1973年7月20日、被害者K子が失踪・殺害された。
K子と大場は新宿で待ち合わせ、H教授の別荘のある八王子へ向かう。H教授の別荘で大場は、K子にキスすると見せかけ、K子が目を閉じ唇を合わせた瞬間に両手で首を絞めて絞殺した。死体を担ぎスコップで穴を掘り埋めた。
大場は、予定通りに午後8時に池袋で女友達A子と会い食事をする。会話の中で、絞殺したことを打ち明け、A子にアリバイを頼む。翌日、A子はM助教授に事実を打ち明け、H教授や周りの友人たちも知ることになる。
K子と大場は新宿で待ち合わせ、H教授の別荘のある八王子へ向かう。H教授の別荘で大場は、K子にキスすると見せかけ、K子が目を閉じ唇を合わせた瞬間に両手で首を絞めて絞殺した。死体を担ぎスコップで穴を掘り埋めた。
大場は、予定通りに午後8時に池袋で女友達A子と会い食事をする。会話の中で、絞殺したことを打ち明け、A子にアリバイを頼む。翌日、A子はM助教授に事実を打ち明け、H教授や周りの友人たちも知ることになる。
via pixabay.com
1973年7月29日、大場一家は南房総に海水浴に出かけた。夜に大場一人だけ東京に戻り、H教授の別荘向かい死体を埋め直す。K子を裸にして事前に買っていたロープでくの字型に縛り、裏山に埋めた。
二人の子供を道連れに一家心中を図る
大場の周りの友人たちは事件を知り、警察に通報せずに大場に自首を勧める。夫からK子殺害を打ち明けられた妻J子には、離婚を勧めていた。しかし、彼女は強い意志で一家心中の途を選び決行した。
大場の妻J子と被害者K子は、ともに意志が強く、外見も似ているという共通点がある。
1973年9月6日、事件から45日後の16時頃に一家心中。静岡・伊豆町の海岸で一家4人の水死体が発見される。飛び降りたと思われる岩場に靴と「大変ご迷惑ですが、親子4人がこの下の淵で投身自殺しているのでお届けください」と書いた遺書が見つかった。
大場の妻J子と被害者K子は、ともに意志が強く、外見も似ているという共通点がある。
1973年9月6日、事件から45日後の16時頃に一家心中。静岡・伊豆町の海岸で一家4人の水死体が発見される。飛び降りたと思われる岩場に靴と「大変ご迷惑ですが、親子4人がこの下の淵で投身自殺しているのでお届けください」と書いた遺書が見つかった。
via ja.wikipedia.org
1974年2月28日、事件から7ヶ月後にK子の遺体が発見される。3月26日、加害者と被害者が死亡しているが警察は大場を被疑者死亡として殺人・死体遺棄容疑で書類送検した。
事件が発生した時代の背景と現在の殺人現場
時代背景:1970年(昭和45年)に大阪万博が開催され、高度経済成長期の最後を飾った。1970年の大学進学率は23.6%(男子29.2%女子17.7%)。1970年の女性初婚年齢24.6歳。被害者のK子は、結婚適齢期の24歳。男性生涯未婚率1.70%。離婚率0.93(人口千対)。
立教大学助教授教え子殺人事件が起きた前年の1971年には、10数人の女性と肉体関係を持ち、8人を相次いで殺害して埋めて遺棄した「大久保清連続殺人事件」が起きている。
立教大学助教授教え子殺人事件が起きた前年の1971年には、10数人の女性と肉体関係を持ち、8人を相次いで殺害して埋めて遺棄した「大久保清連続殺人事件」が起きている。
大場と同じ1935年生まれの有名人は、筑紫哲也、野村克也、美輪明宏、大江健三郎。同い年で、同じ立教大学の文学部を卒業した音楽プロデューサーの酒井政利。彼は南沙織をはじめ、キャンディーズや山口百恵などをプロデュースした。
事件から50年以上が経った現在。K子が殺害されたH教授の別荘私設礼拝堂は現在、日本聖公会 鑓水聖ケネス礼拝堂となっている。大場一家が住んでいた「東洋マンション」は今も西武池袋線の「椎名駅」から徒歩6分の閑静な住宅地に建っている。
事件から50年以上が経った現在。K子が殺害されたH教授の別荘私設礼拝堂は現在、日本聖公会 鑓水聖ケネス礼拝堂となっている。大場一家が住んでいた「東洋マンション」は今も西武池袋線の「椎名駅」から徒歩6分の閑静な住宅地に建っている。
File:View of Hirizo Beach, in Minami-Izu, Shizuoka.jpg
作成: 2022年9月3日