UWF   そして復讐の団体は誕生した
2022年3月21日 更新

UWF そして復讐の団体は誕生した

「蛇の穴」ビリー・ライレージム、カール・ゴッチ、力道山、アントニオ猪木、藤原喜明、佐山サトル、前田日明、高田延彦、猪木舌出し失神事件、アントンハイセル事件、新日本プロレスクーデター事件、,タイガーマスク引退、1984年にUWFができるまで色々なことががありました。

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1977年10月、アントニオ猪木 vs チャック・ウェップナー(映画「ROCKY」のモデルになったボクサー)戦では、佐山サトル考案のオープンフィンガーグローブが使用された。
藤原喜明と共にアントニオ猪木の付き人をやり、プロレスラーでありながら打・投・寝、すべてOKの真の格闘技を目指していた18歳の佐山サトルは、猪木に
「打撃と投げと関節技を合わせた新しい格闘技をつくりたいんです」
と打ち明け
「わかった。
お前のいう新しい格闘技をウチでやろう。
実現したときお前を第1号の選手にする」
といわれた。
以後、佐山サトルはプロレスラーとして仕事をこなしながら、キックボクシングの目白ジムに通って打撃の練習を積んだ。
目白ジムは、極真空手の創設時のメンバーで、自身、タイでムエタイの試合を経験した黒崎健時を会長とする名門ジムだった。

佐山サトル vs マーク・ コステロ Tiger Mask vs Marc Costello 1977


1977年11月、日本武道館で梶原一騎主催の「格闘技大戦争」が行われ、日本のキックボクサーとアメリカのプロ空手家が対決。
アメリカでは、プロ空手(マーシャルアーツ)が大ブーム。
特にライト級チャンピオン、ベニ―・ユキーデは大人気で、ロサンゼルスに「ジェットセンター」という大きな道場を構えていた。
またヘビー級チャンピオン、ザ・モンスターマンは2ヵ月前に猪木と異種格闘戦を行っていた。
「格闘技大戦争」のメインは目白ジム所属で外国人として初めてムエタイ王者となったライト級の藤原敏男。
佐山サトルも出場することになり、試合3ヵ月前から目白ジムで合宿生活に入り、90kg以上あった体重を77.5kgまで落とした。
試合当日、猪木がリングサイドに、山本小鉄がセコンドに入った。
相手は、ミドル級とスーパーウエルター級で3位のマーク・コステロ。
ルールは、2分6R、大きめのグローブをつけキックとパンチで戦い、投げ、寝技禁止。
さすがに寝技までは持っていけないが佐山は
「頭から落とせば勝てるだろう」
とスープレックス、バックドロップで投げ、
「決まった」
と思ったが、レスリング経験者のコステロは柔らかく受け身をとって立ち上がってきた。
そして打撃戦へ入り、佐山は目白ジムで特訓したパンチとローキックを繰り出すが当たらず、長身のコステロは左のパンチと膝蹴りでメッタ打ちにされ、ダウンを繰り返す。
6R中、7度のダウンを奪ったマーク・コステロが判定勝ち。
最後まで倒れなかった佐山は、その後、自らサンドバッグを購入し、キックの練習を続けた。
このときはまだ前座レスラーで、スポーツ紙に誤って「佐山トオル」と書かれてしまうほど無名だった。

