やんちゃ盛りの時は!!相当遊びましたよね。エアロスミスさん
1970年代、当時のロックバンドの間では、「ツアー先のホテルの窓からテレビを投げ捨てる」というのが流行っていた。エアロスミスもその例にもれず、テレビをぼっかんぼっかん派手に投げ捨てていたそうである。
当時エアロスミスの裏方をやっていたディック・ハンセンはこう語った。
「でっかいテレビに長い延長コードをつないで画面をつけたままバルコニーから落とすのが好きだった。そうするとホテルのプールに飛びこんだとき、きれいに爆発するんだ」
延長コードをつけて投げるというのはエアロスミスのオリジナルだったようで、ツアーには特注の超ロングコードを機材と一緒に持ち歩いていたというのだから粋というかアホというか、とにかく愉快な人たちである。
ある日、スティーブンの奥さんがリビングでレッド・ツェッペリンを聴いていた。電話をしていたスティーブンが「音を下げてくれ」と頼んだが、無視したのか聞こえなかったのか、音は下がらない。するとスティーブンはつかつかとアンプにあゆみよると、ワルサーPPKをかまえていきなり5連射。アンプが粉々になったことを確認すると、平然と電話を続けたという。
「あのレコード一枚に半年の時間と50万ドルが費やされた」
さぞや素晴らしいレコーディングだったのだろうと思いきや、彼らがアーモンクでやっていたのはなんと「水鉄砲遊び」だったのである。館の明かりをすべて消して、暗闇の中サバイバル・ゲーム。
水鉄砲に飽きたメンバーに、ギタリストのジョー・ペリーが新しい鉄砲を持ってきた。ところが今度のは水ではない本物のトンプソン・サブマシンガンである。
20丁以上の銃を持ちこんで連日連夜レコーディングをよそに撃ちまくっていたそうだ。シンバルをショットガンでバラバラにするのが楽しかったそうである。これで目覚めたのか、ジョー・ペリーはレコーディング終了後も家で銃を撃ちまくっていたそうである。彼の家はスタッフから「武器庫」と呼ばれていたそうである。
via stat.ameba.jp
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1973年にデビュー。
日本初来日は1977年。
70年代後半クイーン、キッスとともに“3大バンド”の1つとして人気となる。
1998年には海外アーティスト初となる4大ドームツアーを行った。