UWF   そして復讐の団体は誕生した
2022年3月21日 更新

UWF そして復讐の団体は誕生した

「蛇の穴」ビリー・ライレージム、カール・ゴッチ、力道山、アントニオ猪木、藤原喜明、佐山サトル、前田日明、高田延彦、猪木舌出し失神事件、アントンハイセル事件、新日本プロレスクーデター事件、,タイガーマスク引退、1984年にUWFができるまで色々なことががありました。

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1982年2月、5年間にわたり藤原喜明とスパーリングを積んだ前田日明は、待望の初の海外遠征に出て、イギリスでサミー・リーの弟、「クイック・キック・リー」としてリングに上がった。
一方、アントニオ猪木は
「プロレス界における世界最強の男を決める」
と世界中に乱立するベルトを統合し最強の統一王者を決めようというBIGイベント「IWGP(インターナショナルレスリンググランプリ、InternationalWrestlingGrandPrix)」構想をブチ上げ、新日本プロレスは準備を進めていった。
イギリスにいた前田日明も、修行を1年で終了し、IWGPに参戦するために帰国することになったが、日本に戻る前にアメリカのフロリダに寄り、約1ヵ月間、カール・ゴッチからトレーニングを受けた。
このとき20歳の高田延彦も渡米し。トレーニングパートナーを務めた。
当初、IWGPは、開幕戦は日本で行い、韓国-中近東-ヨーロッパ-メキシコとサーキットし、決勝戦はニューヨークで行うという計画だったが、プランが壮大すぎることや「プロレス最強の男を決める」ということに対し(当然、負けたほうが損だから)各地区のチャンピオンやプロモーターは難色を示すなど紆余曲折あり、日本国内でのリーグ戦に大幅に縮小された。
参加したのは、

日本代表:アントニオ猪木、キラー・カーン、ラッシャー木村
北米代表:アンドレ・ザ・ジャイアント
アメリカ代表:ハルク・ホーガン、ビッグ・ジョン・スタッド
中南米代表:カネック、エンリケ・ベラ
欧州代表:オットー・ワンツ、クイック・キック・リー(イギリスから呼び戻された前田日明)

