アルバムに収録された曲の「バック・イン・ザ・USA」は、キャッシュボックスのトップ100チャートで11位・ビルボード・ホット100チャートで16位になり、更に多くのアルバム・ロック・プレイリストで1位になっています。そして、「ウー・ベイビー・ベイビー」は、ポップ・チャートで7位、イージー・リスニング・チャートでも2位のヒットとなった上に、カントリーおよびソウル・チャートでもヒットとなりました。その後に、「ジャスト・ワン・ルック」と「アリソン」の2曲もシングルもヒットし、「夢のように」と「モハメッドのラジオ」は、ラジオ局で人気の曲となっています。
次々と新たなジャンルに
スタンダードに挑戦した三部作が、1983年の「What's New」・1984年の「Lush Life」・1986年の「For Sentimental Reasons」。3枚合わせて米国内だけで800万枚を売り上げたベストセラーになりました。1986年には、長編アニメ映画「アメリカ物語」の主題歌「Somewhere Out There」を大ヒットさせます。1987年にはエミルー・ハリスとドリー・パートンとの競演アルバム「Trio」を発表、カントリーとポップの両方のチャートで話題になり、400万枚以上も売り上げるヒットになりました。
その他にも、いろんなジャンルに取り組んだリンダ・ロンシュタットは、次々とヒットを量産して、グラミー賞を始めとする様々な賞も獲得していきました。そして、1989年に出したアルバム「Cry Like A Rainstorm, Howl Like The Wind」の収録曲の「Don't Know Much」が全米2位の大ヒットに。しかし、これがチャート上位に入る最後のアルバムとなりました。
リンダ・ロンシュタットは、1970年代と1980年代において世界最高の売上げを記録したシンガーでしたが、1990年代に入ると、私生活を優先させるようになり、プロモーションも最低限のみになり、表舞台から距離を置くようになっていきます。
病気のために止む無く引退
2013年8月、パーキンソン病を患ったことから歌手活動をやめたことを明らかにしました。そして、9月には、自伝となる「Simple Dreams」を出版しました。ただ、パーキンソン病がわかった時点では、すでに執筆が終わっていたので、自伝ではこの病気にな関することは触れられていません。
たぐいまれな才能に恵まれたリンダ・ロンシュタット、このような病気でファンの前から姿を消してしまうのは、残念でなりません。