1980年代には二見書房・富士見書房・ホビージャパンなどの出版社がそれぞれシリーズを刊行するという一大ブームになっていた
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英米のシリーズが翻訳されただけではなく、日本で多くのゲームブックが書かれ、量的には翻訳作品を凌駕した。
質の面でも、1984年のアーケードゲーム『ドルアーガの塔』を原作とする「ドルアーガの塔」3部作(鈴木直人・創元推理文庫 1986年 -)やパラグラフ数1000を数える大型メルヘンファンタジー「ネバーランドのリンゴ」(林友彦・創元推理文庫 1986年)なども登場した。東京創元社はゲームブックコンテストを開催し、日本のゲームブック作家の育成に大きな役割を果たしている。
このようなゲームブックの隆盛は、日本におけるテーブルトークRPGの普及に直結した。ゲームブックは複雑なルールを持つテーブルトークRPGの入門書の役割を持っていた。
ゲームブック・ファンに対して、より進んだ遊戯としてテーブルトークRPGが作り手側より提示されるということが行われていたし、ゲームブックのプレイはテーブルトークRPGへの橋渡しとして有効だった。前述の「ウォーロック」誌などはテーブルトークRPG雑誌へと変わっていった。
シャーロックホームズ 10の怪事件(1985年12月)
シャーロック・ホームズ 10の怪事件
ゲイリー・グレイディ、スーザン・ゴールドバーグ、レイモンド・エドワーズ 著 二見書房
名だたる探偵の中でも、最も有名な存在と言えるのがコナン・ドイルが生み出したシャーロック・ホームズであることに異論をはさむ人は少ないであろう。
そのシャーロック・ホームズが活躍する世界を見事に再現したのが、このシャーロック・ホームズ10の怪事件である。ゲームブックと言っても、パラグラフを選んで進んでいく普通のゲームブックとは異なり、主人公である君はベーカー街探偵団の一人としてリーダーのウィギンズとともに、ロンドンの街を駆け巡ることになる。
事件に関係のありそうな場所を片っ端から訪れて推理を働かせれば、たいがいの事件の謎は解けると思うが、勝利条件としては、出来るだけ少いヒントから事件を解決に導き、あらかじめ設定されているホームズの捜査点を上回る必要がある。
出典:ゲームブック大事典「シャーロック・ホームズ 10の怪事件」
http://www.h2.dion.ne.jp/~yatte/gamebook3.html
ゲイリー・グレイディ、スーザン・ゴールドバーグ、レイモンド・エドワーズ 著 二見書房
名だたる探偵の中でも、最も有名な存在と言えるのがコナン・ドイルが生み出したシャーロック・ホームズであることに異論をはさむ人は少ないであろう。
そのシャーロック・ホームズが活躍する世界を見事に再現したのが、このシャーロック・ホームズ10の怪事件である。ゲームブックと言っても、パラグラフを選んで進んでいく普通のゲームブックとは異なり、主人公である君はベーカー街探偵団の一人としてリーダーのウィギンズとともに、ロンドンの街を駆け巡ることになる。
事件に関係のありそうな場所を片っ端から訪れて推理を働かせれば、たいがいの事件の謎は解けると思うが、勝利条件としては、出来るだけ少いヒントから事件を解決に導き、あらかじめ設定されているホームズの捜査点を上回る必要がある。
出典:ゲームブック大事典「シャーロック・ホームズ 10の怪事件」
http://www.h2.dion.ne.jp/~yatte/gamebook3.html
シャーロックホームズ 10の怪事件(1985年12月)
コナン・ドイル原作の『シャーロック・ホームズ』の世界を再現した探偵ゲーム第一弾となるゲームブック。パラグラフを選んでいく、普通のゲームブックとは異なるシステムで、10の怪事件の謎を解いていく。 本の付録には、事件解決に役立つ、『ロンドンの地図』、『ロンドン住所録』、『10日分が綴られたタイムズ』、『14の情報源』が用意されている。
Amazonより
http://www.amazon.co.jp/dp/457685092X
Amazonより
http://www.amazon.co.jp/dp/457685092X
