義手の歌手に捧げられたブルーハーツの名曲「僕の右手」
2021年5月27日 更新

義手の歌手に捧げられたブルーハーツの名曲「僕の右手」

ブルーハーツの3rdアルバム『TRAIN-TRAIN』。その中に『僕の右手』という楽曲が収録されています。この曲のモデルは、片腕のロック・ヴォーカリストMASAMI。1992年に36歳で死去した彼の人となりや楽曲にまつわるエピソードを知れば、きっと、この佳曲がより魅力的に聴こえることでしょう。

123,295 view

ブルーハーツの3rdアルバム『TRAIN-TRAIN』に収録された佳曲『僕の右手』

1988年11月23日にリリースされた、THE BLUE HEARTSの3rdアルバム『TRAIN-TRAIN』。表題曲の『TRAIN-TRAIN』をはじめ、『ラブレター』『青空』といったシングルカットされたヒット曲も収録され、オリコン最高位としては週間3位を記録。いうまでもなく、ブルーハーツの歴史を語るうえで欠かすことのできない名盤なわけですが、その中の1曲に『僕の右手』という楽曲があります。
THE BLUE HEARTSの3rdアルバム『TRA...

THE BLUE HEARTSの3rdアルバム『TRAIN-TRAIN』

1988年11月23日リリース

片手のヴォーカリスト・MASAMIについて歌った楽曲だった

この楽曲、ファンクラブの会報などで発表された当初のタイトルは『僕の右手を知りませんか』だったそうです。確かに、同曲の歌いだしは「僕の右手を知りませんか?」となっており、曲がつくられた背景まで知ると、元の表題のほうがしっくりいくような気も個人的にはします。

というのも、この『僕の右手』は、GHOUL(グール)というハードコア・パンクバンドのフロントマンで、「片手のパンクス」と呼ばれていた、甲本の友人だったとされる『MASAMI』について歌った楽曲だからです。
ブルーハーツ / 僕の右手 (1992.8.9)

ブルーハーツ / 僕の右手 (1992.8.9)

小学1年生のころのダイナマイト遊びで、右手を失ったMASAMI

まず、『MASAMI』とはどんな人物だったのかを、簡単に説明していきましょう。MASAMIこと細谷雅巳は1957年8月29日生まれで、千葉県出身のロック・ヴォーカリスト。小学校1年生のときにダイナマイト遊びをしていた際、右手首から先を失い、義手での生活を余儀なくされます。

図らずも背負うことになったハンディキャップを憂うのではなく、むしろ、反骨へのエネルギーに変換して、ロックンロールの道を志したMASAMIは、26歳のときにGHOULを結成。他にもSQWAD、BAD LOTSというバンドでもヴォーカルをつとめ、80年代のアンダーグラウンドシーンで、カリスマ的な支持を集めました。
“片手のパンクス”ことMASAMI

“片手のパンクス”ことMASAMI

強烈なパーソナリティをもっていたMASAMIの武勇伝とは?

ちなみに、MASAMIは、かなり破天荒かつ武闘派なミュージシャンだったらしく、その豪傑っぷりを示す、こんなエピソードがあります。

それはあるツアーにおける移動中のこと。サービスエリアに立ち寄り、車を降りて休憩所へ向かう際、進行方向には暴走族の集団がズラリ。頭数はバイクの台数にして、30~50台ほど。善良な一般市民であれば、どんなに面倒だとしても、迂回したいところです。
ところが、MASAMIは「関係ねぇよ!」と吐き捨て、その集団のど真ん中を堂々と闊歩。あわてふためくバンドのクルーたち。いつ、暴走族たちが襲い掛かってきてもいいようにと身構えるのですが、なんと、MASAMIの進路に合わせて、連中は潮のように、サーッと引いていったのだとか。

喧嘩上等の不良たちをして、そのただならぬ怒気だけで退散させるなんて、この男、只者ではありません。
GHOUL MASAMI

GHOUL MASAMI

このいかつい風貌!ヤンキーたちが恐れをなすのも、無理ありません。しかし、仲間にはとても優しい人だったといいます。

ステージで倒れ、昏睡状態のまま36歳の若さで死去した

『僕の右手』がリリースされた翌年にあたる1989年。MASAMIはステージでパフォーマンス中に突然倒れて、それからというもの昏睡状態に陥ります。結局、目を覚ますことなく、1992年9月に肺炎を併発して逝去。享年36歳の若さでした。

