1984年8月 コンピューター雑誌『マイコンBASICマガジン』において、手塚一郎により「ペーパーアドベンチャー」としてゲームブックの形式が紹介される
1984年8月 コンピューター雑誌『マイコンBASICマガジン』において、手塚一郎により「ペーパーアドベンチャー」としてゲームブックの形式が紹介される
ペーパーアドベンチャー、昔、友達とノートに書いて遊んだ人も多かったのではないでしょうか。
1984年8月、コンピューター雑誌『マイコンBASICマガジン』において、手塚一郎により「ペーパーアドベンチャー」としてゲームブックの形式が紹介される。雑誌の数ページを利用して、短いパラグラフを詰め込んだミニゲームブックというべきものだった。紙幅の制約もあり、パラグラフにはごく簡単な状況説明と選択肢だけが書かれた単純なものだったが、前例を見ないこのコーナーは人気を博し、その後、読者投稿によるペーパーアドベンチャーなども掲載されるようになった。
ペーパーアドベンチャー ケンヅョウコウヅの館
あのペーパー・アドベンチャーを誌面そのままに再現! 魔人ケンヅョウコウヅを倒してハギノシキを取り戻そう!
1984年9月、朝日ソノラマより『ハローチャレンジャーブック』シリーズが刊行開始。これが日本における初のゲームブック単行本である。
via tokyo-exit.com
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1984年12月に日本語版『火吹山の魔法使い』が社会思想社より発行されて直ちにベストセラーになる
ゲームブック『火吹山の魔法使い』
『火吹山の魔法使い』(ひふきさんのまほうつかい、ひふきやまのまほうつかい、英語:The Warlock of Firetop Mountain )はイギリスのゲームブック。著者はスティーブ・ジャクソン、イアン・リビングストン。
『ファイティング・ファンタジー』シリーズ第1巻。原書は1982年にパフィンブックスより刊行され、2002年にウィザードブックスより再刊された。
怪物が跋扈するファンタジー世界を舞台とし、剣を頼りに危難を切り抜けていく冒険者として活躍する作品。一般にゲームブックの元祖とされる。
パラグラフ選択形式の書籍は先行する作品がバンタム・ブックスなどから刊行されていたが、ゲーム業界に与えた影響力の大きさを考慮すれば本作品を「元祖」と称しても問題ないだろうと、安田均は述べている。
簡素さゆえに「プリミティブ」と評されることもあるが、後に至るまでゲームブックの代表作としての地位を占めている。両著者のうち、ゲームブックというコンセプトを発案したのが斬新な発想を売りとするジャクソンで、それをひとつのスタイルとして仕上げたのが地味でも堅実な仕事をするリビングストンだろうと安田は見ている。
1980年、ジャクソンとリビングストンが開催していたコンベンション「Games Days」にはペンギンブックスが出展しており、そこには女性編集者ジェラルディン・クークがいた。ジャクソンらは、彼女と話すうちに「ペンギンブックスからファンタジー・ロールプレイングゲームの本を出してはどうか」と持ちかけ、快諾を得た。
最初期案ではゲームのやり方を載せたマニュアル本だったが、「どうせなら本自体でRPGができればいい」とジャクソンが思いつき、本作品の原型となる『マジック・クエスト』を作り上げた。
『火吹山の魔法使い』の執筆には6か月を費やしている。なお、実際の刊行はペンギンブックスではなく、子供向けセクションのパフィンブックスが担った。
