2度目の巨人戦。
桑田投手と投げ合います。
しかし、前回ノーヒットノーランを達成した相手の巨人から、手痛いしっぺ返しを食らいます。
投手の桑田さんから先制のホームランを打たれ、山倉選手からはスリーランを打たれ4失点。
わずか3回3分の2、5失点で降板。
プロの怖さをはじめて感じた一戦でした。
桑田投手と投げ合います。
しかし、前回ノーヒットノーランを達成した相手の巨人から、手痛いしっぺ返しを食らいます。
投手の桑田さんから先制のホームランを打たれ、山倉選手からはスリーランを打たれ4失点。
わずか3回3分の2、5失点で降板。
プロの怖さをはじめて感じた一戦でした。
打率・出塁率・長打率・OPSは、通算38本塁打の金田正一(打率.198・出塁率.238・長打率.287・OPS.524)や通算21本塁打の堀内恒夫(打率.172・出塁率・196・長打率.262・OPS.459)よりも上である。通算打率.216は、1951年以降にプロ入りし通算500打数以上を記録した投手の中では、歴代最高記録。
実は打撃もうまかった桑田さん。
ホームランも7本打っています。
その中の1本が、近藤さんを狂わすことになったのですね。
ホームランも7本打っています。
その中の1本が、近藤さんを狂わすことになったのですね。
自分に迷いが生じる。
思い切り投げてきただけだった近藤さんは、はじめてKOされ、自分に迷いが生じます。
プロは少しでも甘く入ったら打たれてしまう。と、慎重さを自分に求めます。
しかし、近藤さんの持ち味は、がむしゃらで思い切ったピッチング。
慎重さを求めるあまり、その持ち味を見失ってしまい、ここから4連敗します。
その後、3回目の巨人戦では忘れていた感覚が戻ったのか、2-0と、またしても完封します。
数字ではルーキーイヤーは4勝5敗と、普通の数字ですが、その中身は、ノーヒットノーランあり、3連勝の後の4連敗あり、と、かなりジェットコースター的な1年でした。
プロは少しでも甘く入ったら打たれてしまう。と、慎重さを自分に求めます。
しかし、近藤さんの持ち味は、がむしゃらで思い切ったピッチング。
慎重さを求めるあまり、その持ち味を見失ってしまい、ここから4連敗します。
その後、3回目の巨人戦では忘れていた感覚が戻ったのか、2-0と、またしても完封します。
数字ではルーキーイヤーは4勝5敗と、普通の数字ですが、その中身は、ノーヒットノーランあり、3連勝の後の4連敗あり、と、かなりジェットコースター的な1年でした。
バブル経済と近藤さんとの関係。
時はバブル経済。
プロ野球各球団とも羽振りがよく、オフシーズンは海外でキャンプをしました。
そこで、球団は、近藤さんに経験を積まそうと、フロリダにあるベロ・ビーチで行われたキャンプで、ちょうど同じ場所でキャンプをしていたドジャース相手のオープン戦にどんどん近藤さんを投げさせます。
しかし、この時のドジャースは、ワールドシリーズを制覇するほど強いチームで、近藤さんはボコボコに打たれてしまいます。
日本とアメリカとの野球の格差がまだ大きいこの時代、高卒2年目の投手が大リーガー相手にかなうわけがありません。
やがて近藤さんは自信を失います。
プロ野球各球団とも羽振りがよく、オフシーズンは海外でキャンプをしました。
そこで、球団は、近藤さんに経験を積まそうと、フロリダにあるベロ・ビーチで行われたキャンプで、ちょうど同じ場所でキャンプをしていたドジャース相手のオープン戦にどんどん近藤さんを投げさせます。
しかし、この時のドジャースは、ワールドシリーズを制覇するほど強いチームで、近藤さんはボコボコに打たれてしまいます。
日本とアメリカとの野球の格差がまだ大きいこの時代、高卒2年目の投手が大リーガー相手にかなうわけがありません。
やがて近藤さんは自信を失います。
via ja.wikipedia.org
「2年目のジンクス」という言葉のマジック。
自信を喪失したまま迎えた2年目。
開幕3連敗をした近藤さんは、「これが俗に言う2年目のジンクスか。このまま勝てないかも。」という思いが頭をよぎります。
「自分が研究されているのではないか。」と、フォームのクセを直すことばかりに気を取られ、ピッチングに集中できなくなっていました。
その後、近藤さんの持ち味であるストレートとカーブのコンビネーションを念頭に置いたピッチングを取り戻すと、オールスター前までに7勝を挙げます。
