【恐怖の9番打者】打者顔負けのバッティング!18年ぶりの優勝に貢献したトレイ・ムーア投手
2023年4月28日 更新

【恐怖の9番打者】打者顔負けのバッティング!18年ぶりの優勝に貢献したトレイ・ムーア投手

大谷翔平の活躍で注目を集める "二刀流" ですが、実は20年前、阪神タイガース18年ぶりの優勝に大きく貢献した "二刀流" の投手がいました。それがトレイ・ムーア投手。愛嬌のある風貌、変則的な投球フォーム、打者顔負けのバッティングが特徴でした。そんな頼もしい助っ人を振り返ります。

929 view

二刀流の助っ人!?

過去に、日本プロ野球(NPB)で、以下の打撃成績を残した助っ人打者がいます。さて、誰でしょうか?

105打数31安打11打点 打率.295

この数字だけを見ると、シーズン途中まで在籍して活躍したアベレージヒッターかな!?と思う人が多いのではないでしょうか。実はこれは、2002〜2004年にNPBに在籍したトレイ・ムーア投手の打撃成績。正確には、DH制のない阪神時代(2002〜2003年)の打撃成績です。

一方、投手としての通算成績は次の通り。

26勝23敗 防御率4.28

阪神時代の2002〜2003年は、いずれも二桁勝利でした。特に2003年は投打に渡って大活躍し、二刀流の助っ人!?として、18年ぶりのリーグ優勝に貢献しています。

投手としての特徴は、オーバースロー、スリークォーター、サイドスローと3種類の角度で投げ分ける左腕で、決め球のスライダーはSSS(スーパー・シークレット・スライダー)と呼ばれました。また、打者としては、野手顔負けの力強いスイングで、自分で投げて打って勝った試合も何試合かあるほどです。風貌は、口周りの髭、帽子を取った時のスキンヘッドが特徴で、ヘルメットには当て字で「夢亜」と書かれていました。

そんなトレイ・ムーア投手の阪神時代を振り返ります。

阪神タイガース歴代助人外国人投手の中でおそらく打撃成績がダントツでおかしい選手【トレイ・ムーア】

阪神入団前

トレイ・ムーアは、1972年10月2日、アメリカ合衆国テキサス州ヒューストンの生まれ。テキサスA&M大学に進学し、1994年にシアトル・マリナーズからドラフト2巡目で指名され、MLB入りします。1998年のモントリオール・エクスポズ在籍時代に、メジャーに初昇格。2001年にはアトランタ・ブレーブスでプレーしています。

MLB時代投手成績は、3勝10敗、防御率5.83と散々でしたが、打撃成績は、打率.231、26打数6安打0打点で、投手らしからぬ活躍を見せました。

2002年から、NPBの阪神タイガースでプレーすることが決定します。

衝撃のデビュー

阪神は、この年から星野仙一監督が就任。ムーアのNPBでの初登板は、2002年3月31日の巨人戦で、開幕2戦目の先発でした。相手投手は、NPBを代表する大投手・工藤公康。クリーンナップには高橋由、松井、清原が並ぶ強力打線が相手です。最初の注目は、ムーアの初打席。なんと、工藤からライト前ヒットを放ちます。投げては、強力巨人打線を6回1失点に抑え、初登板で初勝利!星野阪神に勢いをつける、価値ある勝利となりました。

続く2戦目は、2002年4月6日のヤクルト戦。この日も、投げては9回1失点完投勝利、打っては4打数3安打と大暴れでした。まだ2試合ですが、投手として2勝0敗、打者として6打数4安打 、打率.667。驚異の "二刀流助っ人" にワクワクさせられた阪神ファンも多かったことでしょう。

その後は、夏以降に失速しますが、一年目の2002年は、10勝11敗、防御率3.33の成績で規定回数にも到達。チームの最下位脱出に貢献しました。打撃も62打数17安打6打点、打率.274と、野手顔負けの成績でした。

藤本が送りバント!ムーアがタイムリー!

明けて2003年、前年実績を上げたムーアは、井川、伊良部に続く3番手投手としてローテーションを任されるようになります。開幕3試合目の横浜戦に登板し、いきなり投打に活躍。前年に続き、白星スタートとなりました。この年の阪神の快進撃は凄まじく、その一翼を担ったのも投打に活躍したムーアでした。

この年のムーアの活躍を象徴する試合が、2003年5月17日の巨人戦です。相手の先発は、木佐貫洋投手。

4回裏、6番アリアス、7番矢野の連続ヒットでノーアウト1,2塁のチャンスを作ると、8番藤本はなんと送りバント!"9番打者ムーア" の打撃に期待するかのような采配です。結局、藤本はバント失敗。。。