ゲームブックの隆盛はテーブルトークRPGの普及に直結した
テーブルトークRPG
テーブルトークRPG、あるいはテーブルトーク・ロールプレイングゲームは、ゲーム機などのコンピュータを使わずに、紙や鉛筆、サイコロなどの道具を用いて、人間同士の会話とルールブックに記載されたルールに従って遊ぶ“対話型”のロールプレイングゲーム(RPG)を指す言葉である。
TRPGと略記されることがある。TTRPG、tRPGなどの略記もある。また、会話型RPGとも呼ばれる。なお、TRPGと会話型ロールプレイングゲームはホビージャパンの登録商標となっている。
「テーブルトークRPG」は日本での造語(和製英語)である。元々、英語で「RPG」(role-playing game)と言う場合にはこの「テーブルトークRPG」を指す。しかし、日本ではコンピュータRPGを指すのが一般的であるため、 元来の RPGをコンピュータRPGと区別する呼称としてこの言葉が普及した。
英語圏でコンピュータRPGと区別する場合には、ペン&ペーパーRPG(pen-and-paper RPG)、テーブルトップRPG(tabletop RPG)などと呼ぶ。
日本におけるテーブルトークRPGの始まりは、1970年代後半に求められる。 原宿キディランドなどの玩具店や模型店で、日本国外製の原語のTRPGが輸入販売されるようになり、それをプレイする人々が初期のユーザーとなった。
元々はアメリカの大学生の遊びから生まれたゲームであるため、ルールは全て英語で書かれており、それを読めなければゲームを始めることすらできなかった。しかし、彼らは次第にゲームの翻訳・翻案、さらには自作まで行うようになる。
日本ではテーブルトークRPGよりも一足先にボードシミュレーションゲームが紹介されており、1980年代前半にはファン層も確立され、日本語のゲームや日本語の専門誌もいくつか出版されていた。
『TACTICS』『シミュレイター』などの当時のボードシミュレーションゲーム雑誌では、「ボードシミュレーションゲームの兄弟のようなゲーム」として日本国外のRPGならびにその周辺の状況がたびたび紹介されている。
1982年5月1日発売の『TACTICS』3号にロールプレイングゲーム「ドンキーコマンド」が掲載される。「ドンキーコマンド」はコマンド隊員をキャラクターとして作成し、秘密基地に潜入。爆破や奪取任務を行う1人プレイ用のルールであった。
日本語で書かれたTRPG製品が商業ベースで発売されるようになったのは1983年で、この年にエドワード・リプセットにより『スタークェスト』が ツクダホビーから発売されている(リプセットは日本人ではなかったが、『スタークェスト』はあくまで日本オリジナルの国産製品である)。
また、同年にはツクダホビーやバンダイから、ロールプレイングゲームの要素を持つボードゲームが日本人のゲームデザイナーにより多数発売された(ツクダホビー「クラッシャージョウ」、バンダイ「元禄忍者伝」など)。
1984年には日本人作による初の本格的なテーブルトークRPGである『ローズ・トゥ・ロード』(門倉直人著、ツクダホビー発売)が発売された。また、同年には日本国外製TRPGの初の日本語翻訳製品となる『トラベラー』がホビージャパンより発売されている。その後、1985年には『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(新和)、1986年には『クトゥルフの呼び声』(ホビージャパン)と、著名な日本国外作品の日本語翻訳版発売の流れが続き、後のブーム(繁盛期)の端緒を開いた。
日本語のTRPG製品が発売されていった1980年代前半は、コンピュータRPGが日本のパソコンゲームファンに注目されだした時期でもある。『ログイン』『Beep』などのコンピューターゲーム誌では「ウィザードリィやウルティマの元となったゲーム」として、ダンジョンズ&ドラゴンズ等の紹介が始まり、コンピュータゲームをきっかけにテーブルトークRPGに興味を持つ、という流れを作り出した。なお、コンピューターゲーム誌では、コンピューターRPGに対しての「ボードRPG」という造語が盛んに用いられていた。
