清田少年
@retoro_mode
— ヒロブ☆夜はおあずけ♪ (@171718Bu) November 21, 2015
スプーン曲げなら此方も負けてませんでした(笑)
エスパー清田少年(≧∇≦) pic.twitter.com/Wfyj5OT5T1
なんかちょっとバカにされてるー。
東京都生まれ。専修大学松戸高等学校、専修大学文学部卒業。1974年にユリ・ゲラーが話題になったのを機に全国で見出された、いわゆる「超能力少年・少女」たちの一人。
かつての超能力少年たちのほとんどがトリックを暴かれるなどして姿を消していった中で、青年になって以降も何らかの形で(その機会はきわめて数少ないながらも)メディア出演等といった表舞台で活動していたと言えるのは清田一人のみであった。
1974年には火星にテレポートしたと話しており、ゼネフという肉体を持たない宇宙人とは何度もコンタクトしていたという。当時は火星で見た景色は実際の火星の景色と似ていると話題になったという。なお、実際に行ったかどうかはわからないとも語っている。本はまったく読んだことが無く、勉強もしたことがないという。つのだじろうと交友があって、書状を巻物で送ってくるなどが「ちょっとウザい」とも話している(『博士の異常な鼎談』清田益章)。
防衛大学校や電気通信大学等にて長年行われてきた超能力研究に積極的に参加。海外においても、さまざまな研究機関において超能力研究に有益な実験データを残している。研究者の論文で日本のスプーン曲げの超能力者として「Masuaki Kiyota」の名前は有名で『超常現象のとらえにくさ』でも清田の名がみられる。
1984年にテレビ番組で、スプーン曲げと念写でトリックや不正をしていた一部始終が放送される(後述)。
2003年春に「脱・超能力者宣言」をし、超能力実験の被験者になるのはやめたものの、テレビ番組やイベントではスプーン曲げを披露していた。
近年は「祈り」と「踊り」を組み合わせた「おのり」なるものを探求している。
2度結婚しているが、離婚している。妻との間に子供はいない。妻との離婚後に、2004年までバリ島に在住した
歌でデビュー
1989年頃には「辻仁成のオールナイトニッポン」にも時折ゲストとして出演していた。 その後ミュージシャンへの転身を宣言、1990年にアルバム「さよなら神様」(MMG) にてロック歌手としてデビューしたが、8000枚を売るにとどまった。当時はさくらももこらの著名人との交流でも知られていた。しかしその後はメディア等への露出の機会も激減し、自由奔放な生活を送っていたとされる。
エスパー清田 - さよなら神様 - YouTube
ちょっとだせぇ…
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動画でみよう
【阿見松ノ介責任撮影】清田益章さんの超能力の証明 - YouTube
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異常な鼎談 清田益章 後編 - YouTube
対談もします。
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アンビリーバボー・超能力SP ・ サイキック清田益章 - YouTube
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漫画にも
実はばれたこともある
・1984年2月3日のフジテレビ『金曜ファミリーワイド』「超能力を100倍楽しめる徹底解剖」で超能力ではなくトリックを使っているのを見破られ、その手口の一部始終を放映された。スプーンは力任せに曲げて、念写のポラロイドフィルムは事前にトイレで感光させておいてすり替えるという手口だった。
もともと番組の趣旨は、清田を7日間ホテルにカンヅメにしてスプーン曲げの全課程を撮影し、超能力を実証するというものだった。当初は番組ゲストの立花隆もすっかり信じ込んでいたという。
しかし2日目の撮影が終わると、スプーンが曲がり始めるのが常に人の目に触れないときであることにスタッフが疑問を抱くようになり、3日目に清田に気づかないようにそれとなく監視していたところ、人目を盗んで瞬時に力尽くでスプーンを曲げるのを立花隆らが目撃。4日目からは隠しカメラを何台も使って清田のトリックの瞬間を録画した。こうして最終的に清田のトリックを暴く番組になった。
これについて本人は「プレッシャー(テレビ局の圧力)などからたまたまインチキをしてしまっただけで、普段は超能力で曲げており、自分が超能力者であることは間違いない」と主張している。
・一時期は腕力でスプーンを曲げていたこともあったと、認めていたことがある。