山陽新幹線とは
当時「ひかりは西へ」のキャッチフレーズで開業しましたね。ちなみに愛称のひかりは元々九州を走っていた準急列車につけられていたものです。よく考えると大出世した名前ですね。
JR姫路駅の新幹線13番のりば
すんません。
— 濱子(HAMAKO) (@758now) April 17, 2017
調べたら姫路駅は、のぞみ準停車駅でした。
ワシが降りた時、反対ホームを猛スピードで駆け抜けるコを見たのでつい。
よく見たら看板があるじゃんね!?
こんなに閑散とした新幹線ホームは久しぶり。 https://t.co/lg6YBN8PXK pic.twitter.com/jwwlyNqqsp
・現在は余剰ともいえるホームだが現在は上り11番のりばの外側にスペースがあり上下2本づつのホームが建設可能なため将来的には今より有効活用されるかもしれませんね。
余剰なホームだけでなく余剰な駅も!?
はじめての #西明石駅 で乗換えて岡山を目指します。目指すは🏯 #岡山城 です! pic.twitter.com/nC77eeICpK
— 山本やすぞう☆大河ドラマ税理士 (@yyamamotokaikei) May 4, 2018
しかも開業時の山陽新幹線は16駅あり、その駅間距離は平均約43km。しかし兵庫県内の新神戸~相生間は平均約25kmと約18kmも差があり明らかに短い。
・全体と比べるとやはり不自然に感じますね。何か理由がありそうですね。
今では考えられないような幻の計画の痕跡
・やはり理由があったんですね。しかし深夜に新幹線が走るのはさすがに想像できないですね。
余剰な設備と夜行新幹線の関係
線路は運行時間外に保線作業を行わなくてはならない。夜行新幹線を走らせると24時間フル稼働となり作業する時間が確保できない。そのため上りか下りの片方だけを夜行新幹線を走らせもう片方を保線作業に回すという手段を取ることで走らせようとしていた。従って単線での運行となるため途中で行き違いを行う必要がある。そこで東京~博多間のちょうど中間にあたる姫路駅にホームを1本余分に造り行き違いさせて走らせようとしていた。また運転本数も上下24本ほどの予定であったため姫路駅だけで裁くのは不可能なため、中間に近い場所に駅を設けて行き違いさせる予定だった。
・そういう事だったんですね。理由はよく分かりましたが計画自体が斬新でかつ駅だけでも事前に建設できたことが今では考えられないですね。今だったらマスコミやインターネットで色々言われそう。
名古屋での住民訴訟により計画は頓挫
・やっぱりそれなりの理由があったんですね。夜行でなくてももう少し終電と始発が早ければと思っていたのですが…。今だったらJRが叩かれそうな事ですが、当時の高度経済成長期という時代背景を考えると、とりあえず作っとこうみたいな精神があったんでしょうね。日本は元気だったんだなあと思います。