1980年代後半に入ると、パソコンゲーム雑誌『コンプティーク』(角川書店)誌上に、D&Dのシステムを用いた『ロードス島戦記』のリプレイが掲載された。その後、リプレイを原案とした小説版『ロードス島戦記』が発表され大きな反響を呼び、漫画やOVA、パソコン用ゲームなど、いわゆるマルチメディア展開を見せ、日本におけるテーブルトークRPG普及に一役買うことになる。
(出典:Wikipedia「テーブルトークRPG」)
TRPGと略記されることがある。TTRPG、tRPGなどの略記もある。また、会話型RPGとも呼ばれる。なお、TRPGと会話型ロールプレイングゲームはホビージャパンの登録商標となっている。
「テーブルトークRPG」は日本での造語(和製英語)である。元々、英語で「RPG」(role-playing game)と言う場合にはこの「テーブルトークRPG」を指す。しかし、日本ではコンピュータRPGを指すのが一般的であるため、 元来の RPGをコンピュータRPGと区別する呼称としてこの言葉が普及した。
英語圏でコンピュータRPGと区別する場合には、ペン&ペーパーRPG(pen-and-paper RPG)、テーブルトップRPG(tabletop RPG)などと呼ぶ。
日本におけるテーブルトークRPGの始まりは、1970年代後半に求められる。 原宿キディランドなどの玩具店や模型店で、日本国外製の原語のTRPGが輸入販売されるようになり、それをプレイする人々が初期のユーザーとなった。
元々はアメリカの大学生の遊びから生まれたゲームであるため、ルールは全て英語で書かれており、それを読めなければゲームを始めることすらできなかった。しかし、彼らは次第にゲームの翻訳・翻案、さらには自作まで行うようになる。
日本ではテーブルトークRPGよりも一足先にボードシミュレーションゲームが紹介されており、1980年代前半にはファン層も確立され、日本語のゲームや日本語の専門誌もいくつか出版されていた。
『TACTICS』『シミュレイター』などの当時のボードシミュレーションゲーム雑誌では、「ボードシミュレーションゲームの兄弟のようなゲーム」として日本国外のRPGならびにその周辺の状況がたびたび紹介されている。
1982年5月1日発売の『TACTICS』3号にロールプレイングゲーム「ドンキーコマンド」が掲載される。「ドンキーコマンド」はコマンド隊員をキャラクターとして作成し、秘密基地に潜入。爆破や奪取任務を行う1人プレイ用のルールであった。
日本語で書かれたTRPG製品が商業ベースで発売されるようになったのは1983年で、この年にエドワード・リプセットにより『スタークェスト』が ツクダホビーから発売されている(リプセットは日本人ではなかったが、『スタークェスト』はあくまで日本オリジナルの国産製品である)。
また、同年にはツクダホビーやバンダイから、ロールプレイングゲームの要素を持つボードゲームが日本人のゲームデザイナーにより多数発売された(ツクダホビー「クラッシャージョウ」、バンダイ「元禄忍者伝」など)。
1984年には日本人作による初の本格的なテーブルトークRPGである『ローズ・トゥ・ロード』(門倉直人著、ツクダホビー発売)が発売された。また、同年には日本国外製TRPGの初の日本語翻訳製品となる『トラベラー』がホビージャパンより発売されている。その後、1985年には『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(新和)、1986年には『クトゥルフの呼び声』(ホビージャパン)と、著名な日本国外作品の日本語翻訳版発売の流れが続き、後のブーム(繁盛期)の端緒を開いた。
日本語のTRPG製品が発売されていった1980年代前半は、コンピュータRPGが日本のパソコンゲームファンに注目されだした時期でもある。『ログイン』『Beep』などのコンピューターゲーム誌では「ウィザードリィやウルティマの元となったゲーム」として、ダンジョンズ&ドラゴンズ等の紹介が始まり、コンピュータゲームをきっかけにテーブルトークRPGに興味を持つ、という流れを作り出した。なお、コンピューターゲーム誌では、コンピューターRPGに対しての「ボードRPG」という造語が盛んに用いられていた。
