3度目の対決! 松井章圭 VS 増田章 Akiyoshi Matsui VS Akira Masuda kyokushin
増田章は突進し突きと蹴りで攻めた。
松井章圭は前蹴りで距離をとろうとしたがの突進を防げなかった。
延長戦に入り、一瞬のスキをついて上段回し蹴りが増田章の首に入った。
一瞬、意識を飛ばしたが、増田章は突進をやめなかった。
松井章圭は左上段回し蹴り、左上段後ろ回し蹴りを連発。
蹴り足ごと押されて倒されたものの、これで流れが変わった。
増田章の攻撃と突進の力が弱まり、松井章圭は攻め続けた。
そして判定で勝ち、全日本大会2連覇を果たした。
第4回世界大会 アンディ・フグの踵落としを破って優勝
大山倍達「直伝」(第4回世界大会前合宿)
今回は第4回世界大会に向けて強化合宿でもあった。
第1回世界大会は佐藤勝昭、第2回、第3回は中村誠が優勝。
空手母国の威信を守られた。
しかし今回は
「日本にエース不在」
「極真王座流出、最大の危機」
とマスコミは書きたてた。
第1回世界大会前
「日本が負けたら私は腹を切る」
第2回、第3回では
「君たち、負けたら腹を切る覚悟で臨みなさい」
といい、今回の強化合宿でも指導を行った大山倍達は
「君たち、死ぬ気で戦え」
「こんなことじゃ外国人には勝てないよ。
君たちの頭が海外勢にスイカのようにグシャッと潰されるのが浮かんでくるよ」
「とにかくだ。
勝負の世界で負けるということは死を意味することだから、負けたら死ぬ、必ず死ぬんだ。
殺らなければ殺られるという覚悟で精進しなさい」
といった。
合宿最後の夜、日本選手代表は「固めの飲み会」を行った。
選手同士一気飲み勝負を行い、負けた選手は別の選手を指名し、勝つまでこれを続けた。
それが一周すると、次はバケツに日本酒、ウィスキー、ビールなどをチャンポンして回し飲み。
主将の松井章圭も酔っ払い、
「自分たち今回の日本代表選手は、一生の付き合いをしよう」
と叫び、肩を組んで全員一丸となって
「日本の王座死守」
をがなりたてた。
しかし8年後、この日本代表15名も巻き込んだ分裂騒動が起こる。
最初はニューヨーク道場で、大山茂の竹刀に叩かれながら追い込む稽古を行った。
ニューヨーク道場には2週間滞在したが、最初の1週間で体重が8㎏落ちた。
「いいか!
右腕を折られたら左腕で倒せ。
両腕を折られたら脚で倒せ。
両手両足が利かなくなったら噛みついてでも倒せ。
それで殺されたなら化けて出ろ。
男として生まれたからには倒れるときはただ1度、死ぬときだけだという精神で行け」
後半の2週間は、アラバマ支部で大山泰彦の指導を受けた。
大山泰彦が掲げたテーマは、体力や技術的なものではなく「相手の気を読む」だった。
その稽古の中で、大山泰彦は松井章圭に対し、このような感想も持った。
「もう1つ上の殺気というか、この男の気合は実に深い位置から発してくる。
無表情な中にも相手が発散させてくる殺気に容易く乗ることなく、常に己の内に秘めた鉄をも溶かす殺気がある」
宮畑豊VSガッツ石松
操体法は、痛めた個所の周辺の筋肉を効果的に鍛え、故障個所そのものを筋肉のギブスで強化するというもので、松井章圭は、数ヵ月で腰痛を回復させた。
腰痛が癒えた後は、宮畑豊の指導でウエイトトレーニングに取り組んだ。
これまで松井章圭は、永田一彦から「低重量×高回数」のウエイトトレーニング、城西支部で「高重量×低回数」のウエイトトレーニングを経験したが、宮畑豊のトレーニングは「高重量×高回数」だった。
3ヵ月後、ベンチプレスが140㎏→170㎏、スクワットが180㎏→230㎏と松井章圭の肉体はパワーアップした。
MARUCHAN QTTA「九重部屋・かけ声篇」15秒
四股、てっぽう、すり足、ぶつかり稽古など相撲の基本稽古を力士相手に行った。