MASAMIの死をうけて、新宿アンチノックでは、5日間にわたって追悼ライブが開催されます。嘘か本当かは定かではありませんが、このイベントに出演した甲本ヒロトは『僕の右手』を、涙ながらに熱唱したとのこと。その際、彼がステージ上で発したとされるメッセージが次の通りです。
「死んだヤツのために歌う歌なんかない。あるとすればここに来てるみんなのための歌だ。 だけどこれだけの人を集められるのはMASAMIだけだろう。 美談にはしたくないけど、最後にめちゃくちゃいいヤツだったと言っておこう。 感傷じゃないよ。正直な気持ち。だって生きてるときからそう思ってたんだもん」
ブルーハーツ  トレイントレイン 音楽/動画 - ニコニコ動画 (1891333)

亡き友を想い、ヒロトは感極まったといいます。

『僕の右手』は、誰もが共感できるメッセージソング!

このように、今は亡き片腕のロック・ヴォーカリストMASAMIへ捧げられた『僕の右手』。「僕の右手を知りませんか?」「行方不明になりました」という出だしの歌詞や、「見た事もないようなマイクロフォンの握り方で 聞いた事もないような歌い方するよ」という楽曲終盤の一節は、まぎれもなくMASAMIについて歌っているといって良いでしょう。

けれども、「人間はみんな弱いけど 夢は必ずかなうんだ」「瞳の奥に眠りかけた くじけない心」「今日も明日もあさっても 何かを探すでしょう」など、万人が共感できる応援メッセージも要所要所に含まれているのが、この楽曲のうまいところ。

足りない「何か」を求めて、一つのことを信じ、ひたすら打ち込む心の大切さ…。そんな片手のパンクス・MASAMIが表現し生き様の美しさを、ヒロトは『僕の右手』という楽曲で伝えたかったのかも知れません。

僕の右手 / THE BLUE HEARTS / LIVE

(こじへい)
20 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

甲本ヒロトが在籍したバンドを辿ります!

甲本ヒロトが在籍したバンドを辿ります!

甲本ヒロトさんは永いキャリアの中で、いくつかのバンドに在籍してきました。今回はそんな甲本ヒロトさんの所属したバンドを辿ってみたいと思います。是非最後まで読んでみてくださいね(^^)/
つきねこ | 42,591 view
1988年リリース 【THE BLUE HEARTS】のアルバム『TRAIN-TRAIN』を振り返る

1988年リリース 【THE BLUE HEARTS】のアルバム『TRAIN-TRAIN』を振り返る

この記事では、1988年にリリースされた【THE BLUE HEARTS】の3枚目のアルバム『TRAIN-TRAIN』に焦点を当ててみたいと思います。
つきねこ | 2,731 view
原発・キ○ガイ…今なら放送が難しい?危険なブルーハーツ曲特集

原発・キ○ガイ…今なら放送が難しい?危険なブルーハーツ曲特集

放送禁止用語も社会的な問題提起も臆することなくシャウトして、ロックンロールとは何かを体現し続けてきたブルーハーツ。ただ、大人たちに褒められるようなバカにはなりたくない…。そんな哲学が垣間見られる名曲の数々を紹介していきましょう。
こじへい | 20,979 view
【THE BLUE HEARTS】勝手に名曲ベスト10!

【THE BLUE HEARTS】勝手に名曲ベスト10!

この記事では、わたくし「つきねこ」の主観で、勝手に名曲を10曲抜粋したいと思います! 共感して頂けると幸いです(^^)/
つきねこ | 21,066 view
「リンダ リンダ」「終わらない歌」他、THE BLUE HEARTS 1stアルバムの歌詞傾向を徹底分析!

「リンダ リンダ」「終わらない歌」他、THE BLUE HEARTS 1stアルバムの歌詞傾向を徹底分析!

1980年代後半から1990年代前半にかけて活動していたパンク・ロックバンド、THE BLUE HEARTS(ザ・ブルーハーツ)。今でも熱狂的なファンが多いこのバンドの大きな特徴として、当時の多くの若者に支持されたメッセージ性の高い歌詞が挙げられます。今回はこのバンドの存在を世の中に知らしめた1stアルバム『THE BLUE HEARTS』収録曲の歌詞傾向を分析してみました!
PetitLyrics | 4,834 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト