松井章圭 極真の継承者
2019年3月10日 更新

松井章圭 極真の継承者

世界大会でアンディ・フグに勝って優勝した後、選手を引退。 やがて大山倍達とケンカ別れして極真を飛び出した。 ‘‘イトマン事件‘‘を起こした許永中、``政界最後のフィクサー``と呼ばれた福本邦雄のもとで働き、3年後、復帰。 大山倍達の死後、極真会館の2代目館長に指名されるも、先輩や後輩である支部長たちと内紛が起こり、極真は分裂した。 一見、クールだが1番ガンコな松井章圭館長は、自らの信じる方向に進み、道を拓いていった。

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大山倍達とケンカ別れ

第4回世界大会 松井館長の動画です。

「もう試合はしません」
第4回世界大会の後、しばらくして大山倍達に「選手引退」を申し出た。
「わかった。
しかし来年の全日本大会までは公表しないように」
(よし、第20回全日本大会までは、お世話になった極真へのお礼奉公の意味で総本部指導員をやりとげよう。)

松井章圭の総本部指導風景  Akiyoshi Matsui Honbu Karate lesson

選手引退を決めたのには、いくつか理由があった。
第4回世界大会で優勝した後、連日、松井章圭は、後援者や知人と華やかな夜の街に繰り出した。
しかし遊んでいるときは楽しいのだが、帰り道には虚しさしかなかった。
憧れつづけた地上最強の極真空手。
その極真空手の中でも最強の男になったはずなのに、社会では全然ちっぽけな存在だった。
(一人前の男として社会に通用する強さを身につけるためには空手の世界だけで生きていてはいけない)
「幸吟はお前にあげるから早く連れていきなさい」
そう恋人の母親である任福順から結婚をすすめられても、将来の進路が決まっていない松井章圭は受けることはできなかった。
やがて適齢期の娘の将来を思う任福順は縁談話を受けるようになった。
幸吟は、この見合いだけでなく、それまで親のいうことに逆らったことはなかった。
松井章圭はヤキモキしながら見守るしかなかった。
やがて幸吟から
「縁談が決まりました」
といわれた松井章圭は、幸吟にお金を渡して命じた。
「これで婚約を破棄してこい」
お金は見合い相手の男性のための慰謝料だった。
24歳の松井章圭は、空手家として生涯を全うするつもりだったし総本部指導員の給料にも不満はなかったが、社会人として一歩を踏み出したかった。
第20回全日本大会は、増田章が4回戦、黒澤浩樹が3回戦で負け、桑島保浩が優勝した。
大会後、大山倍達は松井章圭にいった。
「なぜ君は全日本大会に出なかったんだ?
これから全日本3連覇や世界大会2連覇もできたはずじゃないか」
暗に引退撤回を迫ってきた。
こうして予定の「お礼奉公」の期限は過ぎても、松井章圭は空虚な総本部指導員暮らしを続けた。

松井章圭 vs フランシスコ・フィリォ Matsui Shokei vs Francisco Filho 【極真空手 Kyoukshin Karate】(480P_NAVI_EN_MP4)

大山倍達は、松井章圭にブラジル、チリ、アルゼンチン、ウルグアイなど南米各国の支部を回り指導を行うように命じた。
松井章圭は、日本語で号令をかけ稽古を行い、模範演技を示し、次々とくる相手と組手をした。
このときのブラジル支部には、17歳のフランシスコ・フィリョがいた。
第7回世界大会で優勝し、初の外国人チャンピオンとなる男である。
南米から帰国後、総本部の指導員に戻った松井章圭は、ある日、大山倍達は呼ばれた。
「君は将来、私の右腕として極真空手の普及のためにアメリカと韓国、日本を行き来しながら活躍してほしい」
母国の文化や風習を勉強したかった松井章圭は喜んでいった。
「それならぜひ韓国へ行かせてください」
「よし、韓国へ行かせよう」
「いつ頃行かせていただけますか」
「そうだね。
来年の春ごろ行きなさい」
こうして韓国支部創設の話が決まり、目標に飢えていた松井章圭の精神は久しぶりに満たされた。
その後、大山倍達は、松井章圭の渡韓に向けて準備を始めたが、韓国にいた後援者が難色を示した。
まだ韓国に極真空手の道場はなく、大山倍達の期待のかかる松井章圭を受け入れられる環境ではないというのだ。
1988年4月、約束の春を過ぎても、大山倍達から韓国行きの話は出なかった。
6月になり意を決した松井章圭は大山倍達のいる部屋へ飛び込んだ。
「韓国へはいつ行かせてもらえるのでしょうか」
「君を他の道場へやるわけにはいかないんだよ。
君は総本部で指導していなさい
いま君を韓国へ行かせるわけにはいかないんだ」
「わかりました」
松井章圭は部屋を飛び出し、そのまま総本部指導員を退職した。

許永中

許永中氏

極真会館を飛び出した松井章圭は、許永中(ホ・ヨンジュン、きょ えいちゅう)の側近から相談を受けた。
「極真にうちで働けるまじめで若い、いい子はいないかな?」
「そのお話、私ではダメでしょうか?」
側近からその話を聞いた許永中は
「それが1番の理想」
と喜んだ。
42歳の許永中は、神戸と釜山を往復する大阪国際フェリー、テレビ局、新聞社、銀行、産廃処理、ホテル、老人ホーム、芸能プロ、ゴルフ場、建設業、不動産業、旅行代理店、貴金属卸、警備保障会社、飲食業など74社を束ねるコスモタイガーコーポレーション(CTC)の会長で、多くの在日同胞の子弟を雇っていた。
また許永中は、極真会館の関西本部会長でもあり、自分の子供を極真空手に入門させ、持ちビルを道場のために提供していた。
第4回世界大会の直後、初めて松井章圭に出会った許永中は、その爽やかなナイスガイぶりに在日コリアン社会の若きエース格と考え期待していた。
松井章圭は帝国ホテルにあったCTCの事務所で許永中と面談した。
許永中は、スキンヘッドに眼鏡、180cm100kgという巨漢だった。
眼鏡は、若い頃、敵対していた暴力団組織との抗争に巻き込まれ失明寸前の大ケガを負わされ視力が低下してしまったためのものだった。
「わしは9時5時のサラリーマンを雇うつもりはない」
「はい」
こうして松井章圭はCTCに就職した。
そしてワインの輸入販売会社で、営業、運搬、在庫管理、原価計算など貿易の仕事をした。

福本邦雄

 (2089252)

