【男子テニス】1980年代のウィンブルドン決勝の組み合わせと優勝者を振り返る
2017年3月29日 更新

【男子テニス】1980年代のウィンブルドン決勝の組み合わせと優勝者を振り返る

ウィンブルドンの決勝戦は特別です。タイトルを取った選手は最高の栄誉として認められるのです。今回は80年代の決勝を振り返り、その栄誉を手にした選手をまとめてみました。

24,861 view
1980~82年の3年間はトップシードの選手による決勝でしたが、83年はNO,1シードのコナーズが4回戦で破れています。その中で勝ち上がったのが4年連続決勝進出のマッケンローでした。
優勝:ジョン・マッケンロー

優勝:ジョン・マッケンロー

4年連続の決勝進出。
全盛期を迎える直前、ネットプレーの才能が開花しています。ノーシードからの勝ち上がりだったクリス・ルイスを圧倒した決勝戦でした。
ルイスがウィンブルドン男子シングルス決勝に進出した1983年は、デビスカップでニュージーランドが「ワールドグループ」で上位争いに加わっていた最盛期の時期にあたる。ルイスは決勝戦で、4年連続のウィンブルドン決勝進出となった世界ランキング1位のジョン・マッケンローに挑戦したが、王者の前に全く歯が立たず 2-6, 2-6, 2-6 のストレートで敗れて準優勝に終わり、ニュージーランドのテニス選手としてアンソニー・ワイルディング(1883年 - 1915年)以来のウィンブルドン優勝はならなかった。
準優勝:クリス・ルイス

準優勝:クリス・ルイス

世界ランキングは最高19位。
83年のウィンブルドンはノーシードからの勝ち上がりでした。

1984年 5年連続決勝のマッケンロー、コナーズへの雪辱?

82年に30歳での優勝を果たしたコナーズが第3シードからの勝ち上がり。トップシードのマッケンローは84年大会で5年連続の決勝進出。
マッケンロー全盛期を証明する決勝戦でした。
優勝:ジョン・マッケンロー

優勝:ジョン・マッケンロー

2年連続3回目の優勝。
84年以降、マッケンローがウィンブルドンの決勝に進出することはなく、グランドスラムタイトルも84年全米が最後となりました。
6-1 6-1 6-2
男子シングルス・女子シングルス・男子ダブルス・女子ダブルス・混合ダブルスの5部門とも、すべて前年優勝者(ペア)が連続優勝を果たした。ジョン・マッケンローとマルチナ・ナブラチロワは単複2冠を獲得。32歳のジミー・コナーズは、これが最後の4大大会決勝戦になった。
準優勝:ジミー・コナーズ

準優勝:ジミー・コナーズ

これが最後の4大大会決勝戦でした。
写真にあるラケットはT-2000、すでに別のラケットに変えていましたがコナーズと言えばこれ、という代名詞でした。

1985年 新生誕生の決勝戦!!

ノーシードのベッカーと8シードのカレンが争った決勝戦。1シードのマッケンロー、2シードのレンドルはベスト8付近で敗れています。
優勝:ボリス・ベッカー

優勝:ボリス・ベッカー

17歳での優勝は歴代2位の若さです。
膝を深く曲げたフォームから繰り出すサービスはブンブンサーブと言われました。200kmを越えるサービスと届かないボールにも飛び込むプレースタイルが魅力でした。
6-3 6-7 7-6 6-4
男子シングルス優勝者のボリス・ベッカー(当時西ドイツ)が、「17歳7ヶ月」でウィンブルドン選手権の男子最年少優勝記録を樹立した。この大会では、ベッカーは世界ランキング38位のノーシードから勝ち上がった。
準優勝:ケビン・カレン

準優勝:ケビン・カレン

カレンの名前が最も記憶されている場面は、何と言っても1985年のウィンブルドン男子シングルス決勝戦である。大会第8シードだったカレンは、上位シード選手を立て続けに破って勝ち進み、まず4回戦でステファン・エドベリ、準々決勝では第1シードのジョン・マッケンロー、そして準決勝ではベテランのジミー・コナーズを破って自身2度目の4大大会決勝進出を果たした。

