80年代オールディーズサウンドの旗手『ザ・ヴィーナス』
J‐POPの歴史は、洋楽のカバーから始まりました。戦後日本において、戦勝国・アメリカへの憧憬に根差して徐々に広まっていった洋楽模倣の文化は、60年代初頭、「カバーポップス」というカタチで花開き、弘田三枝子や中尾ミエなどの人気歌手を輩出します。そのカバーポップスの精製過程で生まれたのが和製ポップスであり、以降、さまざまな換骨奪胎を繰り返し、現代のJ‐POPへと至ったというわけです。
そんなカバーポップスブームをおよそ20年の時を経て再現するかのように、オールディーズサウンドによる多彩な楽曲を発表したバンド。それが今回紹介する『ザ・ヴィーナス』でした。
そんなカバーポップスブームをおよそ20年の時を経て再現するかのように、オールディーズサウンドによる多彩な楽曲を発表したバンド。それが今回紹介する『ザ・ヴィーナス』でした。
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映画『アメリカン・グラフィティ』をきっかけに起こったオールディーズブーム
ザ・ヴィーナスの結成は、1974年のこと。奇しくもちょうど、ジョージ・ルーカスの青春映画『アメリカン・グラフィティ』が日本で公開したタイミングと重なります。
ベトナム戦争前の「楽しかった頃のアメリカ」を描いた同作では、さまざまなオールディーズが全編にわたって散りばめられていることでも有名。これをきっかけとしてアメリカではリバイバルブームが起こり、80年代初頭、日本もその熱にほだされて、オールディーズサウンドが一つの流行となったのです。
ベトナム戦争前の「楽しかった頃のアメリカ」を描いた同作では、さまざまなオールディーズが全編にわたって散りばめられていることでも有名。これをきっかけとしてアメリカではリバイバルブームが起こり、80年代初頭、日本もその熱にほだされて、オールディーズサウンドが一つの流行となったのです。
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1980年からアメリカンオールディーズ専門のバンドとなった
このブームを受けて、1980年初頭にザ・ヴィーナスは、アメリカンオールディーズ専門のバンドへとシフト。これと同時に、アメリカン・トラディショナル・ブランド・VANの社員をコーディネーターに据え、ビジュアルイメージも刷新します。
なによりも変わったのは、メンバーの名前。それまでは、普通に漢字名でクレジットされていたところから、「阿部明美⇒CAROL」「中西隆士⇒JOHNNY」といったように、特に本名と共通点のないオールディーズ・アーティストの名前に変更したのです。
なによりも変わったのは、メンバーの名前。それまでは、普通に漢字名でクレジットされていたところから、「阿部明美⇒CAROL」「中西隆士⇒JOHNNY」といったように、特に本名と共通点のないオールディーズ・アーティストの名前に変更したのです。
1980年時点でのメンバー
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芸名の元ネタと思われるミュージシャン⇒キャロル・キング。
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アメリカの女性シンガーソングライター。1960年代に当時の夫・ジェリー・ゴフィンとソングライター・コンビを組み、数々の名曲を生み出しました。シルヴィ・ヴァルタンやカイリー・ミノーグがカバーしたことでもお馴染みの『ロコ・モーション』も、彼女とジェリーが手掛けた楽曲。
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芸名の元ネタと思われるミュージシャン⇒コニー・フランシス
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イタリア系アメリカ人の歌姫。1962年に発表した『ヴァケイション』は、日本でも知名度の高い洋楽のスタンダードナンバー。
1981年の『キッスは目にして!』が大ヒットする
彼ら最大のヒット曲が、1981年にリリースされた『キッスは目にして!』です。カネボウ秋のキャンペーン・イメージ・ソングになった同作は、ベートーヴェンの「エリーゼのために」をオールディーズ風にアレンジした楽曲。阿木燿子が作詞をつとめたこの曲は、全日本有線放送大賞・優秀スター賞を獲得しました。