ナージム・ハメド   I'm a Prince 悪魔王子降臨
2021年9月13日 更新

ナージム・ハメド I'm a Prince 悪魔王子降臨

ナジーム・ハメド(Naseem Hamed、نسيم حميد‎)、「Prince」「悪魔王子」164cm、世界フェザー級(~57.153kg)、世界バンタム級(~53.524kg)2階級制覇 37試合36勝31KO1敗 KO率84% 王子のデビューから1997年のアメリカ初上陸戦にして最高の試合、ケビン・ケリー戦まで

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 (2300709)


1994年5月11日、約1ヵ月後、ハメドはヨーロッパ、バンタム級チャンピオン、イタリアのテクニシャン、ビンチェンツォ・ベルステロに挑戦。
1Rと11Rにダウンさせて判定勝ち(3-0、120-109、120-107、119-110)
デビューから2年半で人生初のチャンピオンベルトを巻いた。
『専門家は、あなたは世界タイトルを1つだけじゃなくて複数獲るといってますが・・・』
「No、No.
僕は世界一の技術を持っています
誰であっても倒します。
僕はレジェンドになりたいんです。
世界タイトルは置いておいて・・・
まあ3階級王者はなかなかいいと思いますが・・
でもレジェンドになりたいんです。
必ずなります」
天狗のような発言をしながらもハメドは、毎日のトレーニングを怠ることはなかった。
「常にトレーニングしています。
いつも。
1年中トレーニングしています。
休暇なんかないです。
もし旅行にいってもトレーニングします」
しかし好きな時間に行うため夜中から朝までトレーニングすることもあった。
「彼は何時にトレーニングするかわかりません。
変な時間にトレーニングします。
23時くらいに私の家に来ます。
ジムを出るのは2時くらいです。
出るときにクラブにいた人たちを見かけます。
とてもイレギュラーです。
でも毎日トレーニングしています
変な時間ですが彼によってこれがいいんです。
チャンピオンなので問題ありません」
(ブレンダン・イングル)
1994年8月17、 初防衛戦は、元イタリア人チャンピオン、34戦、KO負けのないアントニオ・ピカルディだった。
リラックスすることを重要視するハメドは控え室にビリヤード台を入れ、入場前まで遊んでいた。
そしてヒョウ柄のトランクスで入場。
3R、3度目のダウンを奪った後はバック転でニュートラルコーナーへ移動。
アントニオ・ピカルディは立ち上がったが、レフリーが試合を止めた。
『今夜のパフォーマンスはすばらしかったです』
「ありがとうございます。
相手はグッドファイターでした。
自分のパフォーマンスに満足しています。
僕は生まれながらの勝者です。
王になるために生まれてきたのです」
 (2300710)

