦をしたり、アディショナルタイムをなしにしたり、独自の勝ち点方式を採用したりと、かなり、異色なものになっていました。
これにFIFAは強く反発し、「他国のチームとの交流を禁止する」などと制裁じみた措置をとろうとするも、あくまでも「アメリカ人が好む試合展開・ルール設定」にこだわっていたNASLは、断固として世界標準に合わせようとせず、結局、このオリジナルルールのままでいくこととなります。自身の正解を信じて疑わず、他からの助言に見向きもしないあたりが、なんともアメリカ的です。
クライフ、ベッケンバウアー、ジョージ・ベストも参加していた
ペレを皮切りとし同リーグには、世界各国のロートル化した超一流選手が集結。ヨハン・クライフ(ロサンゼルス・アズテックスなど)、フランツ・ベッケンバウアー(ニューヨーク・コスモス)、ジョージ・ベスト(ロサンゼルス・アズテックスなど)…。皆、選手としてのピークは過ぎながらも、衰えることのない老獪なテクニックで多くの観客を魅了しました。
ジョージ・ベスト
こうしたルールの上で我が道をいき、英国の大物ロックスター・エルトン・ジョンがロサンゼルス・アズテックスのオーナーになるなど話題性もあった北米サッカーリーグですが、アメリカ人のスタープレイヤーが育たなかったこと、ニューヨーク・コスモスといった一部のチームに実力・財政が集中し過ぎたことなどが理由で、徐々に人気を失っていき、全盛期は30チームが参加していたリーグから球団の撤退が相次ぎ、1984年シーズンをもって終了と相成ります。
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