1980年代後半に入ると、パソコンゲーム雑誌『コンプティーク』(角川書店)誌上に、D&Dのシステムを用いた『ロードス島戦記』のリプレイが掲載された。その後、リプレイを原案とした小説版『ロードス島戦記』が発表され大きな反響を呼び、漫画やOVA、パソコン用ゲームなど、いわゆるマルチメディア展開を見せ、日本におけるテーブルトークRPG普及に一役買うことになる。
(出典:Wikipedia「テーブルトークRPG」)
世界で最初のロールプレイングゲームのテーブルトークRPG「ダンジョンズ&ドラゴンズ」をプレイ中の様子
『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(Dungeons & Dragons : 略称はD&D)は、アメリカのファンタジーテーブルトークRPG。世界で最初のロールプレイングゲームであり、他のロールプレイングゲームの原点ともなり、最も広くプレイされた作品である。
日本語版はいくつかの出版社から翻訳されていたが、2014年現在ではホビージャパン社によって発売されている。
(出典:Wikipedia「ダンジョンズ&ドラゴンズ」)
日本語版はいくつかの出版社から翻訳されていたが、2014年現在ではホビージャパン社によって発売されている。
(出典:Wikipedia「ダンジョンズ&ドラゴンズ」)
任天堂のファミコンをはじめとする家庭用ゲーム機が爆発的に普及している時なので、日本ではコンピューターゲームをベースとしたゲームブックが多数発行された
エニックス(現スクウェア・エニックス)からも「エニックスオリジナルゲームブック」として、同社が発売したコンピュータRPGの人気作ドラゴンクエストシリーズ(ゲームブックドラゴンクエストの項参照)などのゲームブック化
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特に双葉社の「ファミコン冒険ゲームブック」はコンピューターゲームを主体とした低年齢向けのゲームブックを多数だしており、最終的に130以上のタイトルが刊行された。
他にはケイブンシャから「アドベンチャーヒーローブックス」シリーズが刊行されるなど、数多くのゲームブックが発売されている。
中には全て漫画で描かれた作品も存在した。ゲームメーカー自らが制作する例もありコナミからは双葉社を意識した装丁で、自社ブランドの『メタルギア』や『魂斗羅』などが発売されている。
エニックス(現スクウェア・エニックス)からも「エニックスオリジナルゲームブック」として、同社が発売したコンピュータRPGの人気作ドラゴンクエストシリーズ(ゲームブックドラゴンクエストの項参照)などのゲームブック化作品が発行されている。
「アドベンチャーヒーローブックス」シリーズ 「機動戦士ガンダム 最期の赤い彗星」
アドベンチャーヒーローブックスは勁文社から刊行されたゲームブックのレーベル。
1980年代後半の日本におけるゲームブックブームは、ファミリーコンピュータ(ファミコン)の隆盛と時期が重なっており、ファミコンソフトを題材としたゲームブック作品が複数の出版社から刊行された。アドベンチャーヒーローブックスはその1つであるが、巻を重ねるにつれアニメや実写映像作品も原作として取り入れるようになった。
本レーベルの判型は新書で、基本的に文章は横書きの左開き本である。しかし中にはコミック版と呼ばれる、1ページ1項目の漫画形式の作品があり、これらは文章が縦書きの右開き本となる。
ゲームシステムは作品によって様々だが、バトルポイント表を用いて戦闘処理を行うものが多い。まずゲーム開始時に、A・B・C…の枠の中に任意の数字を割り振る。そして敵と遭遇すると「敵の攻撃力はB+5、あなたの攻撃力はF+6」のように指示され、数値を比べることで勝敗が決まる。サイコロを使用して戦闘時にその場で無作為要素を発生させる手法と違い、最初の設定の時点で成否がある程度決まっている。アイテム不足など別の敗因がなければ、プレイヤーはバトルポイントの割り振りを繰り返して、確実に勝てる設定を模索することになる。
