受験結果が出てくるこの頃。受験の合否を桜で表現しますが、合格祈願でお馴染みの天満宮や天神は梅がトレードマークです。なぜ梅なのか?今回はそのお話を。
天=雷の神・学問の神としての信仰がある菅原道真
天満宮や天神といえば、日本最大の怨霊(御霊ごりょう・祟り神)・菅原道真(承和12年(845年)~延喜3年(903年))のお社です。天=雷の神・学問の神としての信仰がある道真。その人生をざっくり言うと、学問な一族に生まれた環境もあってか子供の頃から頭が良くて文章博士になります。その後、宇多天皇に引き立てられて政治の中心に身を置くようになります。そしてひとつ日本の歴史を止めました。寛平6年(894年)に遣唐使の打診がきたものの、きっぱり辞退したのです。結果、遣唐使そのものが日本史から姿を消し、日本は国内で文化を構築し始め、平安時代に国風文化が花開きます。その後最終的に右大臣にまで昇り詰めるのですが、藤原時平など政敵たちに快く思われず、謀られ罪無くして太宰府に左遷されます(昌泰の変)。そのまま太宰府で59歳の時に亡くなります。
日本最大の怨霊(御霊ごりょう・祟り神)とされる所以
この後が凄まじい。道真が903年に亡くなった後、政敵・藤原時平が909年に病死(39歳)、右大臣・源光が913年に事故死、当時の天皇・醍醐天皇の息子たちも病死。930年には宮殿「清涼殿」に雷がドカンと落ち、政敵たちが複数人死傷。醍醐天皇まで落雷の三か月後に崩御。あまりに不幸が続くわ、とどめの落雷で宮殿消失しちゃうわで、「これ絶対、道真のタタリだ」という話になり、道真の罪(もともと冤罪)は消え、落雷のタタリから京都北野天満宮を建て、菅原道真を雷の神様=天神として祀ることに。天満宮も天神もタタリから生まれた存在なのです。
やがて受験シーズンに信仰を集めるように
そんな祟りな太宰府天満宮と北野天満宮は、菅原道真を天神とする「天神信仰」の本拠地なのですが、平安時代末期から鎌倉時代の頃には、道真の学問の才に注目が集まったのか祟り神としての恐ろしい存在から姿を変えていきます。そして江戸時代には学問の神としても信仰されるようになり、現在は受験シーズンに信仰を集めるようになりました。
江戸時代には菅原道真の失脚事件をテーマにした作品が人気に
その江戸時代。延享3年(1746年)、大阪竹本座で人形浄瑠璃文楽『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』が初演され、これが大人気に。菅原道真の失脚事件をテーマにしたこの作品に「梅は飛び 桜は枯るゝ世の中に 何とて松のつれなかるらん」という和歌が登場します。鎌倉時代後期には成立していたと思われる『源平盛衰記(げんぺいじょうすいき。作者不詳)』巻32に源順(みなもとのしたごう)が道真を偲んで「梅は飛び 桜は枯れぬ菅原や 深くぞ頼む神の誓いを」と詠んだとされる歌があり、これが元ネタか?と言われております。ともかく、梅の登場。ようやく梅の話をば。
菅原道真と梅・桜・松
話を戻します。道真は大宰府へ左遷されることとなった延喜元年(901年)、屋敷内の庭の梅・桜・松との別れを惜しみ、歌を詠んでおります。
東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅花(うめのはな) 主なしとて 春を忘るな(『拾遺和歌集』巻16。寛弘2年(1005年)~3年(1006年))
※この歌は、12世紀あたりから最後だけ「春な忘れそ」として伝承されるようになりました。
そう、実は道真に縁があったのは梅だけではなかったのです。梅と桜と松の3つでした。それなのに、なぜ梅だけが天満宮とコラボしているのか。
民間に残る伝説によると、桜は道真との別れの悲しみのあまり枯れてしまったそうです。そして梅と松は、道真の後を追いたい気持ちから空を飛んだ、とされています。さて飛びたった松と梅のその後。松は太宰府まで飛ぶ途中で力尽きてしまいまして、実は摂津国八部郡板宿(兵庫県神戸市須磨区板宿町)の板宿八幡神社(いたやどやはたじんじゃ)に根を下ろしてしまいました。松は太宰府にたどり着けなかったのです。残るは梅。梅は踏ん張って飛びきり大宰府に降り立ちました。その結果、梅が太宰府のシンボルになりました。
これらの話は「飛松伝説」「飛梅伝説」として、また、「大宰府の飛梅」「板宿の飛松」として現地に伝説が残っておりますので、良かったらぜひ兵庫県の松にもご注目あれ。蛇足になりますが、梅干しの種の仁(中身)を「天神様」と言うことがあります。これも、この道真と梅のご縁に由来しております。
そんな道真ゆかりの太宰府といえば、銘菓「梅ケ枝餅」!梅の焼き印が入った餡子入り焼餅です。道真の生誕日6月25日と命日3月25日にちなんで、毎月25日にはヨモギ入りバージョンが出るそうですので、ぜひ3月25日にヨモギ入りをば☆
民間に残る伝説によると、桜は道真との別れの悲しみのあまり枯れてしまったそうです。そして梅と松は、道真の後を追いたい気持ちから空を飛んだ、とされています。さて飛びたった松と梅のその後。松は太宰府まで飛ぶ途中で力尽きてしまいまして、実は摂津国八部郡板宿(兵庫県神戸市須磨区板宿町)の板宿八幡神社(いたやどやはたじんじゃ)に根を下ろしてしまいました。松は太宰府にたどり着けなかったのです。残るは梅。梅は踏ん張って飛びきり大宰府に降り立ちました。その結果、梅が太宰府のシンボルになりました。
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