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1971年明け早々、ELPはセカンドアルバム:「タルカス」の録音準備に入る。一方、各地でコンサートを行ない、ムソルグスキーの「展覧会の絵」のライブ録音にも勤しむ。問題はどちらを先にリリースするかであったが、タルカスを5月から6月にかけて英米でリリース。このタルカスは、メロディメーカー誌で前年首位をキープしていたレッド・ツェッペリンを抜いて、首位に君臨。ELPの音楽性が世間で認められることとなった。そこで、問題になるのは「展覧会の絵」。タルカスのリリースによって宙に浮いていたが、本物録音盤をさしおいて、海賊版(ブートレッグ)が次々と出回り関係者は困惑。同年11月に正式リリース版が出ることに。この「展覧会の絵」の最後にはチャイコフスキーのくるみ割り人形が収録され、大ヒットした。
感極まってか、狂気の沙汰かキーボードをぶっ壊すステージライブ
狂気のライブ・パフォーマンス
キーボードの破壊王=キース・エマーソン
日本公演では、日本刀や斧まで持ち出して楽器を壊した。筆者の脳裏に焼きついている。
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1972年になると早速3作目のスタジオ録音に着手。6月には「トリロジー」としてリリースされる。7月に入って初来日。後楽園(現東京ドーム)や甲子園などで野外コンサートに。折しも台風の影響で、大雨の中の圧巻ライブ。電子機械のシンセサイザーの調子も悪く、キース・エマーソンは激昂して、鉢巻をして、キーボードに膝蹴り、馬乗りしたあげく、短剣や日本刀を突き立て、斧でぶち壊す挙に出た。キースがキーボード界のジミヘンドリックスといわれる所以である。これで、観客がのらない訳はない、というところで、興奮した観客がステージの雪崩出し、あえなくライブは中止に。同じ年の米国ロックバンドのGFK:グランド・ファンク・レイルロードの「後楽園」雨のライブは、テープを回しまくって、メンバーは口パクをやっていたというから、英米彼我の差が出たと言えよう。それをアジア人を舐めたアメリカンバンドの差別的行為かどうかは定かでない。ELPはキースの破天荒の行為により、聴衆の喝采を浴びた。アッパレというしかない。
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忍び寄る疲労の影;難解路線に転向か
忍び寄る暗黒のコンセプト、転がる石のように
1973年に入ると、メンバーの超多忙の裏の疲労も垣間見えた。衝撃的な題名である「恐怖の頭脳改革」という観音開きジャケットのアルバムを出すが、米メロディ・メーカー誌の人気投票では、前年のトップを同業プログレッシブ・ロックのイエスに譲り、キーボード部門のトップも、キース・エマーソンからイエスのリック。ウェイクマンにとって代わられた。何となく忍び寄る黒い影を感ぜずにはいかなくなる年。筆者も大学受験の準備に負われ、ELPをひとたび忘れてしまった。
活動停止の裏に
ディープパープルとの確執とマーケティング上の問題
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翌1974年には、ディープ・パープルなどの台頭により、徐々に人気に陰りが認められるエピソードもある。同年3月の米「カルフォルニア・ジャム」でヘッドライナー(主役)をどちらが取るかで揉め、最終的にはELPとなったが、ディープ・パープルの意図的な長時間演奏の影響で、「トリ」のELPの演奏時間は極端に短くせざるを得なくなったという。この頃からメンバーの活動疲れに反して大作主義が打ち出される。3枚組の「レディス・アンド・ジェントルマン」のリリースである。これまで筆者も全てアルバムを所有しているが、さすがに3枚組となると普通小遣いでは買えなくなる。バンドもこのアルバムを最後に、活動停止に追い込まれる。
活動再開とレコード会社の焦り、無謀な大作主義に
Works四部作のマーケティング失敗
1977年の復活版「ELP4部作」は何と4枚組。普通のロックフリークが買える価格ではない。1974年の3枚組といい、1977年4部作といい、完全にマーケティングを間違えた所産である。ELPとしての多忙な活動に嫌気がさした各人がソロアルバム志向に走り、4枚のうち各々のソロ・アルバムにバンドとしての収録をオーケストラ入りで追加するという安易な企画であった。このオーケストラ入りのきかくでライブツアーも企図されたが、散々な結果となり失敗に終わる。さらに「ELP4部作の続編である「作品2番」がリリースされるが、12曲中の大半が、古い録音曲で構成されている、という。ここまで来ると、結成時以来のファンをとても大事にしているとは言えない。音楽マーケティングの崩壊といわれても否定できないだろう。