「サッカーワールドカップに出場するまで43年 チームのエースナンバー「10」を背負ってきた日本の名選手たち」
2018年7月2日 更新

「サッカーワールドカップに出場するまで43年 チームのエースナンバー「10」を背負ってきた日本の名選手たち」

スポーツにおいて選手の代名詞となりうる存在の背番号。野球のエースナンバーは「18」番ですが、サッカーは「10」番がエースナンバーとされています。1954年スイス大会の予選初参加から1997年にフランス大会で初出場が決まるまで実に43年の長い年月がかかりました。今回はワールドカップに最も近づいたと言われる1980年代半ばから本大会出場が決まるまで背番号10番をつけた日本のエースの中から数人紹介したいと思います。

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日本人初のプロサッカー選手と言われ、1977年から1986年までドイツブンデスリーガのFCケルンやブレーメンなどでプレーした。左の攻撃の軸としてプレーし代表では左サイドバックに入ることもあった。選手生活の後期に10番を背負い国際Aマッチ32試合出場し9得点挙げているが、当時は海外移籍=代表辞退という考え方で国際試合の度にチームを離れるという概念がなくドイツ時代の代表参加はほとんどない。現役引退後はサッカー解説で情報番組に出演されたり横浜FCの取締役などに就任したりサッカーに深く携わっている。

・今でこそ頻繁にある海外移籍ですがこの方が先駆者なんですよね。ドイツにいるときもし招集されていたなら海外の経験をより多く伝えられ違う日本代表になっていたのではないかと思います。

木村和司

 (2021955)

「ミスター10番」などと呼ばれ背番号10番が代名詞になっている選手。現役時代は主に司令塔として活躍していたが得点能力も高く国際Aマッチ6試合連続の記録を持つ。またフリーキックの名手とも呼ばれ、中でもメキシコワールドカップ最終予選韓国戦でのゴールは今でも伝説のように語られている。国際Aマッチ54試合出場し26得点挙げており純粋なMFとしては歴代1位の記録である。10番にはこだわりがあるようで「サッカーやるならみんな10番を目指さにゃいかん」と言っていた。
1994年に引退してからはサッカー解説で見かけることが多いがフットサル日本代表や横浜Fマリノスの監督も行ったことがある。

・自分の事をワシと呼んだり広島弁のイントネーションが印象的な方ですね。以前ラモスさんとテレビに出た時、木村さんに「こいつの方がうまいから同じチームだったら10番はつけられない。(代表でつけていた)14番をつける。正直10番にこだわっていない」とおっしゃっていました。当時の日本人に対してあのラモスさんにここまで言わせる程の名選手だったんですね。
しかしラモスさん同様3年前に同じ脳梗塞を患っておられるので無理はしないでこれからも活躍してもらいたいです。

サッカーはなぜ10番がエースナンバー?

 (2021988)

サッカーは主に10番がエースナンバーとされ司令塔やエースストライカーといったチームの中心となるスター選手が付ける場合が多い特別な番号である。チームによっては他の番号な事もあるがなぜそうなったのだろうか?
さかのぼる事今から60年前の1958年ワールドカップスウェーデン大会でブラジル代表が6度目の出場で初めての優勝を成し遂げた。その時6得点を挙げ得点王になりチームのエースとして活躍した当時わずか17歳のペレ選手がつけていた番号が10番であった。これを機に10番が特別な番号と認識され世界中に広まっていった。

・ちなみにその大会でのブラジル代表は抽選で背番号を決めていたそうで、ペレ選手の10番もたまたま当たった番号だったそうです。チームによってはアルファベット順とかで決めていたりで、今みたいにポジション別ではなかったんですね。
チームによっては10番以外の番号がエースであることも時々ありますが、有名なものはイングランドのマンチェスターユナイテッドの7番は広く知られているように思います。1960年代に活躍したジョージベスト選手がつけていたことでエースナンバーとなり、以後もベッカム選手など世界レベルの選手が後継していますね。

おわりに

いかがでしたでしょうか?ワールドカップ出場前だけ見てもJリーグ等で名を馳せた名選手ばかりですね。しかし10番に限ればワールドカップ本大会ではあんまり活躍できていないように思います。今回は香川選手が前回に引き続き10番をつけますが今回はぜひ活躍して決勝トーナメントに進出してほしいです。
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