【男子テニス】1980年代のウィンブルドン決勝の組み合わせと優勝者を振り返る
2017年3月29日 更新

【男子テニス】1980年代のウィンブルドン決勝の組み合わせと優勝者を振り返る

ウィンブルドンの決勝戦は特別です。タイトルを取った選手は最高の栄誉として認められるのです。今回は80年代の決勝を振り返り、その栄誉を手にした選手をまとめてみました。

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女子シングルス優勝者のマルチナ・ナブラチロワが大会「5連覇」を達成し、連続優勝記録で1976年-1980年のビョルン・ボルグに並んだ。ナブラチロワの女子シングルス優勝回数も「7勝」となり、ドロテア・ダグラス・チェンバース(1878年 - 1960年)と並ぶ大会歴代2位タイにつけた。前年に男子シングルスで「17歳7ヶ月」の大会最年少優勝記録を樹立したボリス・ベッカーは、大会2連覇の最年少記録も打ち立てた。
準優勝:イワン・レンドル

準優勝:イワン・レンドル

世界一位。第一シードでのウィンブルドン。
正確無比で強力なストロークが特徴の選手でした。対してボレーは弱点と言われ、ウィンブルドンは苦手としていました。

1987年 レンドルが2年連続の決勝進出! しかし優勝は……

第一シードのベッカーが早々に敗退、新勢力のエドベリ(エドバーグ)がベスト4に進出など世代交代が始まっています。そんな中決勝進出は前年に続いてレンドル、下位シードながら勝ち上がってきたパット・キャッシュの組み合わせです。
優勝:パット・キャッシュ

優勝:パット・キャッシュ

87年はキャッシュが4大大会で最も良い成績を上げた年でした。全豪は準優勝、ウィンブルドンが優勝です。才能に溢れた選手でしたが27歳の若さで引退、ルックスも人気の選手でした。
7-6 6-2 7-5
男子シングルス優勝者のパット・キャッシュは、オーストラリアの男子テニス選手として1971年のジョン・ニューカム以来16年ぶりのウィンブルドン優勝を果たす。準優勝者のイワン・レンドルは前年に続き、2年連続で準優勝の苦杯をなめた。
準優勝:イワン・レンドル

準優勝:イワン・レンドル

2年連続の決勝進出でしたが優勝できず。レンドルは86、87年にウィンブルドンでの優勝に最も近づきましたがどちらもストレートで敗退。この大会以降、レンドルはウィンブルドンの決勝に進むことはありませんでした。

1988年 日本でもアイドル的人気になったあの人が初優勝!

男子シングルスでは、ステファン・エドベリがスウェーデンのテニス選手としてビョルン・ボルグ以来2人目のウィンブルドン優勝者になった。ボリス・ベッカーとの決勝戦は試合開始が大会最終日の遅い時間にもつれ、雨天による日没順延のため日曜日に試合が終わらず、決着が月曜日まで持ち越されたのはウィンブルドン史上初めての出来事だった。
優勝:ステファン・エドベリ

優勝:ステファン・エドベリ

エドベリではなくエドバーグと言われていたような気がします。
キックサーブと言われる外側に跳ねるサービスを武器にしたサーブ&ボレーがプレースタイル。
1985、87年の全豪で4大大会の優勝を果たしていますがウィンブルドンは初の決勝進出でした。
4-6 7-6 6-4 6-2
準優勝:ボリス・ベッカー

準優勝:ボリス・ベッカー

1986年以来の決勝進出。
ウィンブルドンでの戦績は安定感のあるベッカーです。

1989年 88年と同じ顔合わせ・今年は?

男子シングルス優勝者のボリス・ベッカーが、ウィンブルドンで3年ぶり3度目の優勝を達成。女子シングルスに2連覇したシュテフィ・グラフと合わせて“西ドイツ・アベック優勝”と呼ばれた。
優勝:ボリス・ベッカー

優勝:ボリス・ベッカー

3度目の優勝。
ウィンブルドンタイトルは89年が最後となりました。
6-0 7-6 6-4
第一セットが全てでした。競っていたなら全体的にもつれたゲームになった可能性が高いと思います。
準優勝:ステファン・エドベリ

準優勝:ステファン・エドベリ

この年は全仏でも決勝進出、当時17歳のマイケル・チャンに敗れました。エドベリはネットプレーヤとしてはかなり安定感のある選手でした。

まとめ 80年代のウィンブルドン決勝

ボルグ、コナーズ、マッケンローから始まり、ベッカー、エドベリ、キャッシュなどの新勢力が生まれました。2週間で傷んだ芝の上で行われる決勝戦はプレーの質が上がりにくい部分もありますが、ウィンブルドン優勝に向けた情熱が最高の決勝戦を生んでいるのは間違いないと思います。

次回は90年代の男子決勝戦、80年代の女子決勝戦をそれぞれ振り返ってみたいと思います。
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  • びよん 2020/4/27 13:56

    ボルグが81年で負けて以降決勝に進むことがなかったというのは正確ではない。ボルグは81年でマッケンローにやぶれたあとウィンブルドンに出場すらしていないから。なぜそうなったかにはいろいろ理由がある。もっと突っ込んだ取材の望みます。

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