1989年6月、許永中は、KBS京都(京都放送)の2000株(合計10億円)に対し、第3者割当増資
(会社の資金調達方法の1つ。
株主であるか否かを問わず特定の第3者に新株を引き受ける権利を与えて行う増資のこと。
株式を引き受ける申し込みをした者に対して、新株もしくは会社が処分する自己株式が割り当てられる。)
を行い、資本金を10億円から20億円に倍増させた。
そして株主総会で、19人と定められていた役員を26人の増やし、自らの息のかかった人物を経営陣へ送り込んだ。
京都新聞グループ(京都新聞、KBS京都など)の創業3代目社長だった白石英司が急死後、不動産投資の失敗による多額の債務が発覚。
また新社長となった内田和隆に創業者未亡人である白石浩子が反発したことで内紛が勃発。
この内紛に介入し、経営再建に乗り出したのが許永中だった。
内田和隆を副社長に降格させ、新社長には、画商の福本邦雄を就任させた。
そして松井章圭に
「福本邦雄という人物のところで勉強してみないか」
と勧めた。
松井章圭に
(実社会における100人組手をぶっつけ本番で挑戦させよう)
という意図だった。
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福本邦雄の父親の福本和夫は、 共産党の理論的指導者だった。
1928年に、3・15事件で入獄。
14年間獄中で生活し、出獄後は執筆活動に専念した。
福本邦雄も、東京大学時代に共産党に入党するが、党内対立で除名となった。
卒業後、産業経済新聞に入社。
岸信介総理大臣と椎名悦三郎官房長官が、水野成夫(産業経済新聞社)社長に、福本邦雄を出向させて欲しいと要請。
福本邦雄は、官房長官秘書官(1959年6月~1960年7月)、自民党政調会長秘書役(1960年7月~同年12月)、通産大臣秘書官(1960年12月~1961年7月)を務め政界に人脈を築いた。
政党の資金関係を担当していたため新聞社に戻れず、PRエージェント会社「フジ・コンサルタント」、画廊「フジ・インターナショナル・アート」、「フジ出版社」を創業した。
企業が画商から絵を数点購入し、画商は領収証を発行して企業に納入するが、うち数点を秘かに政治家に渡す。
政治家は必要に応じて絵を売って政治資金を捻出する。
バブルの頃、福本邦雄は「名画」を政治家や官僚にバラまいた。
後に発覚するイトマン事件で、許永中は自身が保有していた絵画など676億円をイトマンに購入させたが、その多くは福本邦雄の画廊から出たものだった。
福本邦雄は、KBSを正常化し、京都新聞に合併させる構想を抱いて動き出したが、許永中がダイエーファイナンスから自身のゴルフ開発会社に146億円の融資を受けた際、KBS社屋や土地、さらには放送機材まで放送局まるごと担保に設定したことが発覚。
1989年、KBSはダイエーファイナンスから競売申請を受ける。
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松井章圭が初めて福本邦雄の事務所に出社すると、事務員の女性に
「あなたね。
ここじゃ空手のチャンピオンだろうが関係ないのよ。
私のほうが先輩なんだからね」
と釘を刺された。
かかってきた電話への対応でも
「大声はダメ」
「もっと丁寧に」
「まず『お世話になってます』っていってから」
細かく指導を受けた。
極真会館では元気よく対応すればよかった。
事務所には大臣クラスの代議士や事務次官クラスの官僚、大企業の経営者らが頻繁に出入りしていて、挨拶の仕方を教わった。
また絵の運搬や、福本茂雄の身の回りの雑用も行い、KBSのある京都にも同行した。
福本茂雄は執筆活動もしており、資料集めのために国会図書館や書店をを駆け回った。
また福本邦雄と共にクライアントを見送りに事務所を出たとき、松井章圭は車に乗り込むクライアントに会釈した。
頭を上げてふと横をみると福本邦雄は、まだ深々と頭を下げたままだったので、あわててそれに倣った。
ある日、クライアントと福本邦雄とステーキハウスを訪れたとき、それぞれ好みの量を注文した。
松井章圭はステーキなら2㎏は平気だったが、遠慮して400gにし、瞬く間に料理を平らげた。
そして帰りの車中で福本邦雄に怒られた。
「お前は常識のない奴だな
お前のための食事会じゃないんだぞ」
大山倍達なら、たくさんの量を食べれば食べるほど喜んでもらえた。
これまでとあまりに違う環境に、3ヵ月たっても失敗を重ね、自己嫌悪に陥り、やる気も低下していた。
ある日、福本邦雄に呼ばれ、
「はあーい」
と気のない返事をすると冷ややかにいわれた。
「お前さん、もう辞めるのかい」
松井章圭は凍りついた。
(このままでは落伍者の烙印を押されてしまう。
極真世界王者の実績はなかったものとして、謙虚に、そして貧欲に社会人としての生き方を、白帯から始めなければならない)
一瞬で我に返った松井章圭は
「すみませんでした。
姿勢を改めて頑張りますのでここに置いてください」
福本邦雄の個性は半端なものではなく常人なら1ヵ月も辛抱できるものではなかったが、松井章圭は、一切泣き言を、苦情をいわなかった。
なかなか人をほめることにない福本邦雄だったが、松井章圭は別格扱いで、事務所に出入りする代議士も松井章圭によい評価をした。
松井章圭は、福本邦雄事務所で働くことで、日本の政官財のトップたちを直接観察することができた。
そこには日本の権力の縮図があった。

3年ぶりに極真復帰

極真空手第22回全日本大会決勝戦 増田章vs緑健児 KyokushinKarate 22th All-Japan tournament final

1990年12月、第22回全日本大会は増田章が緑健児から上段回し蹴りで技ありを奪って優勝した。
松井章圭は真っ先にかけより増田章を祝福した。
同年5月、増田章は100人組手を達成したが、そのセコンドには松井章圭がいた。
このとき
「11月に開催される第5回世界大会で演武と大会中継のテレビ解説をするように」
という大山倍達からの命が伝えられた。
それまで
「本業を定めた以上、大会という華やかな場に立つことは控えるのが筋」
と固辞し続けていたが、思い悩んだ末、引き受けることにした松井章圭は3年前に飛び出した部屋を訪ねた。
「元気そうだな」
大山倍達は笑顔で迎えた。
実質的には、これで松井章圭の極真復帰が決まった。
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