1994年10月12日、ヨーロッパ、バンタム級チャンピオンとして防衛に成功したハメドは、階級をスーパーバンタム級(バンタム級とフェザー級の間、53.524~55.338kg) に上げ、WBCインターナショナル(国際間で争われるタイトルで世界チャンピオンより少し劣る)のタイトルに挑戦した。
対戦相手は、過去2度の世界挑戦があり、57戦KO負けなしのフレディ・クルス(ドミニカ共和国)。
格上のクルスは、ハメドを
「坊ちゃん」
と呼んで挑発。
多くの専門家も
「ナジーム・ハメドにとってこれまでで最も厳しい戦いになる」
と予想。
しかしハメドは圧勝した。
相手のパンチを楽に外し、階級を上げてさらにパワーアップしたパンチを打ち込み、相手を挑発し、観客にさまざまなパフォーマンスをみせて喜ばせ、6R TKO勝ち。
「試合前、彼は僕を坊ちゃんと呼びました。
そして今夜、彼は「僕が王になる」ということを知って帰ります」
ハメドは試合後のインタビューでこう語り、さらにリングサイドにいた世界フェザー級チャンピオンのスティーブ・ロビンソンをリングの上に誘った。
スティーブ・ロビンソンは、世界チャンピオンになる前に9度も負けている一方、7回も防衛に成功している名チャンピオンだった。
「彼はフェザー級としては小さい。
バンタム級の選手だと思います。
僕は本当のフェザー級なので、僕と戦うとサイズで困ると思います」
そういうスティーブ・ロビンソンにハメドは堂々とケンカを売った。
「スティーブ、信じようと信じまいと僕はスーパーミドル級(~76.204kg)からクルーザー級(~90.719kg)までいくつもりだ。
フェザー級に階級を上げるのは夢を叶えるため・・・
僕がフェザー級まで上げたとき君と対戦したら、チャンピオンは今ここに立っているよ」
『何故こだわるのですか?
たくさんの階級の中であなたを必要としていないスティーブ・ロビンソンと戦いたいのですか?』
インタビューアーが聞くと、ハメドは答えた。
「スティーブをけなしたくない。
スティーブ・ロビンソンを尊敬しています。
イギリス人ボクサーのために戦ってきました。
タイトルを4回以上防衛しています。
ベテランです。
僕は世間に自分がベストだとみせたいんです。
僕がイギリスで最強。
フェザー級で最強。
スーパーバンタムで最強。
バンタムで最強。
(カメラに向かって)世界最強になるぞ!」
1994年11月19日、WBCインターナショナル、スーパーバンタム級のタイトルを獲得して1ヵ月後、チャンピオンのハメドは初防衛戦を行った。。
挑戦者は元スーパーバンタム級チャンピオン、17勝1敗、ラウレアノ・ラミレス(ドミニカ共和国)。
試合前、チャンピオンは、
「3Rに倒す」
と宣言。
そして3R途中、一方的に攻められたラウレアノ・ラミレスが試合を放棄。
宣言通り、3R TKO勝ち。
1995年1月21日、2ヵ月後、2度目の防衛戦。
相手は、かつてスーパーフライ級で3度、世界に挑戦、元WBCインターナショナル、バンタム級チャンピオン、43戦38KO、アルマンド・カストロ。
ハメドは試合前に
「5Rに倒す」
と宣言。
しかし4R、2度ダウンを奪った後、レフリーが試合をストップした。
「彼が挑発するから4Rに倒してしまった。
賭けた人には申し訳ないけど・・」
その後も

・1995年3月4日、3度目の防衛戦で元南アメリカチャンピオン、元WBCインターナショナルチャンピオンのセルヒオ・リエンド(アルゼンチン)を2RKO
・1995年5月6日、4度目の防衛戦でエンリケ・アンヘレス(メキシコ)を2RKO 
・1995年7月1日、5度目の防衛戦で元コロンビア、IBFスーパーフライ級チャンピオンのハードパンチャー、ファン・ポロ・ペレスを2RKO

と順調に防衛を重ね、通算、19戦19勝17KO。
 (2300711)

1995年9月30日、21歳のハメドは、7度防衛中のWBO世界フェザー級チャンピオン、スティーブ・ロビンソンに挑戦し、8RTKO勝ち。
ハメドはスティーブ・ロビンソンにほとんどポイントを与えないまま8Rにカウンターを決めてノックアウトし、無敗のまま世界タイトルを獲得した。
『試合前から自信満々にみえました。
不安は全くなかった?』
「全くなかった。
スティーブ・ロビンソンはテレビでみてたし、大きな相手(ハメドは164㎝、ロビンソンは173㎝)だともわかってた。
何度も防衛してたが、そんなの関係ねぇ。
それであの(8R TKO)パフォーマンスだぜ。
21歳で世界チャンピオンになる、その夢が叶ったんだ」
1996年3月16日、WBCインターナショナルチャンピオンのサイード・ラワイ(ナイジェリア)を35秒でKO。
開始からすぐに右フックでダウンさせると逃げるラワルを追い、ロープ際でアッパーで仕留めた。
1996年6月8日、プエルトリコのハードパンチャー、無敗のダニエル・アリスマ(プエルトリコ)を2RTKO
ハメドは1Rにアリセアのパンチを浴びてダウンしたが、2R、2度ダウンさせた。
「一流のファイターであるか否かは、ダウンしたとき、立ち上がり、どのように立て直していくかだと思います。
私はそれをしました。
あの試合の1Rで偉大で、とても素晴らしいファイターであるダニエル・アリセアというプエルトリコ人に私はダウンを奪われました。
私は試合の6週間前に彼を2Rでノックアウトすると予言しました。
そしてその通りになりました」
(ナジーム・ハメド)
1996年8月31日、元WBC、元IBFチャンピオンのベテラン、マヌエル・メディナ(メキシコ)11RTKO 
ハメドは間合いを取ってカウンターを狙うメディナに苦戦したが、11RTKO。
これまでで最長ラウンドを戦った。
1996年11月9日、無敗のレミヒオ・ダニエル・モリナ(アルゼンチン)2RTKO 
1997年2月8日、ロンドンのニュー・ロンドン・アリーナでWBO世界フェザー級チャンピオン、ナジーム・ハメドとIBF世界フェザー級チャンピオン、トム・ジョンソンによる王座統一戦が行われた。
トム・ジョンソンは、11度防衛戦に成功している名チャンピオンで、長いリーチとフットワークを駆使したが、何度もボディを効かされ、8R2分27秒、自身初のTKO負け。
ハメドは、防衛に成功するとWBO、IBF統一世界フェザー級チャンピオンとなった。
1997年5月3日、ビリー・ハーディー(イギリス)1RTKO
ガードを固めるヨーロッパチャンピオンのビリー・ハーディに変則的な動きで接近しフックとアッパーで1R KO勝ち。
1997年7月19日、フアン・ヘラルド・カブレラ(アルゼンチン)2RTKO

