やがて進路を決める季節が訪れた
長与に高校進学はあり得なかった
空手で推薦入学の話もあったが
お金の面倒はかけられない
働くしかなかった
長与に高校進学はあり得なかった
空手で推薦入学の話もあったが
お金の面倒はかけられない
働くしかなかった
「私、プロレスラーになるしかない」
via blog.livedoor.jp
そんな時、
月刊「平凡」に
「女子プロレスラー募集・月収10万円」という広告をあった
月刊「平凡」に
「女子プロレスラー募集・月収10万円」という広告をあった
「小6の時、
長崎市体育館で見たビューティ・ペアを思い出した
パンタロンをはいて歌を歌った後、リング上で戦う
確かにあこがれの目で眺めていた時期もあった
それでいてお金が稼げるのか
だったら私、プロレスラーになるしかない」
進学の3者面談で父が一時帰ってきた時
「プロレスラーになる」と告げた
父は「だったらボートレーサーにならないか?」と言った
しかし心は決まっていた
「プロレスラーになる」と告げた
父は「だったらボートレーサーにならないか?」と言った
しかし心は決まっていた
「今、思い起こせば幼いころから目の前で船のエンジン音を聞かせられたりしたので
将来レーサーにしようとしてたんでしょうね(笑)」
長与の通っていた玖島中学校で
就職の道を選んだのは彼女が初めてだった
それでも担任の先生は
「15歳の女の子が自立して何かをやろうとしているんです
お願いします」
と校長先生に掛け合って応援した
就職の道を選んだのは彼女が初めてだった
それでも担任の先生は
「15歳の女の子が自立して何かをやろうとしているんです
お願いします」
と校長先生に掛け合って応援した
「本当の恩師ですよ
今でも感謝しかないですよ」
プロレスラーになると決めたからには体をつくるしかない
ソフトボールと空手は続けていたから
あとは食べるだけ
弁当のほかに購買部で残ったパンを取っておいてもらったりして
必死に体重を増やした
身長160cmで体重は70kgになった
しかし間が悪いことに
その年の公式オーディションはもう終わっていた
長与は熊本のプロモーターに履歴書を送った
すると別枠でテストを受けることができるようにしてもらい
それまでは「自宅待機」となった
学校は受験勉強のシーズン
長与はお小遣いをためて
クラスの人数分=40本の鉛筆を買って皆に贈った
長与はお小遣いをためて
クラスの人数分=40本の鉛筆を買って皆に贈った
「プロレスラーになるという夢を後押ししてくれた担任の先生やみんなに対するせめてもの恩返しのつもりだったんです」
やがて長与にも
全日本女子プロレスから合格の通知が来て上京することになった
長崎空港には40人以上の友人が見送りにきた
全日本女子プロレスから合格の通知が来て上京することになった
長崎空港には40人以上の友人が見送りにきた
全日本女子プロレス
via ameblo.jp
目黒区にあった全日本女子プロレスは
4階建てのビルで
1階に道場と事務所
屋上に合宿所があった
長与は布団を担いで階段を上っていった
両親も来ていたが規則で入れなかった
4階建てのビルで
1階に道場と事務所
屋上に合宿所があった
長与は布団を担いで階段を上っていった
両親も来ていたが規則で入れなかった
「4階の階段から手を振った
母が泣いている
初めて「本当にプロレスの世界に入るんだな」って実感した瞬間でした」