九重部屋では、稽古終了後、千代の富士と一緒に1番風呂に入った。
大会2週間前、最後のウエイトトレーニングが終わり、宮畑豊と一緒に食事にいった松井章圭は、1㎏のステーキ、シャブシャブ8人前、超大盛焼きそばと焼うどんを一気に平らげた。
極真会館 第4回世界大会(1987年)
松井章圭は1回戦は、不戦勝で第1日目を終了した。
大会前、イギリス支部長のスティーブ・アニールは
「極真会館2代目就任への賛同と新体制設立の趣意書」
を海外の支部長らに送付していた。
そこにはスティーブ・アニール自身が極真会館の2代目になることも盛り込まれていたが、ヨーロッパを中心に多くの支部長から賛同を得ていた。
そして世界大会終了翌日に開かれる全世界支部長会議で
「大山倍達の総裁解任とスティーブ・アニールの2代目就任」
を議決する計画だった。
反大山倍達派は、日本の関係者と行き交うとき挨拶さえ交わさず、日本人 vs 外国人の試合で日本人選手が判定で勝つと、外国人からヤジ、ブーイング、指笛など抗議のデモンストレーションを起こした。
大山倍達は、このクーデター計画を承知していたが
「試合の判定が日本人びいきであるといわれるような大会であっては断じていけない。
ハッキリと決着をつけるようにしなさい」
と指示し、レフリーは『疑わしきは引き分け』にしていった。
日本代表の控室は殺気と緊張で静まり返っていた。
15名の日本代表は試合に勝っても負けても笑顔はなかった。
『空手母国の王座死守』の重圧によるものだった。
「こんなときは誰か1人負けてくれると気が楽になるんだけどなあ」
盧山初雄の一言でやっと笑いが起こった。
そして全員が1回戦を突破した。
死闘!黒沢浩樹 VS ピータースミット
この日、小笠原和彦がアンディ・フグに技ありを2つ奪われ1本負け。
日本代表は14名になった。
大会3日目、生き残った32人が潰し合いを始めた。
Aブロックを制したのは、ジェラルド・ゴルドーと七戸康博を判定で下した増田章。
八巻建志、ブラジルで100人組み手を達成したアデミール・ダ・コスタ、「ヨーロッパ最強の男」と呼ばれたミッシェル・ウェーデルが集う激戦区、Bブロックを制したのはアンディ・フグ。
黒澤浩樹は、3回戦でピーター・シュミットとのケンカファイトを演じ、判定勝ちしたもののケガで棄権。
黒澤浩樹の棄権によって準々決勝を不戦勝で勝ったマイケル・トンプソンがCブロックを制した。
松井章圭は、5回戦を外館慎一に体重判定、準々決勝はニコラス・ダ・コスタに5-0で判定勝ちしDブロックを制した。
ベスト4は、増田章、アンディ・フグ、マイケル・トンプソン、松井章圭となった。
Kyokushin Karate 極真空手 第4回世界大会 増田VSアンディ・フグ
前回の世界大会で松井章圭に敗れたアンディ・フグは、その夜、滞在していた池袋のメトロポリタンホテルのドアを蹴破るほど悔しがった。
そして帰国後、猛練習を開始。
「踵落とし」というオリジナル技まで編み出した。
この大会まで「踵落とし」は、まったく未知の技だった。
まともな受け技もなく、対戦相手は崩され、倒されていった。
増田章も、踵落としに崩され、3度の延長戦の末、判定で敗れた。
松井章圭 VS マイケル・トンプソン 極真空手 (1987年)
マイケル・トンプソンは、軽快なステップから大きな蹴りを繰り出し「黒豹」と呼ばれていた。
特に長身で柔軟な体から高速で繰り出される後ろ回し蹴りは脅威だった。
(脚を殺せばフットワークも死ぬ)
松井章圭は下段回し蹴りで攻めた。
一進一退の攻防は5度目の延長戦まで続いた。
消耗と下段回し蹴りの連続攻撃を受け、ガードが下がっていたマイケル・トンプソンに、松井章圭は下段回し蹴りのフェイントから右上段回し蹴りをマイケル・トンプソンに放ち1本勝ちした。