平仲明信  琉球のサムライが天下をとったオキナワンドリーム
2016年11月25日 更新

平仲明信 琉球のサムライが天下をとったオキナワンドリーム

「具志堅の仇をとってやる」とボクシングをはじめ、「沖縄から世界へ」という夢をつらぬき「くぬはがぁ」とコブシをふるった男。こんなボクサーは絶対にいない。

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「具志堅の仇をとってやる」
via ボクサー回流 平仲明信と「沖縄」の10年
腹の底から悔しかった
夜もなかなか眠れなかった
そしてふと拳だけで大きな名声と富が得られるボクシングに魅かれている自分に気づいた
「ボクシングで自分の道を切り拓けるかもしれない」

「オレと勝負せんか」

沖縄県立南部農林高等学校

沖縄県立南部農林高等学校

だがどこでボクシングを習えばいいのか
那覇に行けばボクシングジムはあるだろうが
自転車ではあまりに遠すぎ
バスでは交通費が大きすぎた
高校のボクシング部に入るにも
新学期から3年生になるのに
新入生を一緒に教わるのも馬鹿らしい
「あれこれ考えても始まらん!」
とにかくリングに上がればいいと思った
「オレと勝負せんか」
via ボクサー回流 平仲明信と「沖縄」の10年
平仲は同じ高校に通うバンタム級のチャンピオンに試合を申し込んだ
2Rの約束でスパーリングが行われた
学生ズボンにTシャツ姿の平仲は
ゴングと共に突っ込んでいき
最初は相手を驚かせたものの
結局、何もできず一方的に打たれた
打たれた痛さと恥ずかしさで顔から火が出た
具志堅の仇どころか
体格ではるかに劣る男に面白いように殴られた

田野弘

 (1606667)

田野弘は
年は平仲より1つ上で
2人の家は自転車で10分ほどの距離だったが
それほど親しくはなかった
田野は中学から那覇に通ってボクシングを習い
高校では「インターハイ優勝間違いなし」といわれた
しかし2年になる直前、
重度の自律神経失調症にかかった
ボクシングが原因だった
心身のバランスを崩し
日常生活もままならなくなり
学校を休学した
そして自宅で小中学生にボクシングを教えていた
体が治ったらボクシングから離れ
なにか仕事に就こうと思っていた
そこに平仲が駆けつけた
「ヒロシー
俺にもボクシングを教えてくれんね」
via ボクサー回流―平仲明信と「沖縄」の10年
田野は無視した
平仲はさらにいった
「具志堅が負けたさーね
具志堅の仇をとるからさ
ボクシング教えてくれんね」
田野は平仲の頭から足先まで視線をはわせていった
「ひと月で20kg落とせば教えてもいいさ」
via ボクサー回流 平仲明信と「沖縄」の10年
平仲の学生服はパンパンに膨れ上がっていた
それにしても1ヶ月で20kgの減量は無茶である
本心では平仲を追い払いだけだった
不満があればすぐに手を出すケンカ屋は
ボクシングに1番大事に忍耐に欠けると思っていた
彼にとってボクシングは神聖なものだった
 (1603484)

しかし平仲は本気だった
その夜から体操服を何枚も着込み
仕事着のカッパをかぶって走りに出た
最初は3kmがやっとだったが
5km、7km、10kmと距離を伸ばし
最後は20km走るようになった
毎晩バケツを満たすほどの汗をかいた
減量は10kgまですぐだったが
それからがキツかった
家族で夕食をした後
藪の中で喉に指を突っ込み
食べたものを吐き出した
ひと月後
別人のように引き締まった平仲が現れ
田野はたまげた
体重は70kgを切っていた
田野がパンチの基本を教えると
普通の初心者が1ヶ月かかるところ
平仲は3日で覚えた
パワーは並外れていた
春の高校総体が目前に迫っていた
「アキー
試合をしてみないか
まだ間に合うよ」
via ボクサー回流 平仲明信と「沖縄」の10年

3ヶ月で高校チャンピオン

「勝ったよ」

 (1606642)

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