王子に忍び寄る影

 (2300712)

こうして1995年に世界チャンピオンになったハメドは、1997年までに世界タイトルを7度防衛。
WBOがイギリスに本部を置く新興団体だったことや、ボクシングの教科書から著しく逸脱したスタイルから、世界チャンピオンになってもハメドの実力に懐疑的な見方がつきまとっていたが、勝ち続けることでイギリス国内だけではなく、世界でも強さを疑う声も少なくなった。
しかし実際は、世界タイトルを獲得して以降、ハメドはボクサーとしての純度を下げ、チャンピオンとして行うべきボクサーライフからかけ離れた生活を行っていた。
「世界タイトルをとって3~4週間後、彼がジムに来て、「もう俺はランニングしない」といいました。
そして打つのも(パンチの練習も)やめた。
これは一体どういうことなのか私はわかっていました。
彼は思ったのです。
7歳から21歳、ずっと私といました。
14年間私と過ごしてきました。
なので彼はもうすでにすべてわかっていると思ったのです。
聴くことも認めることもやめたのです。
何故なら私の教えたものすべて、すべては訳あってつながっているから、時が経ち、そこから進化していくのです。
彼はもう学ぶことがないと思うところまできたのです。
その後、彼と会話することさえ難しくなってしまった。
その頃は彼は62kgで歩き回っていました。
まあ特に問題はありません。
でもその後、70kg近くまで体重を増やしてしまった。
そして試合後、ジムに練習再開するまで3、4、5週間までになって、トレーニングもサボったりするようになりました。
私は笑っていました。
体重を落とすために6週間、2ヵ月も苦労しなくちゃいけないことになっていました」
(ブレンダン・イングル)
それでも結果を出し続けたため、イングルは黙認し、ハメドは自分は無敵だと思い始めた。
 (2300713)

ある外国人記者が、ブレンダン・イングルジムに取材に訪れた。
他の仕事の合間を縫ったノーアポ取材だったが、ブレンダン・イングルは笑顔で記者の労をねぎらい、快く招き入れた。
記者が
「ハメドが今日、来ますか?」
と聞くとイングラムは
「わからない」
と答えた。
「写真はOK?」
「No Problem」
写真撮影の許可を得た記者は周囲のボクサーの練習風景を撮り始めた。
さまざまなクラスのチャンピオンやランカーと子供が一緒に汗を流し、ブレンダン・イングルは順番に選手のミットを受けた。
真剣で緊張感あふれる練習をしているかと思うと、ジム内を大きな飼い犬が歩いていてリラックスした空気も漂ってた。
基本的で自由な雰囲気で、大人と子供が仲良くサンドバッグやリングをシェアし、手が空いた者は他の人の練習を手伝っていた。
やがてドアが開く音がして、迷彩服の上下に大きなバッグを背負ったハメドが入ってきて、記者は思わずカメラを向けた。
「STOOOOOOP!!」
ハメドは記者を指差しながら大股で突進。
胸がぶつかるくらい近づきアゴを上げて上目遣いで、
「#$β%&γ◎§□!!!」
と一気にまくし立てたが、ボクシング同様速すぎて聞き取れない。
あまりの剣幕に記者は謝罪したが、ハメドは構わずに怒鳴り続けた。
周囲は凍りつき、イングルは肩をすくめ、記者に
「ごめんよ」
とアイコンタクト。
怒鳴り終えたハメドは、打ちのめされた記者を尻目にスタスタと歩いていき、ジムメイトとおしゃべりを始めた。
ブレンダン・イングルによるとハメドの豹変はプロ2年目から始まったという。
イングル、ジムスタッフ、ジムメイトを含め周囲にいるすべての人間が横暴な態度と罵詈雑言の犠牲者になった。
格下相手の防衛戦に、気持ちが乗らず、ロクに練習もせず体重を合わせるだけでリングに上がったこともあった。
「もう限界だ。
これ以上面倒を見切れない」
イングルが怒り、ハメドの父親がが間に入って詫びを入れたこともあった。
しかしプリンスの暴走は止まず、侮辱的な言動を繰り返し、ブレンダン・イングルに何度も
「出て行け。
ここはもうお前の来るところじゃない」
と怒られていた。

