90年代紅白歌合戦珍場面
大晦日に紅白観て、除夜の鐘聴いて、年越し蕎麦を食べる、日本の風習は大事にしていきたいですよね。そんな大晦日の代名詞になっている紅白歌合戦では、今以上に90年代などは話題性抜群の名場面、珍場面ばかり!生放送だからこそのハプニングも満載の90年代紅白珍場面を集めてみました。
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1990年 長渕剛「ドイツより中継で電波ジャック」
1990年VIP出演となった長渕剛は、ベルリンの壁が崩壊したドイツベルリンから生中継。司会の松平アナとのやり取りで「現場を仕切ってるのはドイツ人」「日本人はタコばっかり」と現地入りしていた日本人スタッフをいきなり批判。その後、『いつかの少年』『親知らず』『乾杯』の3曲も歌い、北島三郎が大激怒し、電波ジャックと騒がれた。
長渕剛 90年紅白ベルリンよりいつかの少年
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長渕 剛(ながぶち つよし、1956年9月7日 - )は、日本のシンガーソングライター・俳優・詩人・画家。本名は同じ。デビュー時の芸名は名の読みが(ごう)。Office REN(オフィス・レン)所属。妻は志穂美悦子。長女は文音。長男はWA航RU。次男は長渕蓮。
鹿児島県日置市生まれ、鹿児島市育ち。鹿児島市立中郡小学校、鹿児島市立甲南中学校、鹿児島県立鹿児島南高等学校情報処理科を経て、九州産業大学芸術学部中退。
1991年 とんねるず「受信料を払おう」
1991年に出場したとんねるずは、度肝を抜く衣装で登場。石橋は白、木梨は赤のボディペインティングのパンツ一丁姿で、背中には「受信料を払おう」と書かれていた。
とんねるず (Tunnels) は、石橋貴明と木梨憲武の2人からなる日本のお笑いコンビ、音楽デュオ。所属事務所はアライバル。
1980年に高校の同級生同士である石橋と木梨により結成。1982年に『お笑いスター誕生』でグランプリを獲得。1980年代半ば『オールナイトフジ』、『夕やけニャンニャン』などの出演によって、人気を獲得。1988年には『とんねるずのみなさんのおかげです』のレギュラー放送が開始。その後1989年から番組休止の1994年まで当番組で視聴率1位を独占。さらに、『ねるとん紅鯨団』、『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』、『とんねるずのハンマープライス』なども好視聴率を獲得。一方、歌手活動も行い「情けねぇ」は日本歌謡大賞受賞、「ガラガラヘビがやってくる」はミリオンヒットとなる。
1992年 小林幸子「電飾トラブル」
もはや衣装を超えセットとなり始めていた頃のラスボスこと小林幸子。この年のテーマは「光のファンタジー」、6万2500個の電飾をつけて登場したが、なんと一部しか点灯しないハプニング。自腹で作成と言われており、なんとも悔しい結果となってしまった。
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小林 幸子(こばやし さちこ、1953年12月5日 - )は、日本の演歌歌手、女優、タレント、実業家。本名、林 幸子(はやし さちこ)。旧姓、小林。血液型はA型。身長165cm。
漫画家の小林まこととは親戚である。
1992年 本木雅弘「コンドームの衣装」
1992年、本木雅弘が、エイズ撲滅のためのアピールだったとはいえ、コンドームに見えるものを持って熱唱。物議を醸す結果に。
本木雅弘 「東へ西へ」 【1992年 紅白歌合戦】
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本木 雅弘(もとき まさひろ、1965年12月21日 - )は、日本の俳優、元歌手。本名・内田 雅弘(うちだ まさひろ)旧姓・本木。愛称は「モックン」「すばる」。埼玉県桶川市(旧・北足立郡桶川町)出身。血液型A型。身長172cm、体重68kg。
ジャニーズ事務所所属の3人組アイドル「シブがき隊」の元メンバー。所属芸能事務所はジャニーズ事務所 → 個人事務所「メンズアート」。