アントニオ猪木の燃える事件簿2  政治家編
2016年12月20日 更新

アントニオ猪木の燃える事件簿2 政治家編

プロレスラーと国会議員二足の草鞋を履いて活躍したアントニオ猪木のまとめ。 1989年に当選し、戦時のイラクに乗り込み、あわや都知事かといわれた後、自らの党の元幹事長と元公設秘書から告発され、1995年に落選するまでの事件簿。

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新間寿

新間寿

「1990年のイラクの人質解放についても裏事情があった。
人質解放は名目上のことで、実はイラクの石油の輸出利権のすべてを猪木が握ろうとしたのが本来の目的だったのだ。
彼はそれをエサに佐川急便に話をもちかけてチャーター便を出してもらったのだ。
それ以外にも竹下登を「ほめ殺し」
(当時、総理大臣だった中曽根康弘から受ける次期総裁の指名をめぐって、安倍晋太郎、宮澤喜一と争っていた竹下登が、暴力団とつながりが深いとされる右翼団体である日本皇民党から、「日本一金儲けのうまい竹下さんを総理にしましょう。」と「ほめ殺し」を受けた。
「ほめ殺し」は右翼団体が行う街宣活動の一形態で、攻撃対象を徹底的に誉め称える嫌がらせの街宣活動を行い圧力を加える。)
にした皇民党のメンバーがイラクに同行していたことや、猪木の外務省職員に対する殴打事件が明らかになったが、一部のマスコミは人質救出当時から、この事実を知っていた。
知っていたにもかかわらずみんな書かないでいてくれただけだ。
それが1993年の佐藤久美子の告発事件のとき初めて記者が猪木の釈明会見で質間した。
そのとき猪木が何も答えられなくなって、わけのわからないことをわめきたてた様には驚かされた。
あんな錯乱状態の猪木というのは見たことがなかった。
そのときにやはり石油利権の話は本当だなと確信した。
ただそれでも私の猪木に対する気持ちは変わらなかった。
しかし私が猪木に対して気持ちが冷めていったのはほかでもない、1991年の東京都知事選の出馬断念の真相を知ってからだった。」
(スポーツ平和党幹事長:新間寿)
 (1802997)

1991年2月、猪木は東京都知事選に出馬表明した。
しかし3月には出馬を断念した。
出馬断念の理由は後日明らかになる。
3月4日に、東京佐川急便の渡辺広康社長の宴席で、金丸信、小沢一郎、猪木の4者会談が行われ、その場で借金がチャラになる代わりに出馬断念が決まったのだ。
新間は猪木から出馬断念の本当の理由を聞き耳を疑った。
『新間、すごいよ。
佐川急便はすごいよ。
オレを都知事選から降ろすのに16億チャラにしてくれたよ。』
その言葉を聞いたとたん、新間は猪木というのは「こういう人なのだ」と失望し、気持ちが冷めていった。

その後、内田裕也が、東京都知事選に立候補するため、都選管事務局に赴き事前審査の手続きを行った。
「行動派として尊敬していたアントニオ猪木氏が突然、知事選出馬を取りやめたことがきっかけ。」
だという。
急遽、選挙ポスターは、赤坂プリンスホテルの結婚式場で撮影し、1枚づつ直筆のサインを入れた、
(このポスターは選挙終了後、ファンの手で自主的に回収された。)
政見放送では、まず冒頭でジョン・レノンの『パワー・トゥー・ザ・ピープル』を歌い、自らの経歴を英語で語った。
選挙演説はトラックをステージにしての路上ライブだった。
4月7日に行われた投票の結果、内田裕也は54654票を獲得。
東京ドームを満員にする数字だった。
東京都知事選出馬断念直後、猪木の公設第2秘書をしていた佐藤久美子から新間寿に報告があった。
「段ボールが1箱なくなった。」
ちょうど決算時期で、秘書たちは、スポーツ平和党関連の領収書などの資料を段ボールにまとめて入れておいたものがなくなってしまったという。
新間が猪木の運転手に電話すると
「(猪木)議員の指示だったんです。」
と認めて段ボールを持ってきた。
1966年、猪木は、大学卒業後、マックスファクター(化粧品メーカー)でサラリーマンをしていた新間寿と共に東京プロレスを旗揚げした。
しかし3ヵ月で潰し、日本プロレスに戻った。
このときも猪木は新間の留守中に、小切手や印鑑をみんな持っていってしまったことがあった。
しばらくすると猪木が新間を呼び出した。
そしてスポーツ平和党の幹事長:新間寿と猪木議員の公設秘書:佐藤久美子は解雇された。

議員秘書、捨身の告白

「たとえ返り血を浴びるような結果になっても、猪木議員の不正を告発し、その議員生命を断たせたい。」

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1992年7月、スポーツ平和党は、第16回参議院議員通常選挙に、比例代表候補として、元阪神タイガースのプロ野球解説者:江本孟紀を擁立した。
江本は当選しスポーツ平和党は参議院で2議席目を獲得した。

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1993年5月、
猪木の公設秘書だった佐藤久美子が
「たとえ返り血を浴びるような結果になっても、猪木議員の不正を告発し、その議員生命を断たせたい。」
と、、『週刊現代』で、「還付金の不正所得による巧妙な脱税工作の実態と3億円に及ぶ巨額の税金滞納」という記事を掲載し猪木を告発した。
(この記事は5週にわたって掘り深く取り上げられた。)
また著書『議員秘書、捨身の告白―永田町のアブナイ常識』で、
「政治資金規正法違反」
「賄賂」
「脱税工作」
「税金滞納額3億円」
「猪木と佐川(急便会長)&皇民党(右翼団体)の闇のトライアングル」
「選挙応援で1億円の謝礼」
「都知事選出馬撤回を取引に受け取った巨額な佐川マネー」
「右翼(日本皇民党)との癒着問題」
「女性問題(カンボジアで13歳の少女買春)」
「猪木議員手作り1000円事件」
「猪木が旧ソ連でマンモスの牙不正輸入」
など、数々の問題を暴露した。
佐藤久美子は、1956年に生まれ、横浜学院高等部時代にモデル、ラジオのDJのバイトを始めた。
その頃、NET(テレ朝)で新日本プロレス営業本部長:新間寿に出会った。
高校卒業後、渡米し、庭師、バーのバニー・ガールなどをしながら語学学校へ通い、帰国後、ラジオ関東の深夜放送のDJの仕事をした。
相方は岩城こう一だった。
ラジオDJを終えてからは、カフェバーや株で儲けた。
26歳頃から新間寿の政治団体「健康産業政治連盟」の仕事に携わるようになり、アントニオ猪木が議員当選後、公設第2秘書になり、その後、第1秘書だった猪木の実兄:猪木快守が、借金の未払い問題でクビになり第1秘書に昇格した。
しかし性格がのん気で無邪気、かつ邪悪な猪木と、まともでキツい佐藤久美子が合うはずもなく、1993年に解雇された。
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議員会館の部屋に「汚れた水を浄化する」というバクテリアの入った水槽を設置し、東京湾からヘドロを採取し水槽の中に入れたため悪臭が充満。
何日経っても変化はなく、1ヶ月以上も匂いに悩まされた佐藤が猪木に止めるようにと頼むと
「俺が地球の環境のことを考えて実験しているというのになんというふとどきなことを言うんだ。」
と怒られた。
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1991年、猪木はペルーのフジモリ大統領を訪問。
このとき「ペルーの水を浄化してあげるんだ。」と実験用具とコレラ、チフス菌を培養した試験管を持参した。
しかし途中で病原菌の入った試験管を紛失し、実験せずに帰ってきた。
病原菌はその後どうなったかは不明。
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猪木は、尿にいれて飲むと体に良いという健康薬品をもらい実践。
周りの人間にも勧めイヤがられる。
さらには自分の尿のエキスと薬を混ぜたものを持ってきて
「これは俺の小便でつくったんだ。
疲れたときこれをなめるとよく効くぞ。」
といって配った。
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「ライオンタマリン」は、猪木の第2の故郷:ブラジルに生息する小さな猿。
顔に金色の長い毛が生えていてライオンみたいな顔をしている。
環境変化で、彼らの住むところが減少してきているという。
国会で猪木はいきなり海部首相に
「海部首相、首相はライオンタマリンってご存じですか?」
と質問した。
通常、国会質問は事前の打ち合わせがあるが、何の脈絡もなく突然「ライオンタマリン」が出てきたため、海部首相は面食らってしまった。
それをみて調子に乗った猪木は「ライオンタマリン」の説明を始めた。
委員会終了後、参議院事務局速記係から猪木の部屋に電話がかかり「ライオンタマリン」について質問攻撃。
議員会館で「ライオンタマリン騒動」が起きた。
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