原田真二の現在!天才と評されたデビューから松田聖子との関係、息子についても!
2022年3月29日 更新

原田真二の現在!天才と評されたデビューから松田聖子との関係、息子についても!

伝説の天才シンガーソングライターと呼ばれる”原田真二”さんのデビューの頃を知っていますか?1977年10月 18歳で"吉田拓郎"さんプロデュース「てぃーんず ぶるーす」でデビューすると、翌11月に2ndシングル「キャンディ」、12月に3rdシングル「シャドー・ボクサー」と3ヶ月連続でシングルをリリースして、3曲が同時にオリコンベスト20入りするという日本音楽史上初の快挙を達成します。洋楽のロックの世界を目指し「アーティスト」としてデビューしたもののその可愛いルックスに人気が集まります。ミドルエッジ世代は勿論、今の若い世代が聴いても十分に魅了されるであろう”原田真二”さんのデビューから現在までをお届けします。

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原田さんのルックスが可愛すぎて罪なのですが・・・笑)
アーティストとしての才能が凄いにもかかわらずアイドルとしてあつかわれる事に抵抗があった原田さんは、「アイドルじゃなくてアーティストです」と主張したり新人でありながら「レコード大賞」等の音楽賞への参加を辞退したりと明確なビジョンがあった為、マスコミや業界の間では「生意気」で通っていたそうです。

後に原田さんはこの頃のことを振り返り、
「洋楽の世界のような音楽界にデビューしたつもりでいたのが、そこは厳しい日本の芸能界だった」

と語っておられます。

そんな当時の日本の音楽番組はほぼ生放送で、出演する歌手は番組専属のオーケストラの演奏で歌うのが常識だったのですが、原田さんはアーティストとしてのプライド?から自らのバンドの演奏で歌われていたので演出や時間配分などで番組スタッフと揉めることが日常茶飯事だったそうです。
新人が自分の主張を通す事は考えられない時代でしたが、番組がスムーズに放送されるようメインのスタジオとは別のスタジオにセットを組みそこから中継する。今では当たり前のようになっていますが、原田さんのアーティストとしてのこだわりから生まれたものです。

原田さんが音楽番組に出演する事によって、その他にも当時では考えられないような改善がされ後のテレビ界・音楽界に多大な影響を及ぼしました。

自分だけの道を、自分の形で、自分以外のために~デビュー3年目で独立

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デビュー3年目 マネージャーだけ連れてそれまで所属していたプロダクションから独立し、個人事務所(株)クライシスを設立。(1988年(株)エアーフィールドに社名変更)

レコード会社もポリドールに移籍し原田真二&クライシス(SHINJI & CRISIS)として活動を開始。

以降、TVやマスコミから距離を保ちつつアーティストとして本来の活動に専念し自らが歌う以外にも多くのアーティストに楽曲を提供、CM曲や校歌も手がけておられます。

デビューの頃のように表舞台で見かけることはありませんが、音楽界における原田さんの功績はもの凄いです。

STRAWBERRY NIGHT / 原田真二&クライシスSHINJI&CRISIS

独立後の大変な時期を振り返り原田さんは、

「普通は人気が確立されてから独立を考えますが、そういう状況じゃなく独立したので、たちまちイメージしていたものが打ち砕かれて大変な状況になった。今思えば無謀。でも、だからこそ経験できたこと、学べたことがいっぱいあった。ほとんどのアーティストは売れるまでに下積み時代があるのですが、僕にはそれがなかった。必要だからこそ通ってきた道なんだろうなあと今思う」

と語られています。

幻の「ジョン・ レノン プロデュース」計画

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1980年夏 原田さんのアルバムを”ジョン・レノン”がプロデュースする話しがもちあがっていたそうです。”オノ・ヨーコ”さんを通してですがジョン本人も「おもしろそう」と興味を示し話しが進んでいる中、曲作りを始めていた原田さんが目にしたニュースで「ジョン・レノンの訃報」

デビュー前からのテーマとして「世の中にやさしい気持ちを復活させるため」に音楽活動を続けているという原田さんは、「そういう意味ではジョンとまったく同じ方向にあるので、出会わせてもらっていたら、なにかが生まれていたかもしれなかったのに」と悔やまれたそうです。

原田真二のライフワーク~平和を祈る音楽活動~

デビューから音楽のテーマは「LOVE & PEACE、HAPPINESS」純粋に音楽の持つ力を信じていて、音楽を通してメッセージを発信し平和に貢献したい。
広島県出身の原田さんが通われていた小学校は川向いに原爆ドームがあった為、平和教育を普通に授業で学ぶうちに平和に対する意識が高くなられたそうです。

2000年~「自然環境・心の環境問題」をテーマにしたチャリティーイベント「鎮守の杜コンサート」を定期的に開催。

2005年 チャリテーイベントをサポートする趣旨のNPO法人「ジェントル・アース(Gentle Earth)」を設立。

2011年の東日本大震災以降、毎月被災地に入りライブを5年連続開催。

2013年 国連の平和教育に関する「ハイレベルフォーラム」に参加。

2015年 仙台で行われた「国連防災世界会議」で演奏。

ニューヨークでは毎年平和を祈る「ピースコンサート」を開催し、9.11のセレモニーも開催。

その他 国内外、大小問わず平和・環境イベントやチャリティーを数多く開催されています。

最新のインタビューで熱い思いを語っておられます。
コロナ禍の2年間は、毎年ニューヨークで開催されていた「ピースコンサート」はオンラインで開催されていました。
生で音楽を届ける事ができない苦しさの反面、ニューヨークでやっていることがロンドンにも繋がっていたり色んな可能性が生まれる事を経験し、オンラインでの活動にも意欲を燃やされています。
そして、
「平和への思いを強く持っているアーティストって、世界中にいるんですよ。コロナ禍が収束したらそういうアーティストたちを集めて、本当に影響力のあるピースコンサートを行っていきたいです。」と、どこまでも強く「平和」を願われている原田さんです。
2022.03.21(月・祝日)17:00〜 Sound@Space Vol.1「Message for You」
◆会場  下北沢Half Moon Hall


ニコラス・エドワーズ配信イベント「Back To Basics Vol.7」ゲスト出演
◆配信 3月27日(日)13:00~4月2日(土)23:59 
原田さんの最新情報はこちらから▼
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