ナージム・ハメド Fall of the Prince 王子の転落
2021年9月12日 更新

ナージム・ハメド Fall of the Prince 王子の転落

ナジーム・ハメド(Naseem Hamed、نسيم حميد‎)、「Prince」「悪魔王子」164cm、世界フェザー級(~57.153kg)、世界バンタム級(~53.524kg)2階級制覇 37試合36勝31KO1敗 KO率84% 1997年のケビン・ケリー戦から引退まで

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ナジーム・ハメドvsケビン・ケリー

1997年12月19日、それまでイギリス、ヨーロッパを中心に戦ってナジーム・ハメドがアメリカに初上陸。
ケビン・ケリーと4Rの間に2人合わせて6度ダウンという凄まじい打ち合いを演じた末、勝利。
その後も

・1998年4月18日、かつての3階級(世界バンタム級、S・バンタム級、フェザー級)を制覇したウィルフレド・バスケス(プエルトリコ)に舌を出すなどして挑発しつつ戦い、7Rにレフリーが試合をストップするとダウンしているバスケスの頭上で腰振りダンスを行った!!
(10連続KO防衛、史上4位タイ)
・1998年10月31日、オリンピック銀メダリストで日本で薬師寺保栄からタイトルを奪った元WBCバンタム級チャンピオン、ウェイン・マッカラー(アイルランド)に12R判定勝ち。

と連勝。
魔法の絨毯に乗ってリングインするなど相変わらずド派手な入場パフォーマンスが続いたものの、肝心のボクシングは、ケリー戦で怖さを知ったのか、少し慎重でナーバスな戦い方になって、ウェイン・マッカラー戦では文句なしの判定で危なげなく勝利したものの、退屈な内容にブーイングを浴びせる観客もいた。
 (2300200)

「The Paddy and the Prince」
ナジーム・ハメドについての暴露本。
(1998年9月、ニック・ピット)

はたして舞台裏では混乱が起こっていた。
師であるブレンダン・イングルは、ケリー戦で何度もダウンしたハメドに、
「いつか必ず反対者が現れる。
いつものパンチがヒットしない。
ならばディフェンスも磨くことだ。
攻めるだけでは絶対当たらない相手が出てくる」
と防御テクニックを練習するよういい続けていた。
しかし35戦無敗、すでに家族が永遠に安全に豊かに暮らしていけるほど裕福なハメドが真剣に耳を傾けることはなかった。
そしてウィルフレド・バスケス戦後、ハメドはブレンダン・イングルに
「何もかもウンザリだ。
オレはもうよちよち歩きのガキじゃないし、分別も常識もわきまえてる。
カネに目が眩んだ馬鹿者でもない。
いい加減にしてくれ」
怒りと不満を爆発させた。
マッカラー戦の前には、師弟の関係をわかっているジムメイトが
「ブレンダンは、コーナーに立つのか?」
と心配するほどだった。
そして試合中、ハメドはインターバルの間、感情を消した顔でブレンダンと決して視線を合わせないとしなかった。
弟子の無視にもめげずイングラムは必死に指示を出し続けたがハメドは完全に黙殺。
11R終了後、まったくいうことを聞こうとしないハメドに、ブレンダンは顔を近づけ必死に何事か叫んだ。
するとハメドは「うるさい」といわんばかりに、それを手で押しのけた。
こうして幼い頃から17年間、イングルに教えられたハメドだが、最後はひどい言葉を浴びせ、関係を解消。
アメリカの有名なトレーナーであるエマニュエル・スチュワート、オスカー・スアレスと契約した。
イングルは、その後もイギリスのシェフィールドの自分のジムで指導を続けた。
彼はハメドが変わってしまった理由は「お金」だという。
「最後に私は彼にいいました。
ナズ、お金が君の神になってしまったのだ。
彼は「No It`s not(そんなことない)」と。
ナズ、聞いてくれ。
私は観ているのだ。
人を観るのが私の仕事だ。
趣味だ。
お前は人をクズみたいに扱っていいと思っている。
上がるときにいる周りにいる人を大切にしろ。
何故なら落ちるときにその同じ人が周りにいるのだから。
それが人生だ。
とても残念なことだよ。
彼はフライ級からスーパーミドル級まで制覇しただろう。
ここで何をしていたかわかっているから。
彼は来るのが最初で帰るのが最後だった。
1~2時間ほどの差で。
でも世界チャンピオンになってからまったく話を聞かなくなりました。
そして仲間に対する態度がひどかった。
お金は人に不思議なことをします。
とても悲しいことだと思います」
(ブレンダン・イングル)
 (2300206)