「機動戦士ガンダム 最期の赤い彗星」
著 : 山口宏 / 編 : スタジオ・ハード / 1986年 ISBN 4-7669-0398-6
キシリアを殺害し、ザビ家への復習を果たしたシャア・アズナブルは、打倒ザビ家に賛同し、彼を支援した同志達とともに、グワジン級戦艦「アサルム」を奪取し、密かにア・バオア・クーを脱出していた。今後の行く先を決めるためシャアは、まずは親友キグナンに会うために月を目指したが、黒塗りのザンジバルが一隻、アサルムを追尾していた。
ア・バオア・クー戦後、シャアがアクシズに到達するまでの道のりを描いた作品。「機動戦士ガンダム」で設定されたもののアニメには登場しなかった、「ペズン計画」のモビルスーツが登場する。
(出典:Wikipedia「アドベンチャーヒーローブックス」)
1980年代後半の日本におけるゲームブックブームは、ファミリーコンピュータ(ファミコン)の隆盛と時期が重なっており、ファミコンソフトを題材としたゲームブック作品が複数の出版社から刊行された。アドベンチャーヒーローブックスはその1つであるが、巻を重ねるにつれアニメや実写映像作品も原作として取り入れるようになった。
本レーベルの判型は新書で、基本的に文章は横書きの左開き本である。しかし中にはコミック版と呼ばれる、1ページ1項目の漫画形式の作品があり、これらは文章が縦書きの右開き本となる。
ゲームシステムは作品によって様々だが、バトルポイント表を用いて戦闘処理を行うものが多い。まずゲーム開始時に、A・B・C…の枠の中に任意の数字を割り振る。そして敵と遭遇すると「敵の攻撃力はB+5、あなたの攻撃力はF+6」のように指示され、数値を比べることで勝敗が決まる。サイコロを使用して戦闘時にその場で無作為要素を発生させる手法と違い、最初の設定の時点で成否がある程度決まっている。アイテム不足など別の敗因がなければ、プレイヤーはバトルポイントの割り振りを繰り返して、確実に勝てる設定を模索することになる。
「機動戦士ガンダム 最期の赤い彗星」
著 : 山口宏 / 編 : スタジオ・ハード / 1986年 ISBN 4-7669-0398-6
キシリアを殺害し、ザビ家への復習を果たしたシャア・アズナブルは、打倒ザビ家に賛同し、彼を支援した同志達とともに、グワジン級戦艦「アサルム」を奪取し、密かにア・バオア・クーを脱出していた。今後の行く先を決めるためシャアは、まずは親友キグナンに会うために月を目指したが、黒塗りのザンジバルが一隻、アサルムを追尾していた。
ア・バオア・クー戦後、シャアがアクシズに到達するまでの道のりを描いた作品。「機動戦士ガンダム」で設定されたもののアニメには登場しなかった、「ペズン計画」のモビルスーツが登場する。
(出典:Wikipedia「アドベンチャーヒーローブックス」)
一連のブームは1990年以降急速に衰退していった
1990年にはゲームブックの新刊はほぼでなくなり、1990年代初頭にはゲームブックブームの牽引役となっていた社会思想社・東京創元社・双葉社・勁文社も撤退し、ゲームブックのブームはほぼ完全に終焉した。
ゲームブックを手掛けたことがある塩田信之はブームはコンピュータゲームにおけるRPGの隆盛を反比例しているとし、「ゲーム機で手軽に冒険できるようになった時、しち面倒くさいゲームブックをわざわざやろうと考える人は少なかったということだろう」と書いている。
そんな中で、エニックスはドラゴンクエストシリーズや『MOTHER2』『ファイアーエムブレム』などコンピュータゲーム作品のゲームブック化を続けたが、ドラゴンクエストシリーズは1996年の『VI』(全4巻)が最後、そして1997年の『スターオーシャン』で「エニックスオリジナルゲームブック」シリーズも終焉を迎えた。
1993年に発売された世界初のトレーディングカードゲーム(TCG)「マジック:ザ・ギャザリング」
トレーディングカードゲーム「マジック:ザ・ギャザリング」
マジック:ザ・ギャザリング (Magic: The Gathering) は、米ウィザーズ・オブ・ザ・コースト社製のトレーディングカードゲーム。日本における代理店は、日本語版が発売された1995年からはホビージャパン、2004年以降は旧タカラ、2006年以降2011年まではタカラトミーである。2012年よりウィザーズ・オブ・ザ・コースト社の日本支社が窓口になっている。
