1試合19奪三振の日本記録を持っている野田浩司さん。
現役時代は、阪神~オリックスと渡り歩き、主に先発として活躍しました。
そんな野田投手の現在を調べてみました!
現役時代は、阪神~オリックスと渡り歩き、主に先発として活躍しました。
そんな野田投手の現在を調べてみました!
プロ入り前~ドラフト
多良木高校から九州産交に進むも、同社野球部が廃部になったための特例措置(通常は3年勤めないといけないが、野田は二年しか勤めなかった。)としてドラフト指名対象となり、1987年のプロ野球ドラフト会議で阪神タイガースから1位指名を受け入団。契約金は5000万円。
ドラフトでの入団~阪神時代
1年目から規定投球回に到達するなど先発・リリーフどちらもこなし、入団3年目の1990年に11勝を挙げ、翌1991年は開幕投手に指名される。1992年はリーグ2位に貢献。阪神時代には、地元熊本にちなんで「火の国伝説」との愛称で親しまれていた。
阪神からオリックスへのトレード
1992年オフ、優勝を逃したのは長打力のある打者が不足していたためという補強により、松永浩美との大型トレードでオリックス・ブルーウェーブへ移籍する。当時、ヤクルトスワローズ監督の野村克也は、野田の決め球であるフォークボールが鋭く落ちて視界から消えるため「お化け」と呼び、トレードで去る時に「フォークのお化けが消えた」と喜んでいた。 移籍の際に同僚の和田豊が餞別代わりに野田自身のフォームのクセを指摘、それが移籍後の飛躍へと繋がる。
オリックスでエースとして活躍
via www.zakzak.co.jp
移籍1年目の1993年に17勝を挙げ、最多勝を獲得。また4試合連続2桁奪三振も記録した。 オリックス移籍後、3年連続2桁勝利と200奪三振を記録する。同時期に野茂英雄と伊良部秀輝が居たため最多奪三振のタイトルは獲得出来なかったが、1994年8月12日の対近鉄戦にて、プロ野球タイ記録となる1試合17奪三振を記録。
1試合19奪三振の日本新記録を達成!
1試合で19奪三振と言う前人未到の記録を持っています。
1試合は27アウトなので、1回ごとに2三振取らなければなりません。けど、試合の勝ち投手ではありませんでした。。。
1試合は27アウトなので、1回ごとに2三振取らなければなりません。けど、試合の勝ち投手ではありませんでした。。。
オリックス 野田浩司 1試合19奪三振 -1/3 - YouTube
via www.youtube.com
引退~コーチ、解説者として
フォークを武器にする投手には宿命とも言える右肘の故障で、1998年以降は勝利なしに終わり、同年オフには右肘を手術するも2000年に戦力外通告を受け、現役引退。
コーチとしては、2004年はオリックス、2005年途中から2008年までは社会人野球・ニチダイの投手コーチをそれぞれ務め、2006年にはニチダイを創部初の第77回都市対抗野球大会出場に導いた。