Jリーグ開幕当初のオリジナル10。30年の歴史でどう変わった?
2022年2月21日 更新

Jリーグ開幕当初のオリジナル10。30年の歴史でどう変わった?

Jリーグが開幕したのは1993年。開幕当初は10チームがプロチームとなりました。それから30年。チーム名が変わったり、親会社が変わったり、降格したり様々な歴史をたどっています。開幕当初のオリジナル10がどのような道を歩んできたのかちょっと覗いてみましょう。

1,917 view

鹿島アントラーズ

Amazon.co.jp: 鹿島アントラーズ サッカー ユニフォーム 初代 初期 : ファッション (2332324)

Jリーグが開幕した1993年の1stステージで優勝した鹿島アントラーズ。現在も呼称は変わっていません。

前身は住友金属工業蹴球団。住友金属がそのまま主な株主となっていましたが、合併により新日鐵住金→日本製鉄が大株主と引き継いできました。ですが2019年に筆頭株主がメルカリになり、鹿島アントラーズ・エフ・シーの社長にはメルカリの社長・小泉文明さんが就任しています。

開幕から、一度も降格経験がなく、順位が二桁に落ちたのも2022年現在2012年に11位になった1回だけです。

J1リーグ(優勝8回)、Jリーグカップ(優勝6回)、天皇杯全日本サッカー選手権大会(優勝5回)といずれもJリーグチームの中で最多記録を誇ります。

ジェフユナイテッド市原

ジェフユナイテッド市原の前身はは古河電気工業サッカー部。JR東日本と古河電気工業が50%ずつ出資した株式会社東日本ジェイアール古河サッカークラブが運営していましたが2009年にジェフユナイテッド株式会社の名前に変わりました。

ホームタウンは千葉県市原市だったのですが、2003年に千葉市に変更されています。そして呼称も2005年にジェフユナイテッド千葉に変更されました。

国内タイトルは2005年、2006年にJリーグカップで優勝しています。2009年にJ2に降格。古河時代を含め、降格したのはこれが初でした。ですが以来J2所属となり2022年現在、J1復帰はできていません。

浦和レッドダイヤモンズ

前身は三菱自動車工業サッカー部。浦和レッドダイヤモンズになってからは呼称の変更はありません。

J1リーグ、Jリーグカップ、天皇杯 (JFA 全日本サッカー選手権大会)の三大タイトルを取得しているチームの1つ。Jリーグのチームで初めてAFCチャンピオンズリーグで複数回優勝したチームでもあります。

レッズといえばサポーターがすごいというイメージがありますが、観客動員と営業収入は長年Jリーグ加盟チームの中で最高の成績を収めています。


1999年にJ2に降格するも翌年の2000年に復帰。2006年にはJリーグ年間王者に輝いています。降格を経験したチームで年間王者になったのはレッズが初めてでした。

ヴェルディ川崎

前身は読売サッカークラブ。2000年までは ヴェルディ川崎の呼称でしたが、2001年に川崎から東京都に移転したため、東京ヴェルディ1969に。1969というのは読売サッカークラブが創立された年です。2008年には「東京ヴェルディ」に再び名称変更しました。

1992年のJリーグカップで初代王者に輝きました。三浦知良選手、ラモス瑠偉選手、武田修宏選手など開幕当初の人気選手も多く強豪チームのイメージが強かったでしょう。ですが2005年にJ2降格。2007年に復帰するも再び2008年に降格し、その後はJ3降格圏内に入ってしまったこともありますが、J2に所属しています。

横浜マリノス

前身は日産自動車サッカー部。1999年に横浜フリューゲルスを吸収合併したため、現在は「横浜F・マリノス」という名前になっています。

運営会社である横浜マリノス株式会社(日産フットボールクラブ株式会社)は元々日産自動車が全額出資していましたが、フリューゲルスと経営統合した際に全日空スポーツも合併。現在は「日産70%・ANA30%」となっています。

J1リーグ、Jリーグカップ、天皇杯の三大タイトルを取得していて、J2に降格したことがないチームでもあります。J2に降格した経験がないのは横浜F・マリノスと鹿島アントラーズのみです。アジアカップウィナーズカップでも優勝経験があります。

横浜フリューゲルス

前身は中区スポーツ少年団で、その後、全日本空輸(ANA)が援助を行い横浜トライスターサッカークラブ、全日空横浜サッカークラブとなりました。

1993年にJリーグ開幕直後の天皇杯で優勝。1998年にも優勝しています。その他アジアカップウィナーズカップ、アジアスーパーカップでも優勝経験があります。

Jリーグ開幕に伴い、ANAとともに佐藤工業が共同出資していたのですが1998年に経営不振のため撤退を発表。ANAも一社でクラブを支える力がなかったため、日産自動車と協議の末、横浜マリノスに吸収合併されました。そんな中、最後に天皇杯で優勝したというのはすごいですよね。

オリジナル10で唯一消滅したチームです。ですが横浜フリューゲルスのサポーターの有志が株式会社横浜フリエスポーツクラブを創立。横浜FCが誕生します。JFLからスタートし、2007年にはJ1昇格しています。

清水エスパルス

30 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

【訃報】元サッカー選手、サルヴァトーレ・スキラッチさんが死去。イタリアW杯、ジュビロ磐田などで活躍

【訃報】元サッカー選手、サルヴァトーレ・スキラッチさんが死去。イタリアW杯、ジュビロ磐田などで活躍

「トト」の愛称で親しまれ、1990年のイタリアワールドカップなどで活躍した元サッカー選手、サルヴァトーレ・スキラッチさんが18日、結腸癌のためイタリア・パレルモの病院で亡くなっていたことが明らかとなりました。59歳でした。
隣人速報 | 126 view
天才・小野伸二が引退。本人も「怪我がなければ…」というフィリピン戦で負った大怪我とは?

天才・小野伸二が引退。本人も「怪我がなければ…」というフィリピン戦で負った大怪我とは?

サッカー元日本代表で北海道コンサドーレ札幌のMF・小野伸二(44)が3日、明治安田生命J1の最終節・浦和レッドダイヤモンズ戦で、現役ラストマッチを迎ました。
隣人速報 | 404 view
とにかく明るい丸山桂里奈   数々の栄光と失敗、おもしろエピソード

とにかく明るい丸山桂里奈 数々の栄光と失敗、おもしろエピソード

よく「何にも考えてなさそう」「何も悩みがなさそう」「なんでそんなに明るいの?」といわれる丸山桂里奈だが、決してサッカー人生なにもかもがうまくいったわけではなく、どちらかというと苦労人。だけど明るい理由は「いつかきっと笑ってサッカーをする日が来る。その日のために・・・・」という気持ちだった。
RAOH | 860 view
元日本代表MF・小野伸二(44)が今季限りでの現役引退を発表。フランスW杯、ワールドユースなどで活躍した“天才”

元日本代表MF・小野伸二(44)が今季限りでの現役引退を発表。フランスW杯、ワールドユースなどで活躍した“天才”

J1リーグの北海道コンサドーレ札幌に所属する元日本代表MF・小野伸二(44)がこのたび、自身のインスタグラムにて今季限りでの現役引退を表明しました。
隣人速報 | 197 view
Jリーグが30周年!思い出に残るゴールはありますか?

Jリーグが30周年!思い出に残るゴールはありますか?

2023年に30周年を迎えたJリーグ。1993年5月15日の開幕試合も懐かしいですね。

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト