【カレン・カーペンター】今は亡きカーペンターズのヴォーカル。 でもドラマーとしても相当なものです
2017年1月26日 更新

【カレン・カーペンター】今は亡きカーペンターズのヴォーカル。 でもドラマーとしても相当なものです

今では懐かしいカーペンターズ。名曲の数々を生み出してきました。兄妹での活動でしたが若くして亡くなってしまったため活動期間はさほど長くはありませんでした。カレンの軌跡をたどってみましょう

43,736 view
カーペンターズとして活動し始めた当初まで、ドラムとボーカルを担当した。

本格的にボーカルのトレーニングを受けにいくと、トレーナーから
「あなたには、何も教えるものはない。」と言われたことから、彼女には歌手としての天性の素質があった。

声の美しさについては、ポール・マッカートニーやジョン・レノンも絶賛したという。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第94位。
「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第48位。

精神的な病

CARPENTERS LIVE IN JAPAN

CARPENTERS LIVE IN JAPAN

1974年、3度目の来日時に、リチャードと共に和服姿の写真を撮影、
翌年発売されたライブアルバム「CARPENTERS LIVE IN JAPAN」 に
付録としてその写真が添付され、カレンによると、この頃が最高に太っていたという。

出典 - Wikipedia
自らの体型については太りすぎという固定観念を持っており、やがて精神的な病となっていった。
ある日、カレンは兄リチャードに「ねえ、お兄ちゃん。私って太ってる?」と聞いたという。
するとリチャードは「あぁ、ちょっとな」とさり気なく答えた。
事実、その頃のカレンは平均的な女性と比較してぽっちゃりしていた。
その兄の言葉を受けたカレンは、「絶対に痩せてやる!!」と発奮。
ダイエットに励むようになったが、それが彼女の寿命を縮める結果となってしまった。
精神的な病というのはなかなか人には認知されずらいものであります。

でも本人にとっては非常に大きな問題であり自身では解決できない事のほうが多いのです。

何気ない日常の中での一言が引き金になることもあるという、いい例ではないでしょうか。

摂食障害(拒食症)に悩まされる

摂食障害 拒食症

摂食障害 拒食症

拒食症という病気がまだ知られていなかった
Top of the World

Top of the World

痩せている。
カレンはいつの頃からか摂食障害(拒食症)に悩まされるようになる
(音楽誌にFat Sister「太っちょカレン」と書かれた事が原因の一説として囁かれている)。
後のセラピーの過程で親子関係が背景にあると見られている。
このため、1975年に予定されていた日本公演が中止となった。
当時の招聘先である、キョードーのコメントは「神経性食意不振症」によるものであった。
当時はまだ拒食症という病気は、
まだまだ世間での理解が進んでいなくて、
「ダイエットのし過ぎ」
「わがまま病」
程度の扱いを受けることが多くありました。

実際に周囲の人たちもそのように考えていましただろうし、
なにより当人がぜんぜん病人らしくないという厄介な病気なのです。

そんなこともあり日本公演が中止になった時の主催者側の発表にも
よく解からない病気のような表現をしていました。

ソロ活動

『遠い初恋』(原題:「カレン・カーペンター」)

『遠い初恋』(原題:「カレン・カーペンター」)

アルバムは『遠い初恋』(原題:「カレン・カーペンター」)として1996年にリリースされた。1995年のテレビドラマ「未成年」の主題歌・挿入歌・エンディングテーマ曲にカーペンターズの曲が使われたことから日本でカーペンターズを知らない若い世代を中心に大ブームが起き、日本のレコード会社にカーペンターズの新譜やツアーの問い合わせが相次いだことを知ったA&Mレーベルが、新旧のファンの為にリリースを決めた。

出典 - Wikipedia
リチャードが睡眠薬依存症のリハビリを行っていた1980年にソロ活動を行うが、曲が公開されるのは、カレンの死後となる。体が弱っていたことや、成熟味を持ちすぎている(歌い方が成熟しているという意味ではなく数曲の歌詞の内容が大人っぽすぎるという意味)という意見から当時は兄や会社側から反対があり、最終的にカレン自身が発表を断念した。