の10名がリーグ戦を行った。
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最終的にアントニオ猪木とハルク・ホーガンが勝ち点で並び、1983年6月2日に蔵前国技館で優勝決定戦が行われた。
アントニオ猪木とハルク・ホーガンの戦いは一進一退だったが、途中、劣勢の猪木がエプロン際でホーガンのアックス・ホンバーを受け、リング下に転げ落ち、レフリーのMr.高橘はカウントを数え出した。
「高橋、バカ野郎、待てよ」
坂口征二がそう叫びながらリングサイドから飛び出し、猪木を抱えてリングに入れようとした。
しかし猪木はエプロンでうつ伏せになり舌を出したままピクリとも動かなかった。
坂口は舌が巻きついて呼吸困難ならないよう自分の履いていた草履を猪木の口に突っ込んだ。
試合はハルク・ホーガンのの勝ちとなり、猪木はすぐに病院に担ぎ込まれ面会謝絶になった。
坂口と新間寿は病室の外でひたすら待ち、翌朝、病室に入ると、なんとベッドには猪木ではなく猪木の弟が寝ていた。
猪木は夜中にコッソリ抜け出していた。
自分が勝つよりも失神KOという衝撃的に負けるほうがカネになるという判断だったことに気づき、坂口は激怒。
「こんな話あるか
ふざけるんじゃないよ
俺は当分、会社出ないよ」
といい
「人間不信」
と書いた紙を会社の自分の机の上に置いてハワイに行った。
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2、3日後、新間は病院に挨拶にいき、猪木が途中で帰ってしまったり、マスコミが病院に押しかけて大騒ぎになったことを謝った。
「ご迷惑をおかけしました」
すると看護師がこんなことをいった。
「私たちはあの試合を見させていいただきました。
新間さんや猪木さんはプロレスではプロかもしれません。
でも私たちは看護のプロです。
猪木さんがやったように舌を出したま失神するというのは医学的にありえません。
あれは猪木さんの芝居です」
新間はショックだった。
勝つべき試合で猪木は失神KOされ、今は雲隠れしている。
坂口はいなくなってしまう。
いったい何がどうなっているのか、さっぱりわからなかった。
そしてこの事件をきっかけに新日本プロレスは悪い方向に向かっていった。
「やはりレスラーはリング上で強くなくてはならない。
そうでなけれぱ示しがつかなくなる。
IWGPの優勝を猪木が逃すことによって組織のタガが外れてしまったのだ」
(新間寿)
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猪木の個人事業の1つにアントンハイセルがあった。
アントンハイセルは1980年に設立され、ブラジル国内で豊富に収穫できるサトウキビの絞りかすの有効活用法として考案された事業だった。
当時からブラジル政府は、石油の代わりにサトウキビから精製したアルコールをバイオ燃料として使用する計画を進めており、アントン・ハイセルはバイオテクノロジーベンチャービジネスの先駆けだった。
アントンハイセルを開始するにあたって猪木は自民党の大物議員に
「アントン・ハイセルによって世界中のエネルギー問題や食糧問題が全て解決する」
といって協力を呼びかけたが断られ、逆にブラジル情勢を危惧し辞めるよう説得された。
実際、プロジェクトを進めていくとサトウキビからアルコールを絞り出した後にできるアルコール廃液と絞りカス(バガス)が公害問題となった。
バガスを土中に廃棄すると土質が悪化し農作物が取れなくなり、家畜に飼料として食べさせると直ぐに下痢を起こしてしまい、バガスを食べた家畜の糞を有機肥料としようとしたが気候の問題で発酵処理に失敗。
さらに追い討ちをかけるようにブラジル国内のインフレにより経営は悪化の一途を辿った。
こうしてアントンハイセルは数年で数十億円の負債を出した。
猪木はテレビ朝日に放送権を担保に12億円を肩代わりしてもらったが、補え切れず、新日本プロレスの収入の大半を補てんに回してしまった。
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社命によってアントンハイセルの社債の購入が義務づけられ、坂口征二は自宅を担保に数千万、藤波辰巳は妻の実家から数千万、すべての背広組、レスラーが100万円以上を出した。
その上、1983年春の契約更改で、ほとんどのレスラーが現状維持。
客は常に満員なのに給料が上がらない。
すべての社員やレスラーが不満に思う中、猪木の舌出し失神KO負け事件が起こった上、株主総会で新日本プロレスは、
「売り上げ19億8000万円、利益750万円」
という信じられない数字を報告。
ホーガン戦の約2カ月後、人気絶頂の新日本プロレスでクーデターが起こった。
まず1983年5月16日、長州力、アニマル浜口らが新日本プロレスの三重県津大会を無断欠場し
「新日(新日本プロレス)から脱退したい」
と表明。
「社長、これは職場放棄ですよ。
謹慎処分か退職処分にすべきではないですか」
新間は猪木に訴えた。
「そう派手にやってくれるなよ。
そもそもは俺が昨年の長州造反を押さえつけなかったことが原因なのだろうが、長州が今回やったことにしてももう1つ心から怒れない部分があるんだよ。
この前もいったように俺も長州と同じことをして自分を主張してきたし・・・」
「いや、ペナルティを科して、それが受け入れられなければ辞めさせるべきです」
「俺は長州を信じている」
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「結局、猪木は長州、浜口を野放しにした。
同じ釜のメシを食い、肌をあわせ汗を流した選手達の絆の強さ。
やはり選手は違うんだな、選手のほうが可愛いのかなと思った。
しかし処分しなかったことで、山本(小鉄)、藤波(辰巳)らは、これなら何をしても大丈夫だと勢いづいて、私たちの知らぬところで着々と手を打っていた」
(新間寿)
1983年7月、サマーファイトシリーズを猪木は欠場
山本小鉄、藤波辰巳、大塚直樹(新日本プロレス営業部長)らは
「新団体をつくるためにはタイガーマスクがいる」
と考え、試合が終わった佐山サトルがホテルの部屋に戻るところ、藤波は
「このシリーズが終わったら話がある」
と声をかけ、大塚直樹がタイガーマスクをクラブに誘い、
「私達は新日本プロレスを辞めて新しい組織をつくります。
8月いっぱいで営業の者は突然いなくなります」
といった。
7月29日、富山で山本小鉄、藤波辰巳、大塚直樹、佐山サトルらが会合を持った。
山本小鉄は
「新団体は猪木、新間、坂口を除く」
といい、佐山サトルは違和感を感じた。
師であり恩人であり神であるアントニオ猪木を裏切るなんて考えられないことだった。
その後、態度を明らかにしない佐山サトルに大塚直樹は
「新日を出るなら500万円払う」
といい、
「もう営業は全員やめるつもりなんですよ、ほら」
と辞表をみせた。