引用元:ウィキペディア ケビンカレン

1986年 イワン・レンドル悲願の初優勝へ

第一シードで決勝進出、悲願の初優勝を狙うレンドルと前年優勝者、第四シードのベッカーの対戦でした。
優勝:ボリス・ベッカー

優勝:ボリス・ベッカー

18歳で2連覇。
このまま世界のトップに君臨するかと思われましたがナンバーワンに在位した期間は短いものでした。印象的なタイトルや勝ち方をする選手として記憶に残る選手と言えるかもしれません。
6-4 6-3 7-5
60 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • びよん 2020/4/27 13:56

    ボルグが81年で負けて以降決勝に進むことがなかったというのは正確ではない。ボルグは81年でマッケンローにやぶれたあとウィンブルドンに出場すらしていないから。なぜそうなったかにはいろいろ理由がある。もっと突っ込んだ取材の望みます。

    すべてのコメントを見る (1)

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

ジョン・マッケンロー  怒る悪童 氷の男との戦い

ジョン・マッケンロー 怒る悪童 氷の男との戦い

悪童ジョン・マッケンロー、「怒り」や「憤り」は情熱の証。「You Cannot Be Serious!(冗談だろ、マジメにやれ!)」と審判に叫ぶことができる彼は、一般的にガマンを美徳とし得意とする日本人にはできないことをやってしまい、やってのけるのであーる。 悪童ジョン・マッケンロー、「怒り」や「憤り」は情熱の証。「You Cannot Be Serious!(冗談だろ、マジメにやれ!)」と審判に叫ぶことができる彼は、一般的にガマンを美徳とし得意とする日本人にはできないことをやってしまい、やってのけるのであーる。
RAOH | 1,031 view
破産&収監?!テニス界の貴公子ボリス・ベッカーの名声と転落

破産&収監?!テニス界の貴公子ボリス・ベッカーの名声と転落

80年から90年代に一世を風靡した男子プロテニス選手のボリス・ベッカー。ウィンブルドン選手権で史上最年少の17歳で初優勝…あれから約40年。引退、破産、収監、それでも憎めないベッカー氏の名声と転落、女性遍歴などを動画javascript:void(0)を見ながら振り返ってみた。
テニス全米オープン決勝で“大坂なおみ”に破れた『セリーナ・ウィリアムズ』の半端ない凄さ!!

テニス全米オープン決勝で“大坂なおみ”に破れた『セリーナ・ウィリアムズ』の半端ない凄さ!!

9月8日(日本時間9日早朝)テニス・全米オープンの女子シングルス決勝戦で大坂なおみと対戦し惜しくも敗れてしまった、あえての『セリーナ・ウィリアムズ』選手に注目してみました。色々と調べてみると物凄い選手というのが分かりました。
ギャング | 6,106 view
松岡修造!!!  反骨の御曹司、リアルエースを狙え、ラケットを握ったサムライ

松岡修造!!! 反骨の御曹司、リアルエースを狙え、ラケットを握ったサムライ

独特のキャラクターと熱血ぶりで「太陽神」と恐れ崇められる男。 その現役時代は世界の頂点に挑んだが、決して天才タイプではなく力んでしまう不器用なタイプの選手。 ボールを思い切り打って、ひたすらボールを追いかけるというスタイルは、決してスマートでなくケガも多かった。 しかしその感情を込めたパワーは圧倒的だった。
RAOH | 11,841 view
あの偉大なスポーツ選手達が引退した時って何歳だったんだろう?もう”あの頃”の彼らの年齢を超えてしまった

あの偉大なスポーツ選手達が引退した時って何歳だったんだろう?もう”あの頃”の彼らの年齢を超えてしまった

ボクシングや相撲、野球、サッカー、テニスなど、数多くのスポーツや格闘技で輝いた選手達。絶頂期で引退を決めた選手、怪我と戦いながら40歳を超えても第一線で活躍した選手。”あの頃”憧れた選手たちの引退年齢と成績をまとめた。
ひで語録 | 7,759 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト