【斎藤隆】日米の野球ファンを魅了した「オールドルーキー」
2016年11月25日 更新

【斎藤隆】日米の野球ファンを魅了した「オールドルーキー」

斎藤隆選手が大リーグに挑戦する事が発表された時「ベテラン投手の思い出作り」などという声も聞かれた。だが、そんな声はすぐに称賛に変わる事になる。「200勝」より困難と言われる「100勝・100セーブ」(日米通算)を達成した斎藤隆選手の球歴を改めて振り返る。

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しかし、シーズン開幕直後にチームのクローザーを務めていたエリック・ガニエ選手が右肘を痛めて故障者リスト入り。その入れ替わりで4月7日にメジャーに昇格すると、9日のフィリーズ戦でメジャー初登板。18日のシカゴ・カブス戦で初勝利を飾ります。ここから36歳の「オールドルーキー」斎藤隆の快進撃が始まります。

【MLB】takashi saito vs mets 20070612

当初はセットアッパーとして起用されていましたが、シーズン途中からクローザーに指名され、5月15日のコロラド・ロッキーズ戦でメジャー初セーブ。復帰したガニエ選手が再び怪我で戦列を離れたこともあり、この年チーム最多の72試合に登板し、6勝2敗24セーブという好成績を挙げたのです。

【MLB】 斎藤隆 メジャー最速159.3km 157.7km 99mile 98mile takashi saito

翌2007年シーズンは開幕からクローザーとして起用。6月26日の対ダイヤモンドバックス戦で投げたストレートは日本人メジャー最速となる球速159kmを記録。MLBオールスターゲームにも選出されるなど名実ともにMLBのスター選手となりました。結局この年、63試合に登板し2勝1敗、リーグ3位の39セーブを挙げます。2008年シーズンは、7月にけがもあり、一時故障者リスト入りしたものの45試合に登板、4勝4敗18セーブという好成績を残しました。

斎藤隆 見事プレーオフで勝利投手2011/10/03

2009年シーズンボストン・レッドソックスと契約し、セットアッパーの役割を担った斎藤選手は、6月11日に日米通算100勝100セーブを達成。その後、アトランタ・ブレーブス (2010)を経て、2011年に所属したブルワーズでは、ダイヤモンドバックスとのディビジョンシリーズ第2戦に登板。6回1イニングを無失点に抑え、ポストシーズン初白星を記録。チーム29年ぶりのディビジョンシリーズ突破に貢献。その翌年アリゾナ・ダイヤモンドバックスに移籍します。メジャー在籍7年で5球団に在籍し、338試合に登板。21勝15敗84セーブ40ホールドという記録を残したのです。挑戦前は「ベテラン選手の思い出作り」と揶揄された斎藤隆選手のメジャー挑戦は大成功を収めたのです。

日本球界復帰

2012年のオフに斎藤選手が東北楽天ゴールデンイーグルスと1年契約で合意したことが発表。横浜時代の2005年以来8年ぶりの日本球界復帰となった時「斎藤隆選手は最後に故郷の東北を引退の地に選んだんだ…」という見方が一般的でした。
優勝を果たして

優勝を果たして

2013年シーズン、怪我の影響もあって斎藤隆選手が1軍で初登板を果たしたのは5月6日の事でした。これまでのシーズンだと楽天はこの時期に早くも首位とは大きく離されている…という事も多々あったのですが、この年は違いました。エースの田中選手を中心にチーム一丸で戦い、首位争いの中心にいたのです。

斎藤隆 楽天優勝時インタビュー(音声のみ)

初登板でNPBで自身2768日振りの勝利投手になった斎藤選手は、リリーフとして登板を重ねます。8月末にそれまでのクローザーだったラズナー選手が離脱すると、代わってクローザーを務め、チームのリーグ優勝に貢献。単に「引退前に故郷に帰って来た」だけではなく、戦力として活躍したのです。

斎藤隆、最後の登板

2014年7月2日にセーブをあげ、44歳4ヶ月で日本プロ野球最年長セーブ記録を更新するなど、年間31試合に登板、1勝1敗3セーブ9ホールドを挙げた斎藤選手でしたが、翌2015年シーズンは怪我と不調により2試合に登板しただけで登録抹消されたことを受け、8月16日に仙台市内で開かれた記者会見でこの年限りでの現役引退を表明。10月4日の対ソフトバンク戦の引退試合で、9回表の無死から「打者1人」という条件で登板した斎藤選手は、細川亨選手から空振り三振を奪って現役生活を終了したのです。

斎藤隆引退スピーチ

試合後に開かれた引退セレモニーでは、「今日まで魂を込めて、白球にこの身を挺してきましたが、心技体、チームの力にもなれず、私の体は限界です。後輩たちに全ての思いを託し、『野球人・斎藤隆』として、新しい第2の人生を歩んでいこうと思っています」と挨拶。23年の選手生活に幕を閉じたのです。
【斎藤隆選手の選手歴】
東北福祉大学
横浜大洋ホエールズ
横浜ベイスターズ (1992 – 2005)
ロサンゼルス・ドジャース (2006 – 2008)
ボストン・レッドソックス (2009)
アトランタ・ブレーブス (2010)
ミルウォーキー・ブルワーズ (2011)
アリゾナ・ダイヤモンドバックス (2012)
東北楽天ゴールデンイーグルス (2013 – 2015)
【通算成績】
NPB:16年 403試合に登板。91勝81敗55セーブ14ホールド
MLB:7年 338試合に登板。21勝15敗84セーブ40ホールド
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