タイガーマスク佐山聡が素顔を公開

1983年8月11日、突然、佐山サトルは、新日本プロレスに内容証明書付きの契約解除通告書を送り、一方的に引退。
8月13日、タイガーマスクはカナダでタイトルマッチを行い、日本でも中継される予定だったが、猪木の付き人として同行していた高田延彦が代役を務めることになった
21歳の高田延彦は、このテレビデビュー戦をレッグロールクラッチで勝利。
古館一郎に
「青春のエスペランサ(ポルトガル語で「希望」)」
というニックネームをつけられた。
8月18日、佐山サトルはテレビ朝日の「欽ちゃんのどこまでやるの!?」に出演し、マスクを脱いでテレビで素顔をさらした。
衝撃的なデビューから始まったタイガーマスク・ブームは2年4カ月目にして突然、幕を閉じることとなった。
結婚問題、クーデター事件に嫌気がさしたこと、格闘技への情熱が理由と思われるが、一般的には謎だらけの引退で、その衝撃は「猪木舌出し失神KO負け事件」の比ではなかった。
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1983年8月20日、海外にいた猪木が帰国。
1983年8月21日、東京、南青山の新日本プロレスの事務所で、望月和治常務取締役と山本小鉄取締役は、猪木に退任を迫った。
1983年8月22日、猪木は自身が経営する六本木のレストラン「アントンリブ」で佐山サトルと食事。
新日本プロレスに戻るように説得したが、佐山の決意は固かった。
1983年8月24日、猪木と同じく日本を離れていた新間寿(営業本部長)が帰国。
1983年8月25日、新日本プロレス事務所で緊急役員会が開かれ、クーデター事件の責任をとる形で、猪木は代表取締役社長を、新間は専務取締役営業本部長を解任された。
1983年8月26日、坂口征二も副社長を退いた。
「忘れもしない1983年8月24日、まさに寝耳に水だった。
今も耳にこびりつき夢にまで出てくるアントニオ猪木の声。
『新間、もうダメだ。
俺が両手をついて頼むから新日本プロレスを辞めてくれ』
その瞬間、目の前が真っ暗になった。
何とも弱々しい猪木の声。
これが世界最強の男の吐く言葉か。
『な、何で、社長・・・・・・』
すぐには信じられなかった。
何が起こっているのかすらも理解できなかった。
が、猪木の声を聞いてるうちにプロレスの情熱がスーッと抜けていった」
(新間寿)
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1983年8月29日、新日本プロレスはテレビ朝日からの出向役員:望月和治、大塚博美、山本小鉄の3名が代表取締役とする新体制を発足。
こうしてクーデター側の勝利に終わったにみえたが、それは
「猪木がいなくてもプロレスを続けられるのか?
猪木が新日プロを辞めたらウチ(テレビ朝日)は放送を打ち切るよ」
というテレビ朝日の重役の一言で一気に力を失った。
1983年11月1日、新日本プロレス事務所で臨時株主総会が開かれ、猪木が代表取締役社長に、坂口が取締役副社長に復帰。
望月和治はテレビ朝日に戻され、大塚博美と山本小鉄は取締役に降格。
新間寿は新日本プロレスを去った。
大塚直樹も辞めて、株式会社新日本プロレス興行を設立。
これが長州力らの大量離脱へとつながっていく。
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長年、フジテレビの水曜20時は「銭形平次」だった。
しかし主役の大川橋蔵が体調を崩していたため、新番組が検討されていた。
新日本プロレスを追われた新間寿は、その情報をキャッチすると自分の団体をつくることを決意。
交渉の末、フジテレビは「プロレス中継」を後釜に据えることにした。
新間は、猪木や長州力を新日本プロレスから引き抜き、タイガーマスクも加入させ、アメリカのWWFとのパイプを使ってアンドレ・ザ・ジャイアントやハルク・ホーガンを呼び、自分を追い出した奴らを見返してやろうと目論んだ。
その復讐にための団体を
「UWF(Universal Wrestling Federation、ユニバーサル・レスリング連盟)」
と命名。
社長に大学の後輩、浦田昇を据えた。
結婚式場や喫茶店、輸入代理店などを営むサンフルト(株)の社長である浦田は、学生時代、中央大学レスリング部で全日本選手権と全日本学生選手権で優勝した経験があった。
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