1993年に発売された世界初のトレーディングカードゲーム(TCG)である。公式にはマジック、M:tGのように略され、他にもギャザなどと呼ばれる。このほか、「もっともよく遊ばれているTCG」などでもギネス世界記録に認定している。
メインデザイナーのリチャード・ガーフィールドは、このゲームを作ったヒントがボードゲームのコズミック・エンカウンターにあると話している。コズミック・エンカウンターの基本的なルールは簡潔なもので、そのままでは単調な展開にしかならない。しかし各プレイヤーはプレイ開始時点に“特殊能力”を与えられており、時には基本ルールを逸脱するような特殊ルールが適用される。これによってゲームの展開やバランスはプレイごとに大きく変化する。
マジック:ザ・ギャザリングを初めとするTCGにおいては、一定の制限内で好きなようにカードを組み合わせたデッキ(山札)を各プレイヤーが用意する。さらに、多くのカードが原則を破る特殊ルール(極端な一例として「ライフが0になっても敗北しない」「山札切れすると勝利する」など)を持っている。これにより、コズミック・エンカウンター以上に多彩かつダイナミックな展開が実現された。
このゲームは発売されてから短期間の内に驚異的な人気を得て、TRPG関連の新興零細メーカーに過ぎなかったウィザーズ・オブ・ザ・コースト社を一気に成長させた。そしてその人気に触発されて多くのメーカーが次々とTCGを発売した結果、僅か数年でTCGがゲームの一ジャンルとして確立したのである。人気は他のゲームジャンル・漫画にも影響を与えた。ポケットモンスター、遊☆戯☆王はこのゲームの影響を強く受けている。
大会形式も確立されており、世界中でトーナメントが開かれている。世界中からトッププレイヤーが集結して開催されるプロツアーや世界選手権を目指し、生活をマジックに捧げてまで世界を相手に競う若者も多い。
初めの頃は日本勢は優勝どころかベスト8すら高い壁であり、良くてベスト16前後を行ったり来たりする程度であったが、2001年のプロツアー東京にて藤田剛史が日本人初のベスト8入り(準優勝)を果たしたのを皮切りに、日本人がどんどん世界の舞台に進出していった。
そしてついに2004年プロツアー神戸で黒田正城が初めて日本人初のプロツアー王者に輝く。2005年シーズンでは世界選手権個人戦を森勝洋が制し、日本人初の世界王者となった。
同時に国別対抗トーナメントでも日本代表が優勝し、プレイヤー・オブ・ザ・イヤー(年間MVP)を津村健志が獲得したことで、日本が三冠を達成した。
また2006年世界選手権では国別対抗トーナメントこそ準優勝と三冠は逃すものの、世界選手権個人戦優勝(三原槙仁)、プレイヤー・オブ・ザ・イヤー(八十岡翔太)と2つのタイトルを連続で日本に持ち帰ることとなった。前出の藤田剛史、津村健志に加え、公式大会で一番多くマッチを行った中村修平の3人は、マジック殿堂入りも達成している。
(出典:Wikipedia「マジック:ザ・ギャザリング」)
1993年に発売された世界初のトレーディングカードゲーム(TCG)である。公式にはマジック、M:tGのように略され、他にもギャザなどと呼ばれる。このほか、「もっともよく遊ばれているTCG」などでもギネス世界記録に認定している。
メインデザイナーのリチャード・ガーフィールドは、このゲームを作ったヒントがボードゲームのコズミック・エンカウンターにあると話している。コズミック・エンカウンターの基本的なルールは簡潔なもので、そのままでは単調な展開にしかならない。しかし各プレイヤーはプレイ開始時点に“特殊能力”を与えられており、時には基本ルールを逸脱するような特殊ルールが適用される。これによってゲームの展開やバランスはプレイごとに大きく変化する。
マジック:ザ・ギャザリングを初めとするTCGにおいては、一定の制限内で好きなようにカードを組み合わせたデッキ(山札)を各プレイヤーが用意する。さらに、多くのカードが原則を破る特殊ルール(極端な一例として「ライフが0になっても敗北しない」「山札切れすると勝利する」など)を持っている。これにより、コズミック・エンカウンター以上に多彩かつダイナミックな展開が実現された。
