2011年
4月26日、WWEの新ブランド戦略の一環として発足したタレント開発部門の統括に就任した。
7月18日のRAWにてビンス・マクマホンの不信任案が役員会で可決されたことをビンスに告げ、その場でビンスのCEO解任を言い渡した。この役員会の決定ストーリーにより後任のチェアマンに就任し、翌週からはCOOとして番組に登場し権力を振るうこととなった。
RAWのGM代行として「ファン至上主義」を掲げた。しかし、保守派のジョン・ロウリネイティス副社長との政治闘争に発展、また権力者となった事によりCMパンクの反体制主義に立ち向かう事となった。
WWE副社長として活躍するジョニー・エース!小橋建太らと切磋琢磨し、暴走狼と呼ばれた全日本プロレス時代!! - Middle Edge(ミドルエッジ)
金髪狼と呼ばれた外国人レスラー「ジョニー・エース」。90年代の全日本プロレスを主戦場に盟友・小橋建太とともに活躍し、三沢光晴の三冠王座にも挑戦したジョニー・エース(本名:ジョン・ロウリネイティス)は、2000年の現役引退後もWWEの副社長として活躍しています。後続のレスラーも使っている必殺技「エース・クラッシャー」などとともにジョニー・エースについて振り返ってみましょう。
2012年
RAWとスマックダウンの両GMとなったジョン・ロウリネイティスがブロック・レスナーと無茶な契約をしたことで、レスナーと抗争、サマースラムにて決着をつけようとしたが、キムラ・ロックを受け惜敗した。また、それに前後して、RAW1000回記念放送ではD-ジェネレーションXとしても登場している。 その後、12月のスラミー賞では久々に登場し、プレゼンターとなった。
2013年
ポール・ヘイマンの策略により、自身のキャリアを賭ける事になったレッスルマニア29のノー・ホールズ・バード・マッチでブロック・レスナーと戦い勝利する。 続くエクストリーム・ルールズでの金網戦では惜敗、大ダメージを受けた翌RAWにて、カーティス・アクセルとの対戦中に体調不良を起こし、試合は中断された。
その後、HHHの体を心配し試合をさせまいとするマクマホン会長と食い違いが起き、3か月ほど権力者同士としての抗争をバックステージなどで繰り広げた。しかし、レフェリーとして参加したサマースラム2013のラストで、WWE王座戦に勝利したダニエル・ブライアンを沈め、マネーの権利を持つランディ・オートンに王座を奪わせることでヒールターンし、ビンス会長やオートンと結託。オーソリティーと呼称される派閥を指揮しブライアンを叩き潰すべく抗争を開始した。
2014年
自らの提唱するWWEの利益のため様々な策を講じていたが、ビンス会長がサバイバーシリーズでチームシナとチームーオーソリティーの敗者チームにリスクを背負わせると発表。SVSでチームが負けた場合HHHとステファニーは権力を失うという事が決まり、当日あらゆる手段を使い組織を勝利させようとしたがスティングが現れシナ達に協力、組織は敗れ権力を失いしばらくRAWなどの表舞台から姿を消したが、12月最後のRAWで非合法的やり取りで権力を奪い返し表舞台に復帰。
2015年
1月19日のRAWで、シナ対セス・ロリンズ、ビッグ・ショー、ケインのハンデ戦を組みシナからWWE王座挑戦権を奪い取ろうとしたが、またしてもスティングが現れシナの勝利に貢献した。このことを期にスティングとの抗争を本格的に開始した。
3月29日、WrestleMania 31にてスティングと遺恨戦を行う(ノーDQ=反則裁定なし)。中盤まで一進一退の攻防が繰り広げられ、D-ジェネレーションXのメンバーが駆けつけるが迎撃され、さらにnWo(ホーガン & ナッシュ & ホール)の登場により劣勢となるが、終盤に援護に駆け付けたショーン・マイケルズがスコーピオン・デス・ロックを極めるスティングにスウィート・チン・ミュージックを決めてHHHを救出、最後は互いの最終手段のスレッジハンマーと黒バットの攻防になり、これを制して勝利した。試合後にはスティングと握手を交わした。