その時窓は開いていた!「キャプテン翼」原稿盗難事件
2017年10月18日 更新

その時窓は開いていた!「キャプテン翼」原稿盗難事件

前代未聞の盗難事件!1987年3月の出来事だったと思います。…というのはその日海外でマイクタイソンの防衛戦があって夜食時食堂で中継を見ていた時に起こった事件だったからです。1987年のタイソンの防衛戦は3月と5月…コミックスで調べてもらったらおそらく…

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それはいつもの仕事中の事でした。

その頃、僕はまだデビュー前「キャプテン翼」高橋陽一さんのアシスタントに入っていました。

「翼」は中学生編準決勝試合終了直後から入って連載終了まで手伝っていたのですがその中でもジュニアユース編…「キャプテン翼」大人気の頃です。

その頃の仕事のペースは初日、夕方から入って朝方の5時くらいまで仕事。仕事場に寝室があって昼くらいまで寝て、起きてまた朝方の5時まで仕事です。

もちろん起きてすぐに朝食、夕方6時ごろに夕食…そして深夜1時頃に夜食と日に三度の食事を挟んでの仕事、そんな形で数日で毎回の話を仕上げていたのでした。

アシスタントの人数は3人から4人、陽一さんも同じ部屋で仕事をしている時期もありましたけどその頃は陽一さんは2階の自分の部屋で仕事をし、1階の仕事部屋ではアシスタントだけで作業していました。

そしてその日、何日目の仕事だったかよく覚えてはいないのですがもうちょっとで終わる…そんな状態での夜食の時のことでした。

当時ボクシング、ヘビー級でマイクタイソンが大人気でその日何度目かの防衛戦があり、試合を見ながら夜食をとろうとちょっとだけ時間をずらして食堂に行ったのを覚えてます。

「タイソンの試合は1ラウンドKOとか早く終わるから仕事に影響ないよ!」そんなことを言いながら…
あの頃のマイクタイソン!衝撃的でした!

あの頃のマイクタイソン!衝撃的でした!

僕は昔からプロレスファンでそれほどボクシング好き…というわけではなかったのですが、この頃のマイクタイソンの試合は本当に面白くて楽しみにしていました。
あっ、でもボクシングを生で見に行った事はなくてプロレスの異種格闘技戦で生のボクサーを見たことがあるくらいです。
そういえばアントニオ猪木VSレオン・スピンクスが行われた「猪木闘魂ライブ」に連れて行ってもらったのもこの頃だったかもしれません…ってその試合より、その前の前田日明VSドン・中矢・ニールセン戦の方が印象に残っていますが…。

仕事場に戻ると僕の机の後ろの窓が…

案の定タイソンの試合は早く終わっていつもの食事休憩時間とあまり変わらない時間で仕事場に戻れたと思います。

仕事場に入ると自分の仕事机のところに行くのですがなぜか窓が開いていました。
変だな、確か占めたはずなのにと思いながら窓を閉め机に向かうと机の上にあったはずのやりかけの原稿がありません。

風で飛ばされたのかと思い周囲を見回しても見当たらず仕事仲間に「誰か隠した?」とか「知ってる?」とか聞いて回ったのですが誰も知らないと言います。

そうです、マイクタイソンの試合を見ていたわずかな時間に僕がやっていた原稿(だけ!)が盗まれたんです。

割と近くの人にはそこが陽一さんの仕事場だとばれていましたし、たまに悪戯などもあったことはあったのですがまさか原稿が…それもたまたまでしょうが…僕が担当していた原稿だけが盗まれるなんて!

僕の長いアシスタント経験の中でも一番の大事件でした!
仕事場に戻った時、ボクの席の後ろの窓が開いていて…

仕事場に戻った時、ボクの席の後ろの窓が開いていて…

机の上に置きっぱなしにしてあったやりかけの原稿…が見当たらなかった時、仕事場にいた全員に聞いたのですがみんな急にそんなことを言われて逆にびっくりしてニヤニヤしながら「知りませんよ~っ」って!
それがまたまるで悪戯されたような気がしてホンキで疑ったのも事実でした…でもなぜか窓が開いていた…開けた記憶もないのに!
もしや誰かがこの窓から…ちょっとずつ状況を理解したのでした。

盗まれた原稿は「翼」のシュートのシーン

確かもう仕上げの作業…ホワイトではみ出している部分の修正をしていた原稿でコマ割りのない1ページ丸々「翼」のシュートシーン、そんなページでした。

いくら探しても見つからないので2階の陽一さんに報告に行きました。

「えっ、本当に盗まれちゃったの?」と陽一さんも半信半疑、「いいの?本当に描き直すよ、いいの?」と半ば笑いながら言ってくれ気持的には本当に助かったのですが「申し訳ありません、お願いします」と描き直してもらい特急で仕上げ、その週の仕事は無事に終わったのですが、もしどこかでこのシーンに似た未仕上げの「翼」の原稿が出てきたらそれは盗難品です!

後日…だいぶたってからですが、某マンガ家さんのところにアシスタントに入っていた先輩が助っ人で来てくれた時、仕事中いろいろな話をよくしているのですが、この話になった時に「ウチでもそんな事…原稿が1ページなくなった事が一度あったよ!ただそのそのあとすぐに新人が辞めてさ、そいつの机を整理したらこぼしたインクで真っ黒のグチャグチャの原稿がでてきたんだ」と陽一さんも部屋にいたのに余計なことを言ってくれました!

「へ~っ」と言いながらみんな僕の方を見ます…
「ぼ・僕はインクこぼして盗まれたフリなんてしてないですよ~っ」

あわてて言ったのですが陽一さんもアシスタント仲間もみんなニヤニヤして…
これが問題のページ…描き直し版です!

これが問題のページ…描き直し版です!

手持ちのコミックスが引っ越し以降しまい込まれていて見つからないので「翼」ファンのミドルエッジ編集長に探してもらったコミックスのページです。
30年以上も前にした仕事、覚えているはドライブシュートを打つ瞬間のカットで1ページ丸まる一コマだったということと、その日マイクタイソンの防衛戦があったということだけです。
人間困ったことに襲われたら無意識のうちに笑ってしまう事があるのですがこの時ニコニコ笑いながら、仕方ないな…という感じでもう一度原稿を描いてくれた陽一さんには感謝してもしきれません。

ここでしか読めない!ナカガー書き下ろしの「時空探偵マツ・de・DX」はコチラから

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