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1977年7月、佐山サトルから2年遅れて、前田日明が新日本プロレスに入門。
前田日明の母が父と初めて会ったのは結婚する3日前で、とにかく親の望んだ人と結婚するという古風な人だった。
逆に父はチャランポラン。
前田家の隣に宗教団体に属する人間が引っ越して、定期的に入信者が集まりお経を唱え、かなりうるさかった。
ある日、コップで飲んでいた父は、
「アキラ、バット持ってこい」
といい、前田が持っていくと母親は
「持ってきちゃダメ」
と叫んだ。
次の瞬間、父は隣家に乗り込んでいった。
「ガシャン、ガシャン、パリーン」
「キャー・・・・」
そのまま父は1ヵ月帰ってこなかった。
「ウルトラマン」の最終回でウルトラマンがゼットンに倒されるのをみた小学2年生の前田は、ボロボロ泣きながら
「ウルトラマンの仇をとる」
と決意。
ゼットンを倒すために少林寺拳法を習い始めた。
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中2のとき、両親が離婚。
前田は45歳の父親と2人暮らしになった。
ある日、
「2~3か月出張にいってくる」
といって父は韓国へ行って結婚。
以後、生活費を稼ぐために日本に戻ってきて、1、2万円置いて、また2、3ヵ月韓国へいくという生活を繰り返した。
前田は高1の終わりから工事現場で働き始めた。
「高校1年か2年のとき、猪木vsアリ戦があったんだよね」
やがて父親は韓国で離婚し、日本へ帰ってきてすぐに女をつくり
「昔は15歳で元服だ。
16過ぎてるんだから1人で暮らせ」
といった。
頭に来た前田は、ある夜、包丁を持って玄関で父の帰りをジッと待ったが、やがて空が白み始め、アホらしくなった。
「自分はなんてバカバカしいことをやっているんだと。
父親に振り回されて。
自分の人生やないやないかと。
自分で生きていこうと決めたんです」
そして高校と仕事に行きながら空手とバイクに熱中した。
「空手の道場の先生はわりと寛容にケンカも黙認する人で『やるのはいいんだけど負けちゃいけないよ』と。
初段をとったとき路上教習があって、1番最初はホテル街にいって女をホテルに連れ込む男を見つけてシバいて、それ卒業したら酔っ払い同士の喧嘩に入って止めるフリして両方をシバくんです。
それをクリアしたら強そうなヤツ。
最後は戦闘服を着てるやつに『行って来い』と。
ボクシングの試合みたいにずっと殴り合うなんてケンカではあり得ない。
ワンパン(ワンパンチ)です。
まあケンカには前口上もあるから、ケンカは口8割、実技1割、あと運1割」
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前田日明は
「強くなりたいねん」
それだけだった。
マンガ「空手バカ一代」がバイブルで、極真空手の大山倍達の弟子達のようにアメリカで空手の道場を開くのが夢。
大学受験に失敗するとアメリカ行きの金を貯めるためアルバイトに明け暮れた。
そんなとき空手の先輩と公園で練習しているとイカつい体をした男が近づいてきた。
「それはキックですか、空手ですか?」
それが佐山サトルで、その後、一緒に練習した。
「佐山さんは身長は小さかったですけどサイコロみたいに横幅がありましたし、もう組んだらポーンって投げられてどうしようもなかったですね。
凄い力やなぁと思ってね」
アントニオ猪木の付き人やっていた佐山聡は、前田日明のことを話し、猪木はそれを新日プロレスの営業部長、新間寿に話した。
新間はすぐに大阪に飛んで、前田日明をスカウトした。
「プロレスラーにならないか?」
「とんでもない!
自分は無理です」
「君はモハメッド・アリが好きか?
ヘビー級ボクサーになる気はないか?」
「ヘビー級ボクサーだったら考えてもいいです」
「じゃあモハメッド・アリの弟子にしてやろう。
ウチはモハメド・アリのジムと提携してる(ウソ)から一緒のジムに入ってボクシングのヘビー級チャンピオンも目指せる。
ただ君はまだ体ができてないんでウチで1~2年間体を大きくしてアリの弟子になったらいい」
「新日本プロレスに1~2年食べさせてもらってトレーニングさせてもらって、どうやってお返しすればいいんですか?」
「ちょっとだけ試合してくれればいいから」
前田は 金を貯めなくてもアメリカに行けると思い 新日本プロレスの門を叩くことにした。
192cm、73kgのガリガリだった前田は、キツい練習とトレーニングをした後、山盛りのドンブリ飯を5杯から10杯食わされた。
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東北巡業中、着替え中の藤原喜明にあいさつしたが、
「シッシッ」
と手で追い払われ、開場前のリングで汗を流す藤原が相手がいないのをみて
「藤原さん、スパーリングお願いします」
と志願したが、
「シッシッ」
1ヵ月後、山口県の巡業で、その藤原と前田のやり取りをみたアントニオ猪木は
「藤原、たまには新弟子の相手をしてやれよ。
よし、前田、俺がやってやる」
といった。
「何をやってもいいんですか?」
「いいよ」
目の前に立つ猪木に前田は金的蹴りから目突き。
金的蹴りは太い内腿にガードされたが、目は無防備だった猪木が、
「ウーッ」
となった瞬間、周りで練習していた先輩たちがリングに上がってきてボコボコにされた。
それを横でみていた藤原は大笑い。
「バカは死ななきゃ直らない」
といって、それから毎日、前田とスパーリングをした。
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このとき藤原喜明は28歳。
レスラーとしては前座だったが、実力的には誰にも負けないという裏番長的な存在だった。
前田日明は、スパーリングでおもちゃにされながら、藤原がなぜTVに映らない前座なのか、藤原より実力で劣るレスラーがリングでスポットライトを浴びるか、不思議だった。
前田は藤原とスパーリングやり始めて1年くらいたったとき、坂口征二に
「スパーリングやろう」
といわれた。
前田は元柔道日本一の実力はすごいのだろうと思ったが、やってみると自分を極めることができない。
しかし他のレスラーもみている中、気を遣ってわざと関節を取らせ、坂口が腕ひしぎ十字固めを極めてスパーリングは終わった。
すると藤原は前田を呼び、
「俺はそんなことをするためにお前にスパーリングを教えてるんじゃない」
といって涙を流した。
それをみて前田は
「こんなにオレにことを思ってくれている」
と感動した。
1978年、20歳になった佐山サトルは
「猪木さんはいつになったら格闘技をやらせてくれるのだろう」
と思いながら日々、プロレスと格闘技の練習をしていた。
それなのにメキシコ遠征を命じられ、不服だったが渡墨。
天才的な運動能力でメキシコのプロレスファンを魅了。
専門誌、ルチャ・リブレのネンカンレスラー・オブ・イヤーとテクニシャン・オブ・イヤーに選ばれた。
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新日本プロレスの中でも1番、カール・ゴッチの影響を受けたのは藤原喜明だった。
初めてその関節技をみたとき、頭をハンマーで殴られたような衝撃を受け
「本物だ」
と思ったという。
猪木の付き人とトレーニングパートナー、そして前座レスラーを務め、30歳を過ぎた藤原はフロリダ行きを志願。
許可されるとアメリカに飛んだ。
藤原がゴッチに鍛えられ始めて3ヵ月経った頃、佐山サトルがアパートに転がり込んできた。
佐山は、日本以上にショーアップされ、格闘技の匂いがまったくしないたメキシコのプロレスで、跳んだり跳ねたり激しい試合をこなし、トペ(場外ダイブ)を放ち、イスに強く腰を打ちつけてしまうこともあった。
標高2240mにあるメキシコシティは治安が悪い上、空気が薄く、食事も合わず、体調不良と欲求不満で体重は10kg減。
親友のジムで指導するためメキシコを訪れたカール・ゴッチが、別人のようにやせてしまった佐山をアメリカにつれて帰ってきたのである。
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9時、起床
10時、アパートにゴッチが車で迎えに来る
11時、トレーニング開始。