パフィンブックス版の表紙は独特のデザインをしており、通常であれば書名を見やすくするためペーパーバックの上部にタイトルを載せるところ、カバーアートを手がけたピーター・ジョーンズが並外れたセンスを発揮して表紙の中央にタイトルを配置し、多くの出版社を驚かせた。もっとも1週間で描いた作品であったため、ジョーンズ当人はずっと改作したいと思っていたそうである。
刊行当初は大きな宣伝もなかったために売れなかった。しかしRPGファンはこの本の存在を見逃さず、さらにBBCラジオのプロデューサーが取り上げたことがきっかけとなって爆発的にヒット。2 - 3週間すると売り切れ、6か月間に10回の増刷を重ねて、売り上げ部数は25万を越えた。
日本語版は1984年、浅羽莢子による訳で社会思想社の現代教養文庫より刊行され、ゲームブックブームを巻き起こした。その後、2005年には扶桑社よりほぼ同内容で再刊された。
(出典:Wikipedia「火吹山の魔法使い」)
『ファイティング・ファンタジー』シリーズ第1巻。原書は1982年にパフィンブックスより刊行され、2002年にウィザードブックスより再刊された。
怪物が跋扈するファンタジー世界を舞台とし、剣を頼りに危難を切り抜けていく冒険者として活躍する作品。一般にゲームブックの元祖とされる。
パラグラフ選択形式の書籍は先行する作品がバンタム・ブックスなどから刊行されていたが、ゲーム業界に与えた影響力の大きさを考慮すれば本作品を「元祖」と称しても問題ないだろうと、安田均は述べている。
簡素さゆえに「プリミティブ」と評されることもあるが、後に至るまでゲームブックの代表作としての地位を占めている。両著者のうち、ゲームブックというコンセプトを発案したのが斬新な発想を売りとするジャクソンで、それをひとつのスタイルとして仕上げたのが地味でも堅実な仕事をするリビングストンだろうと安田は見ている。
1980年、ジャクソンとリビングストンが開催していたコンベンション「Games Days」にはペンギンブックスが出展しており、そこには女性編集者ジェラルディン・クークがいた。ジャクソンらは、彼女と話すうちに「ペンギンブックスからファンタジー・ロールプレイングゲームの本を出してはどうか」と持ちかけ、快諾を得た。
最初期案ではゲームのやり方を載せたマニュアル本だったが、「どうせなら本自体でRPGができればいい」とジャクソンが思いつき、本作品の原型となる『マジック・クエスト』を作り上げた。
『火吹山の魔法使い』の執筆には6か月を費やしている。なお、実際の刊行はペンギンブックスではなく、子供向けセクションのパフィンブックスが担った。
パフィンブックス版の表紙は独特のデザインをしており、通常であれば書名を見やすくするためペーパーバックの上部にタイトルを載せるところ、カバーアートを手がけたピーター・ジョーンズが並外れたセンスを発揮して表紙の中央にタイトルを配置し、多くの出版社を驚かせた。もっとも1週間で描いた作品であったため、ジョーンズ当人はずっと改作したいと思っていたそうである。
刊行当初は大きな宣伝もなかったために売れなかった。しかしRPGファンはこの本の存在を見逃さず、さらにBBCラジオのプロデューサーが取り上げたことがきっかけとなって爆発的にヒット。2 - 3週間すると売り切れ、6か月間に10回の増刷を重ねて、売り上げ部数は25万を越えた。
日本語版は1984年、浅羽莢子による訳で社会思想社の現代教養文庫より刊行され、ゲームブックブームを巻き起こした。その後、2005年には扶桑社よりほぼ同内容で再刊された。
(出典:Wikipedia「火吹山の魔法使い」)
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冒険記録紙(アドベンチャーシート)に能力を書いて冒険スタート!
