2018年5月10日 更新
ピンク・レディー解散後の方がキレイ。90年代のケイちゃんこと増田恵子は、セクシーだったんだなぁ。
年を取ってからの方がキレイという女性がいますね。ケイちゃんこと増田恵子もその一人ではないでしょうか?!いえ、勿論ピンク・レディー時代も可愛かったです。スタイルも良かった。しかし解散後、90年代初頭の増田恵子はセクシーだったんですよねぇ。
増田恵子
どちらかと言えば、ピンク・レディー時代には、ミー派の方が多かったのではないでしょうか?勿論、当時からケイちゃんは美しかった!ファンも多かった!しかし、美しさが増すのはピンク・レディー解散後、ソロになってからのように思えます。
もっと早くに気付いておけばなぁ!
ピンク・レディー
ケイちゃんこと増田恵子を語るうえで、やはり避けては通れないのがピンク・レディーですね。増田恵子がピンク・レディーのケイとしてデビューしたのは1976年のことでした。
ピンク・レディー
ピンク・レディーは1976年8月に発売されたデビュー・シングル「ペッパー警部」がいきなり60万枚という大ヒットとなり、続く「S・O・S」、「カルメン'77」もオリコン1位を記録します。
更に1977年6月に発売された4枚目のシングル「渚のシンドバッド」は、ピンクレディーにとって初めてのミリオンセラーとなり、社会現象を巻き起こします。
その後もご存知のように「ウォンテッド(指名手配)」、「UFO」、「サウスポー」、「モンスター」と大ヒットを連発します。
Pink Lady's Great Motion Picture 1978 EXTRACTS
ピンク・レディーの全盛期となると、1977~78年の2年間でしょう。
その後はアメリカ進出を果たすなどの活躍もありましたが、1980年9月1日に解散を発表します。そして2人はソロとして活動することになります。
ソロ
ピンク・レディー解散後にソロ歌手として、「すずめ」を発売します。これがケイちゃん人気と曲の良さもあり、26.7万枚という好セールスを記録します。
ソロ歌手として幸先の良いスタートを切った増田恵子は続く「ためらい(作詞・作曲:松任谷由実)」、更には「らせん階段(作詞・作曲:竹内まりや)」、「女優(作詞・作曲:桑田佳祐)」と立て続けにニューミュージック系のアーティストとコラボしていきます。
ただ、みんな良い曲だったのですが人気は徐々に低迷していき、1986年頃からは芸能活動はほぼ休業状態となってしまいます。
活路を見出す!ということだったのでしょう。1990年に入ると嬉しいことに増田恵子はセクシー路線に舵を切ります。もしかすると、元相方のミイちゃんが映画「コールガール」でヌードを披露していたことも影響していたのかもしれません。
セタナムール
1990年11月に「C'est un amour(セタナムール)」という写真集とビデオを発売します。これが、もう、ファンには嬉しい待ってましたと言いたい素晴らしい出来栄えなんです。
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出身地:静岡県静岡市
職業:歌手、女優、タレント
活動期間:1976年 - 2018年