2022年5月20日 更新
実現しなかった千代の富士の「プロレス転向」!大日本プロレスのエース抜擢計画!
漫画原作者の梶原一騎が自ら出資者となり設立を計画していたプロレス団体「大日本プロレス」。エース候補として、当時相撲界の人気力士だった高見山と千代の富士に白羽の矢が立ったというのが定説となっています。しかし、団体の設立目前で頓挫し、実現は叶ませんでした...。
大人気コンテンツ「プロレス」の全盛期!
プロレス中継が盛んだった時代には、日本テレビが全日本プロレスの試合を放送する「全日本プロレス中継」、テレビ朝日が新日本プロレスの試合を放送する「ワールドプロレスリング」が高い人気を獲得しており、それらと対等に渡り合うコンテンツとして「大日本プロレス」の設立が構想されたのではないでしょうか。
DVD「大相撲大全集~昭和の名力士~ 六」
関係者が出資金を使い込み計画崩壊
大日本プロレスの設立には、元プロレスラーでレフリーでもあったユセフ・トルコも絡んでいます。1980年の「アントニオ猪木VSウイリー・ウイリアムズ戦」をレフリーとして裁いたことで有名な同氏。当時は力道山のマネージャー時代に親交を結んだ梶原の梶原プロダクションに籍を置いていたようで、役員兼用心棒のような役目も担っていたそうです。
ユセフ・トルコが2002年に発刊した書籍「プロレスへの遺言状」によると、大日本プロレス設立計画は1983年とされており、他に所属する予定だった選手にアントニオ猪木やジャンボ鶴田、タイガーマスクらが名を連ねています。
DVD「アントニオ猪木全集7 ライバルとの死闘 其ノ壱」
異なる事実認識...
一方で「1954年、日本ヘビー級選手権試合・力道山対木村政彦戦」の八百長暴露記事で知られる門茂男による1985年の書籍「馬場・猪木の真実」では、崩壊の理由としてユセフ・トルコの証言と同じく、出資金を一時的に預かった関係者がほぼ全額を私的流用したということで一致しているものの、その関係者を豊登の有力なタニマチだったとしており、ユセフ・トルコの若いスタッフによる流用とは異なっています。
「国際プロレス」でのプロレスデビューもあった!?
千代の富士と仲が良かった大位山勝三は、プロレス転向の噂に関してコメントを残しています。自身が大相撲出身でプロレスラーでもあった大位山は、国際プロレス在籍時に千代の富士を社長へと引き合わせたそう。
前述した通り、若手時代の千代の富士は脱臼癖があり、十両に甘んじていました。それもあり大日本プロレスの設立話の前から、千代の富士は真剣にプロレス転向を考えていたようです。
DVD「不滅の国際プロレス」
国際プロレスでのプロレスデビューの可能性もあったとは驚きですが、千代の富士は伸び悩んでいることを自覚し、身体の使い方の異なる競技に活路を見出そうとしていたのかも知れません。
さらにラッシャー木村からプレゼントされたプッシュアップ用の板で筋トレを行った甲斐もあってか、その後関脇で優勝した際に「私はあるプロレスラーのお蔭で優勝できました」とコメントしています。
DVD「闘将 ラッシャー木村~ファイト&マイク メモリアル~」
事実、千代の富士はハードな筋トレを日々行い、肩周りの筋肉を強化したこともあり、1981年に大関、そして横綱へと上り詰めるに至っています。
奔放な性格だった出資者・梶原一騎
梶原一騎といえば、昭和の子供にとってハラハラドキドキが連続する奇想天外なエンターテイメントを与えてくれる人物であり、アニメ界においても重鎮のひとりに数えられています。「巨人の星」「あしたのジョー」「タイガーマスク」の原作を手掛け、いわゆる「スポ根もの」を作り上げてジャンルとして定着させることに成功しています。
昭和ならではのエピソードが豊富!
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