再び復活したように見えました。
開幕3連敗をした近藤さんは、「これが俗に言う2年目のジンクスか。このまま勝てないかも。」という思いが頭をよぎります。
「自分が研究されているのではないか。」と、フォームのクセを直すことばかりに気を取られ、ピッチングに集中できなくなっていました。
その後、近藤さんの持ち味であるストレートとカーブのコンビネーションを念頭に置いたピッチングを取り戻すと、オールスター前までに7勝を挙げます。
再び復活したように見えました。
大きな故障が見つかる。
オールスター休み明けの練習中、近藤さんに異変が起こります。
投手なのに、キャッチャーミットまでボールが届かないという、非常に不思議な現象。
そして後半戦最初の先発をした後の夜、激痛が近藤さんを襲います。
その後、痛み止めの措置をしながらなんとか投げるも、前半戦に7勝したにもかかわらず、後半戦は1勝しかできませんでした。
この年、中日は星野監督を擁し、後半戦を50勝15敗3分という驚異的なペースで勝ち、2位巨人に9ゲームの大差をつけて優勝します。
シーズン終了後、近藤さんはアメリカに検査のために行き、そこで世界的なスポーツ医学の権威、ジョーブ博士に、「重症だ。手術するしかない」という診断を受けます。
故障箇所は、利き腕の左腕の「関節包」というところが伸び切っているため、テイクバックするときにその膜が破れ、神経に当たり激痛を伴うというものでした。
投手なのに、キャッチャーミットまでボールが届かないという、非常に不思議な現象。
そして後半戦最初の先発をした後の夜、激痛が近藤さんを襲います。
その後、痛み止めの措置をしながらなんとか投げるも、前半戦に7勝したにもかかわらず、後半戦は1勝しかできませんでした。
この年、中日は星野監督を擁し、後半戦を50勝15敗3分という驚異的なペースで勝ち、2位巨人に9ゲームの大差をつけて優勝します。
シーズン終了後、近藤さんはアメリカに検査のために行き、そこで世界的なスポーツ医学の権威、ジョーブ博士に、「重症だ。手術するしかない」という診断を受けます。
故障箇所は、利き腕の左腕の「関節包」というところが伸び切っているため、テイクバックするときにその膜が破れ、神経に当たり激痛を伴うというものでした。
復活への賭けも実らず。
手術をしたことで、可動域が制限され、胸が張れないためスピードが出ない。
上半身の強さだけでピッチングをしていたスタイルの近藤さんは、下半身のトレーニングがまだ十分ではありませんでした。
近藤さんの持ち味である、力いっぱい投げて抑えるというスタイルが出来ない以上、いくら技巧派に転向しようとしても、それは近藤さんの持ち味にはつながらないことでした。
スピードとしては、中日のレジェンド、山本昌さんと同じくらいの数字だったといいますが、技巧派と力投派では全然違うようで、近藤さんは、「技巧派になるくらいだったら辞める」という意識だったと語っています。
上半身の強さだけでピッチングをしていたスタイルの近藤さんは、下半身のトレーニングがまだ十分ではありませんでした。
近藤さんの持ち味である、力いっぱい投げて抑えるというスタイルが出来ない以上、いくら技巧派に転向しようとしても、それは近藤さんの持ち味にはつながらないことでした。
スピードとしては、中日のレジェンド、山本昌さんと同じくらいの数字だったといいますが、技巧派と力投派では全然違うようで、近藤さんは、「技巧派になるくらいだったら辞める」という意識だったと語っています。
高卒1年目から活躍し続けることの難しさ。
おそらくもともと、類まれなる上半身の強さを持って、その才能が一気に開花したのが、ノーヒットノーランだったのでしょう。
そしてその「若さ」の貯金で、2年間で12勝を挙げた。
しかし、野球、特に投手は全身のバランスが非常に重要なアスリートなのだと思います。
高卒1年目で力の限り投げ続け、鍛え上げる時間が少なかったことが、近藤さんにとってウイークポイントになってしまった、結果論ですが、そのように推測されます。
そしてその「若さ」の貯金で、2年間で12勝を挙げた。
しかし、野球、特に投手は全身のバランスが非常に重要なアスリートなのだと思います。
高卒1年目で力の限り投げ続け、鍛え上げる時間が少なかったことが、近藤さんにとってウイークポイントになってしまった、結果論ですが、そのように推測されます。