90年代前半に活躍したプロ野球名投手
1990年代前半、その頃のプロ野球は、秋山・清原・デストラーデという最強クリーンアップを擁していた西武が黄金時代を迎えていた。そんな時代、各チームにエースと呼ばれる個性的な名投手がおり、息詰まる投手戦を繰り広げ、見ごたえたっぷりだった。
そんな90年代前半に活躍したプロ野球名投手をプレイバックしてみましょう!
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野茂英雄
1990年~1994年 近鉄バッファローズ
通算(NPB):78勝46敗1セーブ
1995年~ メジャーリーグ
通算(メジャー):123勝109敗
通算(NPB):78勝46敗1セーブ
1995年~ メジャーリーグ
通算(メジャー):123勝109敗
90年野茂対秋山清原 - YouTube
via youtu.be
1990年には「最多勝利・最優秀防御率・最多奪三振・最高勝率と投手4冠を独占した驚異の名投手。トルネード投法を言われる独特なフォームの為、相手バッターは球種を読めず、三振の山を築いた。
近鉄退団時、チームとの確執も生まれ、マスコミなどからも叩かれたが、今思うと、あの時の野茂の努力が、現在のダルビッシュ、マー君などが活躍できているのではないでしょうか?
ドラフト時、パンチョ伊東氏が8球団、野茂の名前を呼んだシーンは圧巻だった。
近鉄退団時、チームとの確執も生まれ、マスコミなどからも叩かれたが、今思うと、あの時の野茂の努力が、現在のダルビッシュ、マー君などが活躍できているのではないでしょうか?
ドラフト時、パンチョ伊東氏が8球団、野茂の名前を呼んだシーンは圧巻だった。
野茂 英雄(のも ひでお、1968年8月31日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手(投手)。NPBとMLBで活躍した。
長男は北海道日本ハムファイターズの球団通訳。
伊藤智仁
1993~2001 ヤクルトスワローズ
通算:37勝27敗25セーブ
通算:37勝27敗25セーブ
【これは打てない】全盛期の伊藤智仁のスライダー - YouTube
via youtu.be
この人ほど「記録より記憶に残る名投手」はいないのではないでしょうか?
誰も打てないと言われた驚異的なスライダーと、伸びのあるストレートで飄々とした表情で三振の山を築いた。
あのスライダーの曲がり方はまさに魔球そのもの。
新人の頃、肩を酷使したこともあり、怪我に泣き、この成績で終わったものの、間違いなくメジャーでも通用したはずだ。
誰も打てないと言われた驚異的なスライダーと、伸びのあるストレートで飄々とした表情で三振の山を築いた。
あのスライダーの曲がり方はまさに魔球そのもの。
新人の頃、肩を酷使したこともあり、怪我に泣き、この成績で終わったものの、間違いなくメジャーでも通用したはずだ。
伊藤 智仁(いとう ともひと、1970年10月30日 - )は、京都府京都市中京区出身の元プロ野球選手(投手)、プロ野球コーチ。現在は、東京ヤクルトスワローズの一軍投手コーチを務めている。
斎藤雅樹
1984~2001 読売ジャイアンツ
通算:180勝96敗11セーブ
通算:180勝96敗11セーブ
斎藤雅1984・88-91 - YouTube
via youtu.be
今ではほとんど見かけなくなってしまったサイドスロー投法で、競争激しい巨人のエースの座を掴んでいた。1989年、90年と2年連続で20勝を達成。
そんな名投手が200勝達成していないのは、少し意外。
笑顔がカワイイでもお馴染み。
そんな名投手が200勝達成していないのは、少し意外。
笑顔がカワイイでもお馴染み。
斎藤 雅樹(さいとう まさき、1965年2月18日 - )は、埼玉県川口市出身の元プロ野球選手(投手)、プロ野球コーチ。現在は読売ジャイアンツの一軍投手コーチを務める。 サイドスローの投球フォームで1989年から1990年代中盤まで巨人投手陣を支え、2年連続20勝、11連続完投勝利を記録し、沢村賞を3回受賞した「平成の大エース」。選手時代の愛称は同音姓の芸能人・斉藤清六にちなんでセイロク。
NPB ⚾ 🧤 2022/6/1 16:00
すべてやくみつる先生のプロ野球四コマでふざけておもしろがる傾向でした
八 2021/2/20 16:18
今中慎二(中日)
岡林洋一(ヤクルト)
石井丈裕(西武)
野村弘樹(大洋・横浜)
などもいます。