2019年11月10日 更新
1981年の邦楽ヒット曲 ランキング。売上枚数「年間ベスト10」はこの曲だ!
聖子ちゃんにマッチが登場した1981年の日本の音楽界。他にもバラエティ豊かなアーティストたちが大ヒットを記録しました。売上枚数で見る1981年の邦楽年間ランキングがコレだっ!
VIDEO
イモ欽トリオ ハイスクールララバイ version 1981
実はこの曲、バラエティ番組から生まれたユニット、そこからヒット曲を生み出すということの先駆けになったと言われています。 「ハイスクールララバイ」が大ヒットしたことで、「欽ドン!良い子悪い子普通の子」の視聴率が大きく伸びたため、この手法が受け継がれていくことになったんですね。
第3位 スニーカーぶる~す
そして、いよいよ第3位。マッチのデビュー曲「スニーカーぶる~す」です。このちょっとシャレた感じにひねったタイトルは、作詞:松本隆の真骨頂ってところでしょうか?!良いタイトルですよね。
「スニーカーぶる〜す」は、オリコン史上初めて「デビュー・シングルで初登場1位を獲得したシングル」なんです。実はなんかスゴイんです。この曲は。 まぁ、近藤真彦は既に1979年10月からテレビドラマ「3年B組金八先生」で俳優として一足先にデビューをしていて人気がありましたからね。満を持しての歌手デビューですから納得は納得ですよ。
しかし、「デビュー・シングルで初登場1位を獲得したシングル」よりも意外なのは、この曲はジャニーズ事務所、初のミリオンセールスとなったシングルなんだそうです。ホントになんかスゴイんです。この曲は。
第2位 奥飛騨慕情
奥飛騨とは、岐阜県北部の神通川支流にある高原川流域をいいます。竜鉄也の「奥飛騨慕情」が流行った当時、その事を知っている若者は少なかったのではないかと思います。 その若者も今では奥飛騨までいそいそと出向き、温泉に浸っているというわけです。時代は変わったということですね。第2位にランクインしたのは「奥飛騨慕情」です。
竜鉄也のデビューシングルである「奥飛騨慕情」。作詞、作曲ともに竜鉄也が自ら行っています。 演歌の人にしては珍しいですよね。しかし、なめてもらっては困ります。竜鉄也は25歳にして失明しているのですが、その頃から作詞、作曲も手がけつつ、流しとして独学で学んだアコーディオンを抱えて活動を開始したという苦労人です。
デビュー曲である「奥飛騨慕情」がヒットしたのは竜鉄也が44歳の時です。遅咲きですが、鍛え抜かれた楽曲、歌手としての実力派十分だったということですね。 2010年12月28日、竜鉄也は惜しまれながらもクモ膜下出血により74歳で亡くなられました。
第1位 ルビーの指環
1981年を象徴するアーティストは、ダントツで寺尾聰でしょう。メガヒット「ルビーの指環」の他にも「SHADOW CITY」、「出航 SASURAI」も大ヒットとなりました。 作曲は寺尾聰自身で、作詞はまたもや松本隆です。ビリー・ジョエルの「ストレンジャー」を思わせる曲調も覚えやすく良いですが、やっぱり歌詞が良いですよねぇ。
肩の力を抜いた歌い方が、大人っぽくもあり、曲調とマッチしています。そこんところは流石に自作曲って感じですね。ムードがありますしね。
福山雅治、桑田佳祐、高橋真梨子などがカバーしていますが、曲が良いだけに誰が歌っても決まるんです。名曲とはそうしたものなんでしょうね。 役者が歌い、アイドルが歌い、演歌からロックまで1981年も幅広いジャンル、アーティストが活躍した1年でした。さて、それでは1982年は?それはまた次の機会に!
すべてのコメントを見る (1)
コメントを書く
※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。
発売日:1980年12月
作詞:松本隆
作曲:筒美京平
累計売上:104.7万