アドベンチャーシート
プレイヤーの体力値や入手したアイテムなどを書きとめる表。コンピュータ・プログラムの変数値のように、記号や番号を振った枠が用意されており、そこにゲームを進めるごとにチェックや数値を記入して、後からその値を参照する場合もある。通常、ゲームブックの中にそのゲームブックに対応したアドベンチャーシートがつけられている。
アドベンチャーシート (Adventure Sheet) または冒険記録紙(ぼうけんきろくし)とは、ゲームブックをプレイする際に、体力の数値や持ち物などを記録し管理するための用紙である。
アドベンチャーシートは、世界最初のゲームブックである『火吹山の魔法使い』に添付され、以後多くのゲームブックに添付されている。 一般に、体力や技量などの数値の増減を管理する欄、冒険の途中で手に入れた金貨や宝物、食料の数などを記録する欄がそれぞれ印刷されている。 言ってみればテーブルトークRPGのキャラクターシートを簡略化したものである。
モンスターとの戦闘があるゲームブックでは、敵の体力などを一時的に管理する作業用のスペースが設けてあることも多い。
ゲームブックの複雑化に伴い、記録する内容は増加する傾向にあった。 キャラクターの能力以外にも、フラグ管理のためにチェック欄を設けたものも存在する。 これら項目の増加は、キャラクターやゲーム世界の変化をよりリアルに表現する反面、プレイヤーが管理に手間を取られ興醒めしてしまう場合もある。
(出典:Wikipedia「アドベンチャーシート」)
プレイヤーの体力値や入手したアイテムなどを書きとめる表。コンピュータ・プログラムの変数値のように、記号や番号を振った枠が用意されており、そこにゲームを進めるごとにチェックや数値を記入して、後からその値を参照する場合もある。通常、ゲームブックの中にそのゲームブックに対応したアドベンチャーシートがつけられている。
アドベンチャーシート (Adventure Sheet) または冒険記録紙(ぼうけんきろくし)とは、ゲームブックをプレイする際に、体力の数値や持ち物などを記録し管理するための用紙である。
アドベンチャーシートは、世界最初のゲームブックである『火吹山の魔法使い』に添付され、以後多くのゲームブックに添付されている。 一般に、体力や技量などの数値の増減を管理する欄、冒険の途中で手に入れた金貨や宝物、食料の数などを記録する欄がそれぞれ印刷されている。 言ってみればテーブルトークRPGのキャラクターシートを簡略化したものである。
モンスターとの戦闘があるゲームブックでは、敵の体力などを一時的に管理する作業用のスペースが設けてあることも多い。
ゲームブックの複雑化に伴い、記録する内容は増加する傾向にあった。 キャラクターの能力以外にも、フラグ管理のためにチェック欄を設けたものも存在する。 これら項目の増加は、キャラクターやゲーム世界の変化をよりリアルに表現する反面、プレイヤーが管理に手間を取られ興醒めしてしまう場合もある。
(出典:Wikipedia「アドベンチャーシート」)
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1985年には『ソーサリー』4部作の日本語訳が東京創元社より創元推理文庫として発売され、ゲームブックブームの火付け役となった
英国の開発スタジオ Inkle が、ゲームブックの古典 Sorcery! (ソーサリー)の iPad版を App Store で発売しました。1980年代に出版された『ソーサリー』四部作といえば、多数の選択肢で枝分かれした物語を読者が選んで辿ってゆく「ゲームブック」の古典的名作。
iPad / iPhone 両対応の iOS版では原著者 Steve Jackson の文章と John Blancheのイラストはそのままに、選択したセクションが綴られて一本の物語につながったり、手書きの3Dマップで現在地と選択肢を視覚的に表示するなど、単なる電子書籍化ではないタブレットコンピュータ時代のインタラクティブな物語として再創造しています。
【ゲームブック】アドベンチャーゲームブックでページをめくりまくった幼き日々、一番人気のあったタイトルは!? - Middle Edge(ミドルエッジ)
ゲームブック、ハマりませんでしたか?選択肢が出るたびに片方の選択ページを見て、指で押さえておいてもう片方の選択ページをみて…シリーズものなどたくさんのタイトルが登場したゲームブック。どんなタイトルが人気あったのでしょうか?
