斜陽の兆しと第1回目の解散
ソロ活動へと迷走するELP
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1978年には「ラブ・ビーチ」が、租税回避か(?)バハマで録音されるが、このプロモーション・ツアーは行なわれなかった。理由は3人が3人ともELPとしてのグループ活動に疑問を持ち、翌1979年には、1977年のモントリオールのライブ盤が発売。1980年2月には正式に解散となる。日本ではもう一部の新聞が細かく報じた程度である。
各々ソロ活動に
1980年代、キース・エマーソンはソロ活動に転じ、グレック・レイクはゲーリー・ムーアと双頭バンドを結成。カール・パーマーは、元イエスのスティーブ・ハウ(ギター)や元キング・クリムゾンのジョン・ウェットン(ベース)などとプログレッシブ・ロック界のスーパー・グループである「エイジア」を結成、大ヒットを飛ばす。
ジャズとロックの融合
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ELP終わりの始まり
再結成も、またしてもレコード会社のマーケティングに誤りか
1991年、レコード会社の都合でELPは再結成され、1992年には「ブラック・ムーン」を発表。時あたかもアナログ・レコードからCDにとって代わられる時代。ELPは「リターン・オブ・ザ・マンティコア」という4枚組ボックス・セットのをリリース。
キース・エマーソンの利き腕手術
1994年には、新アルバム「イン・ザ・ホット・シート」を録音、リリース。しかし、キース・エマーソンがレコーディング直前に腕の手術を受けることとなり、録音に参加できなかった。そこで、キーボードパートがコンピュータ・プログラミングによる音声に依存することになった。そのためキース自身もこのアルバムの仕上がりには不満で、気に入らなかったようだ。
ELP再度解散の兆候
1995年以降は、一部ライブビデオがリリースされが、バンドとしての活動は事実上なくなったといっても過言でない。それが加齢によるものか、レコード会社のマーケティング・ミスによるものか、筆者は後者をとる。以後ノスタルジックな組み合わせで単発的なライブが行われた。
一夜限りの真夏の夜のライブ
via merurido.jp
また、2010年の7月には真夏の夜の夢。「一夜限り」の再々結成ライブがロンドンでとり行われる。しかしこれを最後に「今後はELPとしての活動は行なわない」とコメントした。