しかし、ムーアは、木佐貫からレフト前にタイムリーヒットを放ち、見事得点を挙げました。これがチーム唯一の得点で、投げては8回無失点、ウィリアムスにつなぐ継投で、1対0で勝利!正に、ムーアの独り舞台だったと言えるでしょう。

ムーア最強助っ人説を検証してみた 二桁勝利&シーズン打率が凄いw

18年ぶりの優勝に貢献

この年は打つ方での活躍が際立ち、オールスターゲームのファン投票では、投手部門ではなく一塁手部門で3位となる人気を集めました。 (結局出場はしていません。)

オールスター後は、前年同様に調子を崩し未勝利。しかし、終わってみれば、10勝6敗で2年連続二桁勝利を挙げ、チームは18年ぶりのリーグ優勝を果たしました。打撃成績はなんと、43打数14安打5打点、打率.326!

福岡ダイエーホークスとの日本シリーズでは、第3戦と第7戦に先発。阪神は、第1戦、第2戦とダイエーに連敗し、元気がありませんでしたが、それに活を入れたのもムーアでした。第1打席で、和田毅からチーム初ヒット!ムーアの好投が光り、最終的には延長10回、阪神がサヨナラ勝ちを収めています。

このような活躍にも関わらず、シーズン終了後には阪神を退団。翌年オリックス・ブルーウェーブで "投手としてのみ" プレーし、その年のオフにNPBを去っています。

わずか2年という短い期間ながら、阪神ファンに強烈な印象を残したトレイ・ムーア投手。二刀流に注目が集まる今、彼の活躍を思い出してみてはいかがでしょうか。

2003 日本シリーズ 福岡ダイエー vs 阪神 第3戦

14 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

【バース】歴代シーズン最高打率!シーズン最下位のヤクルトの勝率と全く同じだった!?

【バース】歴代シーズン最高打率!シーズン最下位のヤクルトの勝率と全く同じだった!?

日本のプロ野球の歴代シーズン最高打率は、1986年にランディ・バースが記録した.389。シーズン途中までは打率4割も期待され、あのイチローも抜けなかったとんでもない日本記録です。一方、この年はもう一つのユニークな記録がありました。それが、セ・リーグの最下位だったヤクルトスワローズの勝率。一体どういうことでしょうか?
izaiza347 | 130 view
【阪神タイガース】2003年4月11日巨人戦!悪夢の同点劇・・・ここから快進撃が始まった!

【阪神タイガース】2003年4月11日巨人戦!悪夢の同点劇・・・ここから快進撃が始まった!

2003年といえば、星野仙一監督率いる阪神タイガースが、18年ぶりのリーグ優勝を成し遂げた年。しかし、開幕から順調だった訳ではなく、4月11日の巨人戦では、9回裏に6点差を追いつかれる悪夢の同点劇がありました。普通なら、ここからチームの士気が低下してもおかしくないところ。ところが、ここからあの快進撃が始まったのです!
izaiza347 | 147 view
【清原和博】縦縞を横縞に!でも阪神ではなく巨人を選んだFA裏話

【清原和博】縦縞を横縞に!でも阪神ではなく巨人を選んだFA裏話

1996年のオフシーズン、当時、西武ライオンズの選手だった清原和博がFAを宣言して、その移籍先が話題となりました。候補は2球団で、阪神タイガースか読売ジャイアンツ。最終的には巨人を選びますが、なぜドラフト会議で切られた因縁の球団を選んだのでしょうか。当時のことを、清原和博が松村邦洋に語ります。
izaiza347 | 294 view
【江本孟紀】ベンチがアホやから!本人出演のYouTubeで振り返る退団の真相

【江本孟紀】ベンチがアホやから!本人出演のYouTubeで振り返る退団の真相

「ベンチがアホやから野球がでけへん!」この暴言の責任を取って、阪神タイガースを電撃引退したと言われている江本孟紀。近年は、元プロ野球選手のYouTubeチャンネルに江本本人が出没し、その事件の詳細について語っています。当時は報道されなかった "江本本人の言葉から知る" 事の真相を振り返ります。
izaiza347 | 175 view
【川藤幸三】清原和博が最も尊敬するプロ野球選手!? 松村邦洋のモノマネと共に振り返る!

【川藤幸三】清原和博が最も尊敬するプロ野球選手!? 松村邦洋のモノマネと共に振り返る!

元阪神タイガースの川藤幸三といえば、記録よりも記憶に残る選手の代表格。阪神OBの中では知名度はトップクラスで、現在は阪神OB会長を務めています。あの清原和博がルーキー時代、最も尊敬する選手だったとか。松村邦洋のモノマネとともに、川藤の現役時代を振り返ります。
izaiza347 | 266 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト