名医のところに行っても「手術してみなきゃ分からない」と言われたり、「(手術を)失敗するのが恐い」とも言われた。
当時であれば、それがベストの答えだったのかもしれない。座禅を組んだり、滝に打たれたりということもしました。
結局、いろいろ調べてドジャースのチームドクターだったフランク・ジョーブ博士にたどり着いた。彼に会ったら「君はどうしたいのか」と聞かれたので「投げたい」と答えて、手術することになった。
ケガをした後、59勝しましたが、それまで(ケガ以前の156勝)より
印象が強いよね。
投げられる喜び、それまでは三振を取ることに執念を燃やした部分が
あったんですが、ケガをした後はゴロを打たせる執念が自分を支えていたと思いました。自分が求めていないフライアウトの時には、
マウンドで自分の顔を叩きましたから。
またジョーブ博士にも「君は医学を超えた、グレートだね」とも
言われました。
200勝達成! 引退へ
1989年5月13日、対日本ハム戦(山形県野球場)で通算200勝を達成。
39歳にして3回目の最優秀防御率のタイトルを獲得する。 翌1990年、
10勝をマークし、10度目の二桁勝利を挙げる。
若林忠志以来、史上2人目となる40歳代での二桁勝利を記録し、
同年に現役引退。
村田兆治【現役最後の登板】1990年10月13日(川崎球場) - YouTube
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引退試合でも145kmのストレートを投げていました。
ファンならずもまだまだできる、という気持ちが
あったのですが、村田兆治の哲学が引退を決意させたのです。
「人生先発完投」
先発完投にこだわった野球人生だからこそ、それが出来なくなったと
感じた時に引退したんですね。
勝負にこだわった投球スタイルと共に、潔い野球人生でした。
ファンならずもまだまだできる、という気持ちが
あったのですが、村田兆治の哲学が引退を決意させたのです。
「人生先発完投」
先発完投にこだわった野球人生だからこそ、それが出来なくなったと
感じた時に引退したんですね。
勝負にこだわった投球スタイルと共に、潔い野球人生でした。
引退後・60代でも130kmを超える速球を投げる!
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【野球】 引退後の村田兆治の投球 - YouTube
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現役を引退しておよそ20年、60歳を越えてなお、毎日スポーツジムに
通っては「超人トレーニング」[8] と呼ばれる激しいトレーニングを
行っている。
内容は、腕立て伏せを500回、腹筋・背筋運動を1000回ずつ、マシンに
よるトレーニングの他、更にダンベルを右手人差し指と中指に挟む
フォークボールの形に握って上下させるというもので、それをゆっくり
時間をかけながらではなく、猛烈なスピードで一気に行う。
村田兆治の野球人生
215勝(歴代15位)177敗33セーブ、防御率3.24、
2363奪三振(歴代8位)
タイトル[編集]
最多勝:1回 (1981年)
最優秀防御率:3回 (1975年、1976年、1989年)
最多セーブ投手:1回 (1975年)
最多奪三振(当時連盟表彰なし):4回
表彰[編集]
ベストナイン:1回 (1981年)
前後期MVP:2回 (1977年後期、1981年前期)
月間MVP:1回 (1981年4月)
カムバック賞 (1985年)
日本シリーズ最優秀投手賞:1回 (1974年)
オールスターゲームMVP:1回 (1989年 第1戦)
パ・リーグプレーオフMVP:1回 (1974年)
パ・リーグプレーオフ敢闘賞:1回 (1981年)
野球殿堂入り (競技者表彰:2005年)
前年に続くロッテのリーグ2位に貢献した。この年の開幕からの11連戦11連勝記録はプロ野球記録である[3]。
同年から、中6日で日曜日のみに登板する先発ローテーションを取るようになったため、「サンデー兆治」とも呼ばれるようになった。
出典:ウィキペディア村田兆治