映画『狼たちの午後』
1975年製作のアメリカ映画で日本では翌1976年に公開された。
監督はシドニー・ルメット。映画中で実在の銀行強盗犯を演じたアル・パチーノの演技が高く評価されている。
ちなみに原題の「Dog Day」は日本語で「盛夏」を意味する熟語であり、邦題の「狼」とは関連性が無い。
監督はシドニー・ルメット。映画中で実在の銀行強盗犯を演じたアル・パチーノの演技が高く評価されている。
ちなみに原題の「Dog Day」は日本語で「盛夏」を意味する熟語であり、邦題の「狼」とは関連性が無い。
1972年8月22日にニューヨークのブルックリン区で発生した銀行強盗事件を題材にしている。事件を報道したライフ誌の記事を読んで感銘を受けたマーティン・ブレグマンが映画化を決意、フランク・ピアソンが脚本を執筆した。事件の犯人の容姿がアル・パチーノに似ていたため、パチーノが主演に選ばれたという。
監督には社会派ドラマの製作で名高いシドニー・ルメットが起用された。ルメットは通例役者に徹底したリハーサルを強いる監督であるが、本作品の殆どのシーンは役者たちのアドリブによって撮影されている。物語の設定では真夏だが、実際の映画撮影は秋頃に行われたのでスタッフは気候の問題に対処する必要に迫られた。役者たちは吐く息が白くならないように、口中に氷を含んで演技をした。
映画『狼たちの午後』 あらすじ
うだるような暑さが続くニューヨーク市のブルックリン区、小さな銀行に三人の男が押し入った。
その目的は金庫の金を強奪することにあったが、彼らはけっして冷徹な手練れとは言い難く、出だしからトラブルにも見舞われ、その杜撰な計画は早々に暗礁に乗り上げてしまう。
まず仲間の一人が怖気づいて逃げ出し、残る二人でなんとか銀行の無血占拠には成功するものの、金庫を開くとあてにしていた大金は他に移された後で無く、しかも手間取っているうちに通報が行ったのか、あっという間に警官隊に現場を取り囲まれてしまった。
そしてソニーとサルの2人は、人質を取って銀行に籠城するという最悪の選択肢を選ばざるを得なくなった。
警官とFBI捜査官250人を超す大包囲網の中で、追いつめられた平凡な2人の男は牙をむいた。銀行員9人を人質としたのだ。3時10分を少し廻ったところだ。
つめかけるヤジ馬、報道陣の中でモレッティ刑事(チャールズ・ダーニング)の必死の説得が行われた。だが時間は無駄に流れていった。
ソニーたちの説得に昇進をかけるモレッティの心をよそに、すべて2人の言いなりになければならない警察側とTV報道のインタビューに応える狂人側という状態で、次第にソニーとサルは群衆たちから英雄視され始めた。
周りがどっぷり夕闇につかった頃、銀行内では犯人と人質たちとの間に奇妙な連帯感のようなものが芽ばえてきた。ついに今まで静観していたFBIのシェルドン(ジェームズ・ブロデリック)が動き出した。
モレッティとは対照的に冷静な態度でソニーに近づき、犯罪者の心理を見すかしたように優しく、そして時には力強い口調でソニーに投降を勧めてきた。ソニーとしてもこの説得に心が動かなかったわけではなかったが、一途に成功か死かのいずれかしかないと信じ込んでいるサルを裏切ることは出来なかった。
ソニーの母と妻と愛人たちによる説得工作もすべて失敗に終わった警察側は、ついにソニーたちの要求通り国外逃亡用のジェット機を用意せざるをえなかった。銀行から空港まで、息づまるような緊張に充ちた移動が開始される。
警官が運転するマイクロバスが空港に到着し、拳銃を持ったサルが降りようとしたとき、一瞬のスキを狙って警官が発砲した銃弾はサルのひたいを撃ち抜いた。
--そして現在、捕えられたソニーは20年の刑を受け、服役中である。
名台詞「アッティカ! アッティカ!」
映画中で銀行強盗犯がアッティカ刑務所暴動に言及して、群衆の前で官憲の横暴を批判するシーンがある。その時の台詞「アッティカ! アッティカ!」(原文:Attica! Attica!)は2005年にアメリカ映画協会によって名台詞ベスト100中第86位に選出された。
「アッティカ!アッティカ!リメンバー!アッティカ!」ソニー
ソニーが外に出て叫ぶこのフレーズの意味は、この銀行強盗の一年前に起こったアッティカ刑務所暴動を指しているのである。この暴動については下に記しておこう。元々この暴動の根本にあったのは、黒人の解放運動だった。しかし、ソニーはイタリア系白人であり、実は弾圧者の側の人種である。
この「アッティカ」シーンの最大の皮肉は、ソニーが思いつきで言ったフレーズさえもが、群衆の中では思わぬ熱気を生んでしまったという点である。
そして、そんな熱気は猛暑の生み出す熱気とはまた違い実に持続性のないものだったという事実が、現代まで通じる流行を作り出し消費させる社会の本質を見事にあぶりだしているのである。「情報と流行の氾濫により、問題提議は様々な所から生まれるが、人々は持続性を持って問題と向き合おうとはしない」そして、ソニーにとってのアッティカも、とりたてて興味もない問題の一つだった。