ゴッチは、ウエイトトレーニングだけではなく、自重や他の器具を使ってさまざまな角度から負荷をかけて筋肉をつくることを強調した。
道には電柱あり、あの電柱まではアヒル歩き、次の電信柱までは佐山が藤原をオンブして歩き、その次の電信柱までは藤原が佐山に足を持ってもらい腕で歩くなど、いろいろなメニューで片道2.5km、往復5kmを90分かけて進む。
そしてトランプを使ってトレーニング。
2人、交互にトランプをめくり、ハートなら腕立て伏せ、スペードはスクワット、クローバーは腹筋。
ハートの9が出たら腕立て伏せ9回となるが、スクワットだけは出た数字の2倍の回数を行う。
それが終わると庭に木に吊るしたロープを登る。

14時、トレーニング終了。
休憩に入り、水で割った赤ワインを飲む。
休憩後、町の柔道場に移動し、ブリッジなどの基本動作、関節技の練習、スパーリング。
17時、練習が終わり、3人はスーパーで買った安いステーキ肉と赤ワインで夕食。
21時、ゴッチに車でアパートまで送ってもらう

2人は、教わったことをノートに、藤原はイラスト入りで、佐山は文章で記録した。
「ゴッチさんの教えでいい言葉はいっぱいありますよ。
『牛も倒さないと料理もできない』
『短く攻める』
あとゴッチさんが聞かれたらしいですよ。
『あなたの決め技はなんですか?』と。
ゴッチさんは『コンディションです』と答えたというんだ。
コンディションがよくないといくら立派なテクニックを持っていても勝てないということ。
あと後ろ攻めるのはオカマだけ』とか。
つまり横から攻めろということだな」
(藤原喜明)
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藤原喜明が佐山より少し先にフロリダ修行を終え、帰国。
ゴッチに習った技術を新日本の道場で磨いた。
すると前田日明はもちろん、小杉俊二、山田恵一(獣神サンダーライガー)、武藤敬司ら若手も集まってきて
「藤原教室」
と呼ばれるようになった。
彼らは藤原の関節技を真剣なまなざしを向け、技の練習が終わるとスパーリング。
藤原は関節技の技術だけでなく
「相手をくしゃくしゃにしてやれ」
などといって、戦う心を強調した。
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