成蹊大学出身、郵便局員。口髭を生やしていることと、名前の「光邦」を徳川光圀に掛けて、愛称は「ヒゲの黄門様」。クイズ番組への参加も海外旅行も全くの未経験だった。
早押しクイズでは実力を見せたが、体力系のクイズでは苦戦した。
準優勝者 高松康典
機械会社勤務。佐藤とは対照的にトマト戦争などの体力系のクイズを得意としていた。
早押しクイズでの解答権取得の素早さも際立ったものの誤答も多く、エリーではラスト抜けを争い相手にリーチのかかった状態で誤答し一回休みと追い詰められた。
決勝戦では自分の勤務する会社の制服を着て臨んだ。
優勝賞品 "ラスベガス"のカジノのオーナー権
第15回(1991年)
第1問をもって福留が降板し、新出題者として福澤朗が着任。3年ぶりにスタジオパートが復活し, 併せて第13回以降中断されていた電飾ルートも復活した。総合司会は小倉淳と永井美奈子。ただ、このペアでのスタジオパートは今大会限りだった。
補足(ツッコミ)テロップの多発など、当時のバラエティ番組の演出が色濃く盛り込まれるようになった。
第一次予選通過者が130名に拡大されたが、敗者復活戦の撤廃・敗者インタビューの減少・罰ゲームの過激化など妥協を許さないサバイバル性の強い大会となった。
この回から付いたキャッチフレーズは「明るく楽しい生存競争」、「一度負けたら、ハイそれまでヨ」。また、ここ2年と違いベスト10まで2名、ベスト6まで1名女性が進出した。ルートでは4年ぶりにハワイを訪れ、第3回同様、アメリカ本土の南側に加えメキシコ、ドミニカ共和国を経由している。
クイズ王(優勝者) 能勢一幸
能勢一幸
一橋大学出身、公務員。一橋大学クイズ研究会出身で、それまでクイズ歴は豊富なものの優勝経験が一度もない無冠の戦士だった。
『第3回FNS1億2,000万人のクイズ王決定戦!』の予選通過を辞退しての参加。他のクイズ王と違い優勝直後から他局のクイズ番組の出演が多く、後にウルトラクイズにおける自身の体験談を『能勢一幸のクイズ全書1』(情報センター出版局、1993年)という著書として発表している。
第16回大会では予選第一問で敗退した。能勢の優勝により、2年連続で公務員がクイズ王となった。
準優勝者 松原史和
一橋大学の学生で、同大学のクイズ研究会所属。迷彩服姿でクイズに挑んだり、勝ち抜けると匍匐前進を披露したことなどから「ゲリラ松原」と福澤から呼ばれていた。
能勢は大学の先輩にあたる。松原は遅生まれで能勢は早生まれ(1月1日)のため、年齢は1つ違いだが能勢は社会人、松原は大学3年生であった。
優勝賞品 プライベート温泉
第16回(1992年)
レギュラー開催最後の大会。番組テーマ曲が従来の曲のアレンジバージョンに変更。スタジオパートは再び無くなり、ルートの紹介は他大会のように事前には行われず。番組冒頭に流れた前週までのプレイバックでのみ行われ、次のチェックポイントは挑戦者と同様に直前に発表されるまで視聴者が知ることはできなかった。台風上陸の影響と司会者の交代が響き、第一次予選参加者が前回よりも減少した唯一の大会でもある。
敗者復活戦が再開されるなどルールが前年より若干緩和されたが、女性はサンフランシスコまで1人進出したのみ、チェックポイントがアメリカ合衆国内にとどまり、スケールが縮小された。第14回に続き、今大会でもグァムで台風の被害を受けた。また、決勝戦以外のお手つき・誤答のペナルティが、すべて一回休みであった(決勝では従来通りマイナスポイント)。
第一次予選にはラサール石井が参加していたが、第1問で敗退した。その他にも前回クイズ王の能勢一幸が第1問で敗退した。その一方で、初参加の第5回から連続出場しているものの、その第5回から12年連続第1問で敗退と言う珍記録を達成していた「疫病神」の蓑原弘豊が初めて第1問を突破し、ついに第1問での連敗記録をストップさせ、第1問正解の瞬間、勝者の数人で蓑原を胴上げして祝福していた。
この回は唯一、福澤が第1問を読み上げた。
クイズ王(優勝者) 田中健一
田中健一
東京大学の学生で、同大学のクイズ研究会所属。上位通過が多かったが、私がママよでラスト通過・次のマラソンクイズでトップ通過と浮き沈みもあった。
決勝の相手である大西とは本番組参加前から『FNS1億2000万人のクイズ王決定戦』(フジテレビ系列)で知り合っていた。現在はクイズ作家。
準優勝者 大西肇
関西大学出身、呉服店店主で既婚者。第13回で準優勝した永田に誘われ、関西クイズ愛好会に所属。
社会人になってからクイズを始め、クイズ番組出場経験多数の実力者だった。東京ドームからニューヨークまで一貫してクイズには和服を着て臨んだ(ただし、移動時には普通の服を着ており、クイズ収録時に和服に着替えていたとのこと)。
成田で敗者復活した以外は、常に上位通過で安定していた。後に2001年に放送された「家族の愛よ!甦れスペシャル オーストラリア大陸縦断5000キロ!冒険家族クイズ2001」に家族4人で参加した。
ゲームは「牛糞ビンゴ」だったが、ニューメキシコ州では賭博は禁止されているため、収益は全額寄付しなければならなかった。
牛糞ビンゴで使われた土地と牛2頭が佐藤に贈られた。賞品地レポーターは小倉淳が務めた。