伝説のケビン・ケリー戦

 (2300717)

ハメドがイギリスでボクシング界を席巻していた頃、アメリカではケビン・ケリーが自分が最高のフェザー級であると主張していた。
元WBC世界フェザー級チャンピオン。
47勝32KO1敗2分。
ニックネームは「フラッシング・フラッシュ(飛び立つ閃光)」
自己主張が強くてビッグマウス。
スターになる気満々で、自分を売り込むためにあらゆることをするパワフルで打たれ強いファイターだった。
「ボクシング雑誌をみてハメドについて書かれた記事を読んだ。
彼の記事ばかりだった。
500万ドルって書かれていた。
ウソだろ!
誰だコイツ?
他の誰かがハメドと戦う前に俺が戦うべきだ。
そしてすぐイギリスにいきリングサイドに座った。
そして対面さ」
(ケビン・ケリー)
1997年10月11日、ハメドは8度目の防衛戦でホセ・バディーロ(プエルトリコ)を7RTKO。
試合直後のインタービューで、
「今夜、ケビン・ケリーが来ています。
王子の技術、強さ、能力正確さ、スピードをみました」
といってリングサイドにいたケビン・ケリーをリングに招いた。
2人は並んでインタビューを受けた。
ハメドはグローブをつけたままの手をケビン・ケリーの肩に回した。
「お前を失神KOするよ」
『ケビン、それに対してコメントをください』
ケビンは口を開けてインタビューアーに応じようとするが、ハメドがすぐに横槍を入れてしゃべらせない。
「リラックス、落ち着いて、ベイビー!」
(ハメド)
「お前が落ち着け!」
(ケリー)
「お前、KOされるぞ!!!」
(ハメド)
ケビンは肩を抱き寄せてくるハメドを押しのけながらインタビューアーに応えようとする。
「いっておきますが・・・・」
しかし再びハメドが妨害。
「自分のホームで!!!」
ケビンは無視して続けた。
「・・・・ナズは素晴らしいパフォーマンスでしたが・・・・」
「ニューヨークで!!!」
「・・・・いろいろ盛り上がっているけど・・・」
「マジソンスクウェアガーデンで!!!」
「・・・・俺は本物だ!!!!」
子供のような2人の舌戦に会場は盛り上がった。
この後、対戦は2ヵ月後と決まり、お互いに準備を始めた。
 (2300718)

試合2週間前、ハメドは
「アメリカを征服してやる」
といってアメリカに移動し、トレーニングを継続。
スパーリングパートナーを務めたヘビー級ボクサー、クリフトン・ミッチェルは
「彼はパワーがすごい。
パンチはとても重い」
とコメント。
ハメドはクリフトンミッチェルと12Rスパーリングをした後、ミット打ちを7R行った。
アメリカに初お披露目のハメドに用意された試合会場は、なんとニューヨーク、マンハッタン8番街のMSG(マジソン・スクエア・ガーデン)。
「アメリカでは軽量級のビッグファイトはない」
「アメリカではアメリカ人かメキシカンしかスターになれない」
という定説を覆した。
すでに試合1ヵ月から、マンハッタン中心、「世界の交差点 (Crossroads of the World)」に建つタイムズスクエアに大広告が掲げられ、ニューヨークの至る所にポスターが貼られ、マイケル・ジャクソンがハメドのトレーニングを表敬訪問するなど、宣伝に7桁のドルが費やされていた。
フェザー級の「フェザー」は「羽毛」という意味だが、軽量級の試合では、かつてないほどの巨額だった。
(しかし実際のファイトはそれを上回った)
 (2300719)

