オリジナルは1960年に大ヒットした「ダッコちゃん人形」
幼いころ、なぜかおもちゃ箱に「ダッコちゃん人形」が入ってた記憶ありませんか?
1960年に大流行したダッコちゃん人形、もしかすると子供の頃に両親が買ってくれたご家庭も多かったかもしれません。
1960年当時に流行したオリジナルというよりは、様々なキャラクターの「ダッコちゃん人形」が出回っていたような気がします。
1960年に大流行したダッコちゃん人形、もしかすると子供の頃に両親が買ってくれたご家庭も多かったかもしれません。
1960年当時に流行したオリジナルというよりは、様々なキャラクターの「ダッコちゃん人形」が出回っていたような気がします。
製造元の宝ビニール工業所が株式会社タカラ(現:タカラトミー)になる基盤を作った「ダッコちゃん人形」
1960年7月から年末までに240万個を販売!
戦後、フラフープ以来の大ブームとなったダッコちゃん人形
1960年(昭和35年)7月に発売されて以降、若い女性を中心にブームの兆しが起こった。戦後の国民を巻き込むムーブは1958年のフラフープブーム以来であった。
ぶら下がる機能を活かしてこの人形を腕にぶら下げて歩く女性が時折見られるようになった。マスコミが取材対象とする中で、この商品には「ダッコちゃん」という愛称が与えられた。テレビに登場した結果ブームに火がつき、注文は大幅に増え、玩具店、デパートでは常に在庫切れとなった。
デパートが販売のために発行した整理券にダフ屋が登場したこともあったという。1960年(昭和35年)末までに240万個が販売される大ヒット商品となり、製造元の宝ビニール工業所が株式会社タカラ(現:タカラトミー)となる基盤をつくった。
ダッコちゃん生みの親である大木紀元は、当時、武蔵野美術大学に通いながら社員として働いていた。現・創造学園大学創造芸術学部の学科長兼教授。
引用:wikipedia
ぶら下がる機能を活かしてこの人形を腕にぶら下げて歩く女性が時折見られるようになった。マスコミが取材対象とする中で、この商品には「ダッコちゃん」という愛称が与えられた。テレビに登場した結果ブームに火がつき、注文は大幅に増え、玩具店、デパートでは常に在庫切れとなった。
デパートが販売のために発行した整理券にダフ屋が登場したこともあったという。1960年(昭和35年)末までに240万個が販売される大ヒット商品となり、製造元の宝ビニール工業所が株式会社タカラ(現:タカラトミー)となる基盤をつくった。
ダッコちゃん生みの親である大木紀元は、当時、武蔵野美術大学に通いながら社員として働いていた。現・創造学園大学創造芸術学部の学科長兼教授。
引用:wikipedia
偽物も数多く出回り、それがブームに拍車をかけることに
製造が間に合わないほどの売れ行きを見せたこと、簡単な構造の商品だったことなどから多くの偽物が流通した。
本物の特徴として目に貼られた特殊なシール(レンチキュラー印刷)により見る角度によってウィンクすることがあげられるが、多くの偽物にはそれが無く、真贋の目安になった。
それでも偽物は減らなかったが、皮肉にもそのおかげで全国に「黒いビニール人形」は拡大し、1960年代を代表する玩具となった。
引用:wikipedia
本物の特徴として目に貼られた特殊なシール(レンチキュラー印刷)により見る角度によってウィンクすることがあげられるが、多くの偽物にはそれが無く、真贋の目安になった。
それでも偽物は減らなかったが、皮肉にもそのおかげで全国に「黒いビニール人形」は拡大し、1960年代を代表する玩具となった。
引用:wikipedia
かつてタカラのロゴマークは「ダッコちゃん」でした
製造元のタカラはその後社標をダッコちゃんをデザインしたものに変更し、テレビCMのキャッチフレーズにも「ダッコちゃんマークのタカラ」とダッコちゃんを前面に押し出したPRを行なった。
またソフトビニール人形のみならずさまざまなキャラクターグッズが開発・販売された。しかしまもなくブームが沈静化しほとんどの商品は販売を停止した。1975年(昭和50年)に創業20周年を記念して復刻版が登場したが、かつてのようなブームにはならなかった。
引用:wikipedia
またソフトビニール人形のみならずさまざまなキャラクターグッズが開発・販売された。しかしまもなくブームが沈静化しほとんどの商品は販売を停止した。1975年(昭和50年)に創業20周年を記念して復刻版が登場したが、かつてのようなブームにはならなかった。
引用:wikipedia
80年代後半以降、黒人差別論争のなかに加えられて製造販売が停止に。
1980年代後半~90年代にかけて製造販売が中止に
1988年(昭和63年)頃に、黒人差別をなくす会が結成され黒人差別論争が活発化すると、漫画やアニメなどのステレオタイプな黒人の描写が差別的であるとしてさまざまな出版社や制作会社が自粛を決定した。その論争のなかに「ダッコちゃん」も加えられ、成型色を変えるなどの対策をとったものの、まもなく製造販売が停止されている。
社標であったダッコちゃんマークも1990年(平成2年)に変更されている。1997年(平成9年)にも子会社が色を変えて販売したが、腰みのや唇が差別的だったせいかすぐに抗議がきたため販売を取りやめた。
2001年(平成13年)に「だっこちゃん」の名で復活
装いも新たに「だっこちゃん」として復活
腰みのや厚い唇などの人種差別的な要素を取り払い、代わりにしっぽがついた。
設定も「くっつきたい、触れ合いたい、という人間本来の心から生まれた架空のキャラクター」というものに変わり、色も黒のほかピンクやブルーなどが用意された。その後、同様の仕組みを持つカブトムシやドラえもんなどのキャラクターの玩具が製造された。
引用:wikipedia
設定も「くっつきたい、触れ合いたい、という人間本来の心から生まれた架空のキャラクター」というものに変わり、色も黒のほかピンクやブルーなどが用意された。その後、同様の仕組みを持つカブトムシやドラえもんなどのキャラクターの玩具が製造された。
引用:wikipedia
via www.tbs.co.jp
様々なキャラクターのバージョンが登場しています。
via www.inokuchi.net
今もって愛され続ける「ダッコちゃん人形」
2015年には、永谷園から「遠藤関だっこちゃん」登場!
真っ黒で手足が輪状になっていて、木にしがみつくコアラのようなポーズ。
「ダッコちゃん」の名前の通り、腕などに抱きつくようにぶら下げるのがウケて大流行しました。