持ち前のカーブと速球で巨人を支えましたが、1987年に32歳という若さで引退しました。
135勝72敗、防御率は3.02でした。
ミスタータイガース・掛布雅之 「1656安打」
ミスタータイガースとよばれ、阪神の躍進にバースとともに原動力となりました。
15年の間に本塁打王3回、打点王1回、通算1656安打、349本塁打を果たしましたが、故障のため1988年に引退しました。
赤い疾風・高橋慶彦 「1826安打」
右投両打。ポジションは遊撃手や外野手を務めました。
・1975年、広島東洋カープ入団と同時に打者へと転向。
・1979年、初めて盗塁王に輝き、広島カープの日本一に大きく貢献する。日本シリーズではMVPを獲得。同年、「33試合連続安打」の日本記録を樹立(未だに破られていません)。
長年レギュラーとして活躍、高橋在籍時はリーグ優勝4回、2年連続日本一にも貢献しました。
村上龍による短編集「走れ、タカハシ! 」に登場した事でも有名です。
史上最強の一番打者・真弓明信 「1888安打」
右投右打、1985年に新ダイナマイト打線の核弾頭となり活躍。バース、掛布らと共に阪神タイガース日本一に貢献し、1994年には代打でシーズン30打点の日本記録を樹立するなど、記憶にも記録にも残る活躍を魅せた名選手です。
名球会入りの資格を得ながら、拒否した落合博満
3度の3冠王・落合博満 「2371本」
その後、中日、巨人、日本ハムと移籍しながらそれぞれのチームで活躍。通算安打は2371本、本塁打510本でした。神主打法と呼ばれる独特のフォームが有名ですね。
引退後は解説者を経て中日の監督に就任。
2007年にはチームを日本一に導いた名監督でもあります。
入会しない「理由」
落合は入団二年目くらいから、「将来2000本安打を打てたとしても名球会には入らない」と断言していたそうです。言うだけでも凄いことですが、実際に三冠王を獲ってもその気持ちを貫徹したところがまさに落合ですね。
そんな彼が2000本安打を達成し、本当に名球会に入会しなかった際には当時ヤクルトの監督を務めていた野村克也が、「落合は何かにつけ悪い前例を残す」と批判しました。
一方の落合は、「任意の団体なんだから入る自由もあれば、辞退する自由もあるはずだ。名球会を目指して野球をやってきたわけではない」と、落合らしい主張で入会を拒否したそうです。
そこに辿り着いた選手は、やはり引退から何年経っても語り継がれる偉大な選手でもありますね。
一方で、落合のような価値観も尊重すべきですね。
選手には記録だけでなく、記憶に残る素晴らしいプレーをしてほしいと願っております!