ケリーのファイトマネーは45万ドルとキャリア最高の額。
一方で、HBO(アメリカでボクシング中継といえばSHOWTIMEかHBOといわれるほどメジャーなケーブルテレビ局)は、ハメドをアメリカに呼び出すために2度イギリスにいき交渉し、6試合1200万で契約。
1試合200万ドルは、当時のフェザー級トップクラスの約10倍。
またハメドには最先端の前衛的なファッション写真家による演出も行われるなど、ニューヨークのボクシングジムで育ったケリーにかけた金額とは桁が違った。
「ハメドに巨額のマーケティング費用がかけられて少し裏切られたような気がしました。
ボクサーとしてのメガファイト、みんなに興味をもってもらうために私は2度もイギリスにいきました。
そしてハメドがアメリカにやってきた。
俺とハメドを同列に扱って欲しい。
ハメドだけをフューチャーしないでくれ。
俺はニューヨーカーだ。
ハメドは俺の街にきているんだ。
イライラしたね。」
(ケビン・ケリー)
フェザー級(~57.15kg)のケリーは、スーパーライト級(~63.503kg)でハメドのようなスピードと瞬発力を持つサウスポーボクサー、ザブ・ジュダーとスパーリングを重ね、毎回、負かし流血させた。
一方、ハメドサイドは、公開練習中に、イングルとハメドがケンカするハプニングがあった。
すでに予定の12Rを過ぎてもハメドは練習をやめようとはせず、14Rを消化。
さらに20Rまでやろうとしてイングルと口論となった。
「もう2Rやったじゃないか?
もう十分だ」
「いや全然足りない」
「もうやめなよ。
台無しになってしまうじゃないか」
「台無しになんかしない」
「何のために20Rやりたいんだ。
この時点でスタミナが増えるわけがない」
周囲に嫌なムードが漂った。
 (2301571)


1997年12月19日、試合当日、ハメドは非常にリラックスし、グローブをはめてウォーミングアップするまですべて順調だった。
そして
「渡らねばならない困難な橋がある。
とてもタフで困難な試合だ。
それでも私はどんなに過酷であろうがその橋を渡る。
最後はいつも私が勝利する。
予言をすればケビンはストップされる。
途方もない正確さと力強さでストップされるだろう。
ギフトは誰にももたらされない。
うーん、4ラウンドか5、6ラウンドに俺が倒して勝つだろうな。
ケビンに伝えておくれ。
まばたきすら禁物だってね」
とKO予告。
そして入場するためにバックヤードに移動したとき、アクシデントは起こった。
照明が落ち、ウィル・スミスの「Men In Black」の音楽が鳴り、白いスクリーンの裏でダンスするハメドのシルエットが浮かぶ。
実物は初めてのアメリカの観客は大歓声。
会場以外でも250万世帯がライブ観戦していて、アメリカ中がイギリス生まれのイエメン人を待った。
しかしこのとき入場に使う機材にトラブルが発生していて、ハメドはハメドだけに数分間、シャドーボクシングやダンスを続けるハメとなった。
入場曲が流れて4分後、やっとスクリーンが割れ、ハメドが姿を現した。
紙吹雪、ライト、スモーク、そして観客の声援が交錯する花道をハメドはダンスしながら進んだ。
そしてリングに到着し、トップロープをつかんで前転してリングインしようとしたが、再びアクシデント。
リングロープが異常に高かった。
「オー・マイ・ガー。
ロープが高い。
どうやってフリップしろというんだ。
少し落ち着かなくてはなりませんでした。
やるしかないと気づき、やりました」
前転でリングインし、着地に成功したハメドは、そのまま女の子走りでケリーに接近していき、顔を近づけ挑発。
結局、入場に7分以上かかった。
「これはファッションショーか、それとも何かの表彰式か?
リングロードはサーカスのようでした。
最初に素早く入場したケビンは、この間、ずっと待たなくてはなりません。
実際は6、7分だったようですが、それは15分くらいに感じたことでしょう。
ケビンの耳からは煙が出ているようでした。」
(TV解説者)
「ハメドのリングウォークはアホくさいお遊びだと思っていた。
奴はそういうのが好きなんだ。
だから全く気にしないようにしていた。
マヌケが来たぞ、オヤツの時間だ、リングにおいでくらいの挑発をした。
実際、ハメドは少し慌てていたよ。
何の妨害にはならなかった。」
(フィル・ボルジア、ケビン・ケリーのトレーナー)
試合が始まった。
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