このゲームは発売されてから短期間の内に驚異的な人気を得て、TRPG関連の新興零細メーカーに過ぎなかったウィザーズ・オブ・ザ・コースト社を一気に成長させた。そしてその人気に触発されて多くのメーカーが次々とTCGを発売した結果、僅か数年でTCGがゲームの一ジャンルとして確立したのである。人気は他のゲームジャンル・漫画にも影響を与えた。ポケットモンスター、遊☆戯☆王はこのゲームの影響を強く受けている。
大会形式も確立されており、世界中でトーナメントが開かれている。世界中からトッププレイヤーが集結して開催されるプロツアーや世界選手権を目指し、生活をマジックに捧げてまで世界を相手に競う若者も多い。
初めの頃は日本勢は優勝どころかベスト8すら高い壁であり、良くてベスト16前後を行ったり来たりする程度であったが、2001年のプロツアー東京にて藤田剛史が日本人初のベスト8入り(準優勝)を果たしたのを皮切りに、日本人がどんどん世界の舞台に進出していった。
そしてついに2004年プロツアー神戸で黒田正城が初めて日本人初のプロツアー王者に輝く。2005年シーズンでは世界選手権個人戦を森勝洋が制し、日本人初の世界王者となった。
同時に国別対抗トーナメントでも日本代表が優勝し、プレイヤー・オブ・ザ・イヤー(年間MVP)を津村健志が獲得したことで、日本が三冠を達成した。
また2006年世界選手権では国別対抗トーナメントこそ準優勝と三冠は逃すものの、世界選手権個人戦優勝(三原槙仁)、プレイヤー・オブ・ザ・イヤー(八十岡翔太)と2つのタイトルを連続で日本に持ち帰ることとなった。前出の藤田剛史、津村健志に加え、公式大会で一番多くマッチを行った中村修平の3人は、マジック殿堂入りも達成している。
(出典:Wikipedia「マジック:ザ・ギャザリング」)
『マジック:ザ・ギャザリング』デッキビルダーセット
マジック:ザ・ギャザリングの魅力のひとつであるデッキ構築を本格的にスタートするためのパーツがそろっています。準ランダムカード125枚、ブースターパック4個、基本土地カード100枚、デッキビルダーガイド、遊び方ガイド、カードボックスが同梱されています。これから新しいデッキをたくさん作っていきたいという方にオススメな製品です。
via mtg-jp.com
[PV]マジック:ザ・ギャザリングをはじめよう! - YouTube
世界につながる『マジック:ザ・ギャザリング』をはじめるために必要なのは、たったひとつの" 魔法" のルール。さあ、新しい冒険を始めましょう!マジックを無料で体験できる「ティーチングキャラバン」の情報はこちら→ http://teaching.mtg-jp.com/
via www.youtube.com
鈴木直人著、虎井安夫イラスト。以下の3巻で構成される。
『悪魔に魅せられし者』1986年7月31日、ISBN 978-4-488-90302-2
『魔宮の勇者たち』1986年10月31日、ISBN 978-4-488-90303-9
『魔界の滅亡』1986年12月21日、ISBN 978-4-488-90304-6
『ゼビウス』に続く、東京創元社によるナムコ作品のゲームブック化第2弾。生身の主人公が単身ゼビウス星に乗り込むというゲームブック独自の展開を見せた前作に対し、本作ではオリジナルのコンピュータゲームに近い形の表現を試み、オリジナル同様全60階のダンジョンすべてを探索する、各巻20階ずつの3部作という構成になった。当時としては珍しい、迷路の中を自由に行き来できる双方向型で、ほとんどのフロアで正確な地図が書けるように工夫されている。
原作の設定を下敷きにしつつも、塔の中で暮らす人々やモンスター、数々の工夫された仕掛け、魅力あるNPC等で独特の世界観を築き上げた。日本のゲームブック史上最高傑作とも言われるその影響力は多大なものがあり、同じ出版社の開催とはいえ、創元ゲームブック・コンテスト第1回の応募作には本作のルールをそのまま借用したものが多数あったという。
(出典:Wikipedia「ドルアーガの塔 (ゲームブック)」)