『ビートルズ』ジョン・レノンの妻オノ・ヨーコさん
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オノ・ヨーコさんの経歴
父親の小野英輔さんは、日本興業銀行の総裁を務めた小野栄次郎さんの息子。母親の小野勤子さんは、安田財閥のご令嬢。
立派な家柄で生まれ育ったオノ・ヨーコさん。2歳のときに父親が横浜正金銀行のサンフランシスコ支店に勤務していたこともあって、サンフランシスコに転居しました。しかし、その2年後には母親とともに帰国し、鎌倉にある安田家の別荘で暮らしました。
立派な家柄で生まれ育ったオノ・ヨーコさん。2歳のときに父親が横浜正金銀行のサンフランシスコ支店に勤務していたこともあって、サンフランシスコに転居しました。しかし、その2年後には母親とともに帰国し、鎌倉にある安田家の別荘で暮らしました。
幼少期を日本で過ごしやたオノ・ヨーコさん。中学生になると、父親のニューヨーク転勤に伴ない再び渡米。一時期はロングアイランドにあるパブリックスクールに通っています。
その後、日本に戻ったオノ・ヨーコさんは小学校に編入し、お嬢様が通う学校として有名な学習院女子中・高校科に進学しました。
その後、日本に戻ったオノ・ヨーコさんは小学校に編入し、お嬢様が通う学校として有名な学習院女子中・高校科に進学しました。
1956年、大学在学中にピアニスト・作曲家として有名な一柳慧さんと出会い、大学を退学して結婚されました。
その後、オノ・ヨーコさんは芸術家としての活動を始めます。しかし、日本国内においては、彼女の生み出す前衛的な作品は受け入れられませんでした。
その後、オノ・ヨーコさんは芸術家としての活動を始めます。しかし、日本国内においては、彼女の生み出す前衛的な作品は受け入れられませんでした。
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1963年、一柳慧さんと離婚。その年のうちに映像作家として有名なアンソニー・コックスさんと再婚し、お二人の間に愛娘・キョーコさんが生まれました。
1964年、ニューヨークに戻って創作活動を再開。
1966年にはイギリスの現代芸術協会の招待を受け、活動の場をロンドンに移します。この時期にオノ・ヨーコさんはジョン・レノンさんと出会い、お二人は関係を持ち始めたようです。
1966年にはイギリスの現代芸術協会の招待を受け、活動の場をロンドンに移します。この時期にオノ・ヨーコさんはジョン・レノンさんと出会い、お二人は関係を持ち始めたようです。
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1969年、アンソニー・コックスさんとの離婚が成立。そして、その年のうちににジョン・レノンさんと結婚しています。
当時はベトナム戦争が激化しており、平和活動として、ポスター・キャンペーンに協力し、独自に愛と平和をテーマにした個展を開きました。
当時はベトナム戦争が激化しており、平和活動として、ポスター・キャンペーンに協力し、独自に愛と平和をテーマにした個展を開きました。
1970年代になると芸術家として個展を開く一方、音楽家としても活動するようになり、ジョン・レノンさんとオノ・ヨーコさんを中心とした『プラスティック・オノ・バンド』を結成しています。オノ・ヨーコさん自身によるアルバムも発売しました。
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アーティストとして活動する反面、反戦や黒人・女性解放といった問題を扱う運動家とも交流するように。その影響からか、オノ・ヨーコさんは政治活動に傾斜していきます。
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1980年、ジョン・レノンさんは息子さんが5歳になったことで、家事・育児に専念していた生活に区切りをつけ、音楽活動を再開します。
その直後、世界中を震撼させた事件が発生。
ジョン・レノンさんは自宅前で凶弾に倒れ、そのまま還らぬ人になってしまいました。その場にはオノ・ヨーコさんも居合わせており、犯人の銃口は彼女にも向けられていたそうです。オノ・ヨーコさんは幸いなことに無傷で済んだというから、九死に一生を得たといったところでしょうか。
ジョン・レノンさんは自宅前で凶弾に倒れ、そのまま還らぬ人になってしまいました。その場にはオノ・ヨーコさんも居合わせており、犯人の銃口は彼女にも向けられていたそうです。オノ・ヨーコさんは幸いなことに無傷で済んだというから、九死に一生を得たといったところでしょうか。
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その後もオノ・ヨーコさんは芸術活動に取り組み、平和活動にも尽力されました。
2009年には『プラスティック・オノ・バンド』として、息子のショーン・レノンさんや小山田圭吾さんたちと音楽活動を再開しています。
2009年には『プラスティック・オノ・バンド』として、息子のショーン・レノンさんや小山田圭吾さんたちと音楽活動を再開しています。
オノ・ヨーコさんにまつわるエピソード
芸術家としての功績
彼女の先進的な芸術は、当初、日本では受け入れず、なかなか専門家からの評価を得られませんでした。
そうした背景には、前衛的な芸術性が日本で浸透していなかったということも大きかったようです。
そうした背景には、前衛的な芸術性が日本で浸透していなかったということも大きかったようです。
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ジョン・レノンさんも「世界で最も有名な無名アーティスト。誰もが彼女の名前を知っているが誰も彼女のしていることは知らない」と語っていました。しかし、彼女の芸術作品を評価する専門家は多く、数々の受賞歴があるところにも注目したいですね。
2001年、回顧展『イエス、ヨーコ・オノ』は、アメリカ美術批評家国際協会(英語版)の最優秀美術館展賞を受賞。
2002年、マルチメディア部門でスカウヒーガン・メダル
2001年、リヴァプール大学より名誉法学博士号を授与。
2002年、バード・カレッジより名誉美術学博士号を授与。スコット・マクドナルド客員教授は「彼女の作品は作品として賞賛に値するし、彼女がメディアの歴史の中で、そして世界の中で、主張してきた事も賞賛に値する。その勇気、不屈さ、粘り強さ、独立心、そして何よりも、創造力。そして、平和と愛こそが輝かしくて多様性に富んでいる人類の未来へと導いてくれるのだ、という信念はすばらしい」と過去に語っている。
2005年、ニューヨーク日本協会から特別功労賞を授与。
2009年6月、第53回ヴェネツィア・ビエンナーレで、生涯業績部門の金獅子賞を受賞。初の日本人受賞者となった。
生年月日:1933年2月18日
出身地 :東京都
職業 :芸術家
音楽家
活動期間:1961年~