1986年には社会思想社よりゲームブック雑誌「ウォーロック」が翻訳・創刊された
社会思想社による特約誌 日本版『ウォーロック』
『ウォーロック』(Warlock)とは、ペンギン・ブックスとイギリスのゲーム制作会社ゲームズ・ワークショップにより、1983年から1986年にかけて発行された雑誌である。本来ウォーロックはファイティング・ファンタジーのゲームブックシリーズの専門誌であったが、すぐにファンタジーゲームジャンル全体を広く取り扱うようになった。
『ウォーロック』は社会思想社による特約誌として、日本でも1986年12月から翻訳出版された。日本版『ウォーロック』は後にはイギリス版から離れた内容も取り扱うようになり、1992年3月まで通巻63号発行された。
日本版ウォーロックは1984年発売のゲームブック『火吹山の魔法使い』(The Warlock of Firetop Mountain)、1985年の『ソーサリー』シリーズの成功を受けて1986年に英『warlock』誌の日本版として創刊された。
創刊当初はファイティング・ファンタジーシリーズをはじめとするゲームブックのフォロー・レビュー記事を中心に同シリーズのシステムを用いたテーブルトークRPGである「ファイティングファンタジー」への誘導を行っていたが、出版の遅れからこの戦略はゲームブック形式のソロシナリオのラインナップを持つ『トンネルズ&トロールズ』(略称『T&T』)が引き継ぐ形となる。
初期は海外の翻訳記事、古代・中世ヨーロッパや日本に関する読み物、ファンタジー要素を持つ映画・小説の批評、雑誌上で完結するミニゲームブックの掲載といった文芸誌的な誌面構成であった。後にグループSNEの中核をなすこととなる面々も、この時期にライターとして活躍していた。
ゲームブックが低迷期に入ると、『トンネルズ&トロールズ』と訳者である清松みゆきを中心としたテーブルトークRPGに比重をおいた構成となる。初期から続く読み物に加え、テーブルトークRPG入門マンガ、半公式となるオプションルールの紹介および誤植の訂正、リプレイ記事、メタルフィギュア・ダイス等のアクセサリーの紹介などの企画もなされた。
その後は本誌の企画に基づいて造られた『ハイパーT&T』、ミニチュアゲームから派生した『ウォーハンマーRPG』を取り扱った。
(出典:Wikipedia「ウォーロック」)
『ウォーロック』は社会思想社による特約誌として、日本でも1986年12月から翻訳出版された。日本版『ウォーロック』は後にはイギリス版から離れた内容も取り扱うようになり、1992年3月まで通巻63号発行された。
日本版ウォーロックは1984年発売のゲームブック『火吹山の魔法使い』(The Warlock of Firetop Mountain)、1985年の『ソーサリー』シリーズの成功を受けて1986年に英『warlock』誌の日本版として創刊された。
創刊当初はファイティング・ファンタジーシリーズをはじめとするゲームブックのフォロー・レビュー記事を中心に同シリーズのシステムを用いたテーブルトークRPGである「ファイティングファンタジー」への誘導を行っていたが、出版の遅れからこの戦略はゲームブック形式のソロシナリオのラインナップを持つ『トンネルズ&トロールズ』(略称『T&T』)が引き継ぐ形となる。
初期は海外の翻訳記事、古代・中世ヨーロッパや日本に関する読み物、ファンタジー要素を持つ映画・小説の批評、雑誌上で完結するミニゲームブックの掲載といった文芸誌的な誌面構成であった。後にグループSNEの中核をなすこととなる面々も、この時期にライターとして活躍していた。
ゲームブックが低迷期に入ると、『トンネルズ&トロールズ』と訳者である清松みゆきを中心としたテーブルトークRPGに比重をおいた構成となる。初期から続く読み物に加え、テーブルトークRPG入門マンガ、半公式となるオプションルールの紹介および誤植の訂正、リプレイ記事、メタルフィギュア・ダイス等のアクセサリーの紹介などの企画もなされた。
その後は本誌の企画に基づいて造られた『ハイパーT&T』、ミニチュアゲームから派生した『ウォーハンマーRPG』を取り扱った。
(出典:Wikipedia「ウォーロック」)
via www.geocities.jp