「アメリカ横断ウルトラクイズ」歴代の優勝者/準優勝者について
「アメリカ横断ウルトラクイズ」優勝者は番組内で「クイズ王」と称されました
応援してた人が敗北すると、また別の人を応援する。
まるで高校野球のような熱いドラマが、毎年繰り広げられていたものです。
「アメリカ横断ウルトラクイズ」優勝賞品について
優勝賞品はインパクト重視で、優勝賞品発表時の言葉から発せられるイメージと実物を見た瞬間のギャップが一つの見せ場となっていた。
価値は100万円相当のものから無料同然のものまで年によってまちまちであり、実体も風変わりなものばかりであった。
これは番組放送期間を含む1971年から1996年まで、オープン懸賞の上限が100万円に制限されていたことに加え、番組では東京からニューヨークまでの旅費も景品相当と解釈されていたためである。
しかしながら比較的まともな賞品が進呈されたこともあり、「世界一周旅行」など日常では経験できないような賞品が用意されたり、優勝したニューヨークに家族を呼び寄せ高級ホテルに宿泊する権利が賞品となったこともある。なお、本クイズの優勝者に与えられるのは賞品のみで賞金は一切出なかった。
※wikipedia参照
第1回(1977年)
日本テレビ開局25周年記念番組という形の特別番組として開催。そのため「第1回」という表記はなく、番組タイトルも「史上最大! アメリカ横断ウルトラクイズ」だった。
当初は1週のみの放送予定であったが、放送時間が不足したために2週連続に拡大された。スタジオでは観客に対して賞金付きクイズ王予想が行われた。
クイズ王(優勝者) 松尾清三
松尾清三
立命館大学出身、材木店経営。優勝時の年齢が歴代最年長。
関西地区収録のクイズ番組を中心に参加し、数多くの優勝歴も持っていた。クイズ本番前に歌い出したり口笛を吹くといったマイペースぶりを見せており、フェニックス以降2位通過で決勝へ進出。
準優勝者 藤原滋子
優勝賞品 ラスベガスの土地1エーカー
第2回(1978年)
『史上最大! アメリカ横断ウルトラクイズ』が予想を上回る好評を得たことにより、年1回のレギュラー化が決まった。準決勝のクイズ形式がボストンの地元紙アクトン・ミニットマンに掲載されるなど、アメリカでも話題になった。
今大会より、第一次予選が後楽園球場のグラウンドで行われるようになった。また、第1問に初めて自由の女神関連問題が出題された。成田空港の開港により、第二次予選会場は羽田から成田へと移された。本土上陸後のルートは、前大会がアメリカ合衆国南部を経由するルートであったのに対し、今大会ではアメリカ北部を経由するルートとなった。
クイズ王(優勝者) 北川宣浩
北川宣浩
東京都立大学出身。それまで勤めていた建築会社を辞めての初参加。
サイパンで敗者復活を果たし、ハワイ以降はリノ(2位通過)と準決勝を除いてトップ通過の連続で決勝へ進出。共に後楽園予選を通過した妹は成田で敗退しているが、国際電話連想クイズで兄をサポート。
第9チェックポイントのショットオーバーで行われた「地獄のお叫びクイズ」での「秋利帰れー!!」はいまも印象に残るフレーズです。