70年代ディスコミュージックの名曲『悲しき願い』
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「Don't Let Me Be Misunderstood Import」ニーナ・シモン
サンタ・エスメラルダ-のヒット曲『悲しき願い』の原曲『Don't Let Me Be Misunderstood』は、ベニー・ベンジャミンの曲です。
1964年にジャズ・シンガーでピアニストのニーナ・シモーネ、ベニー・ベンジャミン、グロリア・コールドウェル、ソル・マーカスにより初めて録音された曲です。
ニーナ・シモンは、1933年2月21日にノースカロライナ州生まれの黒人歌手。
ジュリアード音楽院音楽教育を受けましたが、人種差別などの理由もあり晩年はフランスパリに移住しています。
1964年にジャズ・シンガーでピアニストのニーナ・シモーネ、ベニー・ベンジャミン、グロリア・コールドウェル、ソル・マーカスにより初めて録音された曲です。
ニーナ・シモンは、1933年2月21日にノースカロライナ州生まれの黒人歌手。
ジュリアード音楽院音楽教育を受けましたが、人種差別などの理由もあり晩年はフランスパリに移住しています。
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1965年にはイギリスのロックバンド「アニマル」(The Animals)が、カバー。
ブルース・ロックのバージョンを発表、全米チャート15位のヒットとなりました。
アニマルズのヒット曲といえば…。
1964年6月に発表された「朝日のあたる家」を思い出します。
ブルース・ロックのバージョンを発表、全米チャート15位のヒットとなりました。
アニマルズのヒット曲といえば…。
1964年6月に発表された「朝日のあたる家」を思い出します。
日本では、1964年7月に尾藤イサオにより、カバーされた『悲しき願い』をリリース。
ディスコブームの1978年に再びセルフカヴァーを発売、ヒットしました。
尾藤イサオが歌う歌詞の「誰のせいでもありゃしない、みんなオイラが悪いのさ」はインパクトが強く、当時の流行語にもなりました。
ディスコブームの1978年に再びセルフカヴァーを発売、ヒットしました。
尾藤イサオが歌う歌詞の「誰のせいでもありゃしない、みんなオイラが悪いのさ」はインパクトが強く、当時の流行語にもなりました。
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悲しき願い/アニマルズ - YouTube
ブーン・ブーンに続く1965年のヒット曲。尾藤イサオ氏がカバーして大ヒットさせました。
ディスコ・グループ「サンタ・エスメラルダ」 (Santa Esmeralda)
サンタ・エスメラルダ (Santa Esmeralda) はアメリカ人とフランス人による3人(リロイ・ゴメス(Leroy Gómez)とニコラス・スコルスキー、ジャン・マニュエル・デ・スカラーノ)のコラボレーションより誕生したるディスコ・グループです。
ディスコブームの1978年にサンタ・エスメラルダの『悲しき願い』はリバイバルヒットしました。
1965年にリリースした「アニマルズ」の『悲しき願い』と同じ全米チャート15位をマークしています。
ディスコブームの1978年にサンタ・エスメラルダの『悲しき願い』はリバイバルヒットしました。
1965年にリリースした「アニマルズ」の『悲しき願い』と同じ全米チャート15位をマークしています。
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サンタ・エスメラルダのダンサーグループ
サンタ・エスメラルダのダンサー
サンタ・エスメラルダのアルバムやシングルのカバー写真に登場しているダンサーズの一団もメンバー含まれています。サンタ・エスメラルダのツアーにはダンサーズ一団も参加しました。
そして、そのなかの一人のテキーラという名前の女性は、後にゴメスの妻になります。
そして、そのなかの一人のテキーラという名前の女性は、後にゴメスの妻になります。
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ボーカルのリロイ・ゴメスは1978年初めにサンタ・エスメラルダを去り、2人のソロ・アルバム、Gypsy Woman (Casablanca、1978)とI Got It Bad (Casablanca、1979)をソロで録音しています。
1979年にサンタ・エスメラルダは解散します。解散理由はディスコ・ブームが去り
大ヒットに恵まれなかったこととカサブランカ・レコードの倒産でした。
1979年にサンタ・エスメラルダは解散します。解散理由はディスコ・ブームが去り
大ヒットに恵まれなかったこととカサブランカ・レコードの倒産でした。
1970年代のダンスシーン「ソウル・トレイン」
1977年「ソウル・トレイン」悲しき願いのオリジナルミックス動画
1977年に放送された番組「ソウル・トレイン」
のダンサー達がサンタ・エスメラルダ『悲しき願い』の曲にあわせて踊ります。
ディスコを舞台にしたアメリカ映画『サタデー・ナイト・フィーバー』が制作されたのも1977年です。
のダンサー達がサンタ・エスメラルダ『悲しき願い』の曲にあわせて踊ります。
ディスコを舞台にしたアメリカ映画『サタデー・ナイト・フィーバー』が制作されたのも1977年です。
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懐かしい音楽番組「ソウル・トレイン」は、1970年代の日本のディスコブームに1977年頃から4年間、日曜深夜にTBSで放送されていました。
『悲しき願い』に合わせて、踊っているアフロ系ダンサーの音楽性やリズム感に目を見張ります。全身の関節の動きがスゴイです。
早速、動画を見ながら踊りの真似をしてみると、動く度に関節はポキポキと鳴り、鏡を見たらタコ踊りになっていました。生まれもった資質とソウルが違いを感じます。
『悲しき願い』に合わせて、踊っているアフロ系ダンサーの音楽性やリズム感に目を見張ります。全身の関節の動きがスゴイです。
早速、動画を見ながら踊りの真似をしてみると、動く度に関節はポキポキと鳴り、鏡を見たらタコ踊りになっていました。生まれもった資質とソウルが違いを感じます。
リロイ・ゴメス率いる、サンタ・エスメラルダの活動
1977年のヒット曲、サンタ・エスメラルダの『悲しき願い』(Don't Let Me Be Misunderstood )には、リロイ・ゴメスにより、いくつかのバージョンが存在します。
リロイ・ゴメス(Leroy Gómez)
サンタ・エスメラルダのボーカルをつとめる、リロイ・ゴメス(Leroy Gómez)は、フランスで活動していたサックス奏者。マサチューセッツ州出身のアメリカ人です。
14歳の時に初めてバンドに参加して全米ツアーを行いました。
1973年にエルトン・ジョンのアルバムにサックス奏者として参加、ヨーロッパでの活動をスタートさせました。
14歳の時に初めてバンドに参加して全米ツアーを行いました。
1973年にエルトン・ジョンのアルバムにサックス奏者として参加、ヨーロッパでの活動をスタートさせました。
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2002年 Santa Esmeralda『Lay Down My Love』
2002年にゴメスはアルバム『Lay Down My Love』をリリース。
新しいメンバーでサンタ・エスメラルダを結成、ツアーを開始しました。
新しいメンバーでサンタ・エスメラルダを結成、ツアーを開始しました。
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2004年 Santa Esmeralda『Greatest Hits』
2004年には、1978年にヒットした曲を再度レコーディングした『サンタ・エスメラルダ Greatest Hits』をリリースしました。
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サンタ・エスメラルダの『悲しき願い』
サンタ・エスメラルダ『悲しき願い』を歌うリロイ・ゴメス
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第二次のディスコブームが始まった1977年(昭和52年)にリリースされ、ヨーロッパで大ヒットしました。