カレンはこのアルバムの制作に際しニューヨークへ単身渡り、超一流のスタッフ達を使い、予算オーバー分の数千万円の私費も投じて79年5月から当初の予定の倍の約1年を掛けて完成させた。力を注ぎ込んでいただけに悩みぬいた末の発売中止だった。発売中止に際し「(カーペンターズの活動が優先なので)ソロはどうでも良かった」と当時は発言をしていたが、実際はお蔵入りになったことにとまどい消え入りそうな様子だった。リチャードは「心情的には出させてあげたかったよ。あれだけ一生懸命やったんだし」と発言している。
兄のリチャードも睡眠薬依存による精神の問題を抱えていたんですね。
そこで1年間をかけて治療することとなりました。

その時間を使ってソロアルバムを作成しようと考えたわけでしょう。

結婚

1980年、若手実業家のトム・バリスと結婚

1980年、若手実業家のトム・バリスと結婚

1980年、若手実業家のトム・バリスと結婚をするも、翌年暮れには破綻。離婚同意書にサインする直前(約束の6時間ほど前)に彼女が死去したため、現在も既婚のままとなっている。
カレンは短い間でも幸せを感じられたのでしょうか?

それにしてもこんな偶然があるんですね。

本人は死後の世界でどう思っているのでしょうか?

破局した結婚が永遠に終わらない・・・

死去

 (1816574)

44 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

【洋楽】人気絶頂の20代・30代で早世...伝説となった女性アーティスト7選

【洋楽】人気絶頂の20代・30代で早世...伝説となった女性アーティスト7選

10代、20代で世界的な人気アーティストとなり、今後さらなる活躍が期待されながら、天に召されていったアーティストたち。特に女性アーティストは、誰もが知る名曲を歌った、誰もが知るアーティストが多く、その活躍は今や伝説となっています。今回は、1970年代から2000年代に活躍した有名女性アーティストの中から、伝説となった7名をご紹介します。
izaiza347 | 969 view
聞いてみないと分からない、爽やかな低音の魅力「カーペンターズ」

聞いてみないと分からない、爽やかな低音の魅力「カーペンターズ」

70年代絶大な人気を誇ったカーペンターズは、誰からも愛された低い音域の声というちょっと変わった個性を持っていました。その素晴らしさは聞いてみないと分かりません。ということで、シングルでカーペンターズの歴史を辿ってみました。
obladioblada | 3,646 view
【1996年洋楽】ドラマ『未成年』の主題歌覚えてる?「日本」でヒットした洋楽トップ5

【1996年洋楽】ドラマ『未成年』の主題歌覚えてる?「日本」でヒットした洋楽トップ5

「洋楽」と一言で言っても、アメリカやイギリスなど本場でヒットする曲と、日本国内でヒットする曲はかなり異なります。中には、日本でヒットしても、本国ではヒットしないという逆転現象も!? 今回は "1996年の日本" にフォーカスして、オリコンシングルチャートを中心に「日本でヒットした洋楽5選」をご紹介します。
izaiza347 | 255 view
Hi-STANDARDドラマー・恒岡章さんの遺作「I'M A RAT」のリリースを受け、スペースシャワーTVでミュージックビデオ特集を緊急編成!!

Hi-STANDARDドラマー・恒岡章さんの遺作「I'M A RAT」のリリースを受け、スペースシャワーTVでミュージックビデオ特集を緊急編成!!

2022年12月にレコーディングされ、先日逝去したメンバー、恒岡章(Dr.)の遺作となった新曲「I'M A RAT」。スペースシャワーTVでは新曲「I'M A RAT」のリリースを受けて、この楽曲のリリックビデオを含めた1時間に渡るミュージックビデオ特集を緊急編成します。
【1975年洋楽】ドゥーザハッスル!「日本」でヒットした懐かし洋楽5選

【1975年洋楽】ドゥーザハッスル!「日本」でヒットした懐かし洋楽5選

「洋楽」と一言で言っても、アメリカやイギリスなど本場でヒットする曲と、日本国内でヒットする曲はかなり異なります。中には、日本でヒットしても、本国ではヒットしないという逆転現象も!? 今回は "1975年の日本" にフォーカスして、オリコンシングルチャートを中心に「日本でヒットした洋楽5選」をご紹介します。
izaiza347 | 414 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト