アントニオ猪木の燃える事件簿2  政治家編
2016年12月20日 更新

アントニオ猪木の燃える事件簿2 政治家編

プロレスラーと国会議員二足の草鞋を履いて活躍したアントニオ猪木のまとめ。 1989年に当選し、戦時のイラクに乗り込み、あわや都知事かといわれた後、自らの党の元幹事長と元公設秘書から告発され、1995年に落選するまでの事件簿。

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猪木は、水浄化装置の権利を買うため、不正に所得税還付を受け取ろうと工作。
しかし長年にわたり国税を滞納していたため、還付金はまるごと棒引き。
一銭も入らず。
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猪木は「手かざし」で知られる「真光」の信者で、1989年10月14日、猪木が講演中、暴漢に襲われたとき、佐藤が病院に行くと、宗教真光の幹部が猪木に手をかざしていた。
猪木は佐藤が仕事をしているとき、背後にやってきて
「エネルギーを分けてあげる。」
といって手かざしをしてきたこともあった。
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猪木は無類の宗教好きで
「天はおれがほしいものをほしいときに与えてくれる。」
が口癖。
1990年にはイスラム教にも入信している。
イスラム名は、「モハメッド・フセイン」。
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猪木快守’(アントニオ猪木の兄)がキューバから国際電話してきた。
「佐藤さん、カリブ海で、昔、海賊が沈めた船のありかを示す地図を見つけたんだ。
お金のことでは、佐藤さんにいろいろ苦労をかけたけど、これでゆったりした気持ちで仕事してもらえるようになるからね。」
佐藤は相手にしなかったが、アントニオ猪木、すなわち猪木寛至は
「兄貴、すごいな。
内緒にしておけよ。
絶対、誰にも言うんじゃないぞ。
・・・・そうか、それなら船がいるな。
船をどうやって手配したらいいか佐藤君に調べさせるから・・・・」
と本気で興奮していた。
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1991年の猪木の東京都知事選出馬のきっかけは、かつて猪木はソ連の利権を得るためにプロレスを利用してソ連首脳陣に接触を図っていた。
その過程で知り合ったバグダーノフ将軍らに、猪木は都知事の許可も得ずに鈴木東京都知事(当時)を連れてくると約束。
さらに勝手に佐川急便の中古のトラック100台をプレゼントするとも約束。
結局どれも果たせず、ソ連首脳陣から「嘘つき」呼ばわりされ、以後、「クレムリン出入り禁止」となった。
以後、猪木は鈴木知事を逆恨みし、おまけに猪木vsアリを茶番とけなしたNHKの磯村尚徳が東京都知事選立候補を表明。
猪木は都知事選出馬を決意した。
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成田空港で、猪木は佐藤に頼んだ。
「本を買ってたんだ。
あとで金を払っておいてくれ。」
佐藤が支払いに行くと
「本代1000円借りました 猪木寛至」
と書かれた紙片を渡された。
これは「アントニオ猪木手作り1000円事件」として伝説となった。
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猪木は大の文房具好きで、文房具店に入るとなかなか出てこない。
ある日、猪木が議員室に閉じこもったまま、いやに静かだったため、佐藤はそっと中をのぞいて見た。
すると猪木が小さなハサミで紙を小さく刻んで遊んでいた。
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1990年、猪木は国会の会期中にイラクに旅立った。
届けを出していないため「無届け外遊」だった。
佐藤は猪木が帰国する前に関係各所に謝罪して回った。
猪木が帰国すると、形だけでもいいから謝罪してほしいと頼んだ。
すると猪木は着替えるために議員会館の議員室に入った。
すると中から「ガターン」とものすごい音がして、みてみると猪木が床に倒れていた。
「俺、具合が悪いから今日は家に帰る。」
「いい加減にして下さいよ。
子供じゃないんだから。」
結局、猪木は謝罪して回った。

「めんどくせえ!!」

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佐藤久美子と共に、新間寿も、連日、ワイドショーに出演し、猪木のスキャンダルを暴露した。
1993年6月30日、
たちまち疑惑まみれになった猪木は記者会見を開き、暴露本や週刊誌に出た数多くのスキャンダルを完全否定した。
そしてマスコミに
「なぜちゃんと反論しないのですか?」
と聞かれると
「めんどくせえ!!」
の一言で終わらせた。
「ワールドプロレスリング」を放送するテレビ朝日は、アントニオ猪木の試合は放送しないことを決め、1995年1月4日に解禁となるまで1年間、テレビで猪木の試合が見られない状態が続いた。

アントニオ猪木のPKO

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