エマニュエル・スチュワートは、アマチュアで95勝3敗、国内チャンピオンになった。
しかし家庭の事情でプロは諦め、電気技術者となった。
やがてパートタイムでコーチをやるようになり、「ヒットマン」と呼ばれ5階級制覇を達成したトーマス・ハーンズを筆頭に数多くの強豪を育て上げた。
ソウルオリンピックのヘビー級で金メダルを獲得したもののプロではイマイチだったレノックス・ルイスが、敗れた相手のコーナーにいたエマニュエル・スチュワートをトレーナーにした途端、よりアグレッシブに変貌して世界チャンピオンとなり、マイク・タイソンをKOしたのも有名な話。
エマニュエル・スチュワートは
「もしレノックス・ルイスとハメドが同じ階級ならハメドのパンチ力が上だ」
とその能力を認めると共に大きな欠点も発見した。
ハメドは7歳からブレンダン・イングルのユニークな練習メニューで育ち、ある時期からは毎日好きな時間にジムに行き、自分でバンテージを巻き、サンドバッグを打って、ミットで同じ打撃を繰り返したり、ボディだけのスパーリングをしたり、好き勝手にトレーニングしていた。
誰のアドバイスも受けず、我流でちゃんとしたトレーニングプログラムはなかった。
「初日から確信しました。
絶対に別のトレーニングを取り入れなければいけないと。
彼らがやっていたトレーニング方法はアマチュア以下のものです。
彼は腹筋もしたことがない。
懸垂もしたことがない。
ちゃんとランニングもしなかった」
(エマニュエル・スチュワート)
オスカー・スアレスも
「ナジームのボクシングは基本が間違っている」
と考え、
「王子のスタイルを変えてやる」
と決意。
自らミットを持って
「バランス!」
「コンビネーション!」
「ガード!」
と細かく指示を与え、正統派のボクシングスタイルを叩き込んでいった。
そのトレーニングは計画的に行われた。
「試合のために10週間トレーニングしたことは人生で1度もなかった。
試合に向けてのトレーニングは普段4~5週間ほどでした」
というハメドは、その後、

・1999年4月10日、無敗のヨーロッパチャンピオン、ポール・イングル(イギリス)11RTKO 
・1999年10月22日、WBC世界フェザー級チャンピオン、27歳、53勝39KO7敗2分という遅咲きの世界チャンピオンで、これが初防衛戦のセサール・ソト(メキシコ)とのタイトル統一戦に12R判定勝ち。(3団体統一王者)
・2000年3月11日、IBF世界スーパーバンタム級チャンピオンとして13度もの防衛に成功した名チャンピオン、ブヤニ・ブング(南アフリカ)を4RKO。 
・2000年8月19日、ラスベガス出身のハードパンチャーで世界初挑戦のオギー・サンチェス(アメリカ)にダウンを奪われたが4RTKO。

と世界フェザー級チャンピオンとして15度防衛に成功し、通算、35戦35勝31KO無敵。
同階級のエウセビオ・ペドロサ(パナマ)の19度、クリス・ジョン(インドネシア)の18度には及ばないものの、10連続KO防衛、他団体との統一戦2試合を含むハメドの15防衛も立派な記録といえ、金銭的にも、1試合7桁ドル(数億円)の報酬を受け取り続けた。
 (2300205)

ブレンダン・イングルと別れた後、ハメドは、これまでのセオリー無視した誰もマネができない独自のボクシングスタイルから、ある程度、セオリーも取り入れたスタイルにチェンジ。
ノーガードでクリーンヒットされるとすぐに窮地に立つ悪癖を改善することが最大の目だった。
ハメドの試合を解説者として観戦していた「BIG」ジョージ・フォアマンは、試合後、
「なんてチャンピオンでしょう。
自分のタイトルを自らオファーして挑戦者はみんな断っています。
聞いたことがないです。
無理もないです。
両手にパワーを持っていて鷹の目も持っています」
とハメドの強さを称える一方、
「アインシュタインにいまさら指で数えさせようとするようなものです。
こんなに成功しているのに無理に変えないほうがいい。
正統ではありませんが彼は驚異的です。
こういう人は好きにさせたほうがいい。
彼のチームは少しアドバイスを受ける程度なら必要ですが、あまりゴチャゴチャいうのはよくないと思います」
と新チームと新スタイルについては懐疑的だった。
試合中も、
「もっとバランスよく」
「もっとパンチを細かく」
とハメドに対して指示を出すセコンド陣をみて
「私は反対です。
アインシュタインにハーバードで英語の学位を勉強させるくらい無意味です。
すでにすべて持っているので放っておくべきです」
といっていた。
45歳で世界ヘビー級チャンピオンに返り咲いたジョージ・フォアマン同様、多くの人が
「王子はベストパフォーマンスではない」
「ハメドのスタイルに迷いを生じている」
と感じていた。
そんな中、次の試合は、2001年4月7日、相手はマルコ・アントニオ・バレラと決まった。

Marco Antonio Barrera

ボクシング王国、メキシコでは、「打ち合う=ボクサー」で、それがメキシカンボクサーの誇りであり、偉大なファイターを多く産む土壌にもになっている。
裕福な家庭に生まれ、弁護士になるためロー・スクールに通っていたインテリでありながら「Baby Face Assassin(童顔の暗殺者)」の異名を持つマルコ・アントニオ・バレラは、メキシコボクシング史上、最高のファイターの1人だった。
15歳でプロになった後、43連勝。
WBOスーパーバンタム級のタイトルを8度防衛。
その相手を潰すようなボクシングはファンを熱狂させた。
ハメドとバレラは同じ27歳。
しかしハメドが35戦なのに対し、バレラはすでに50戦以上戦っていた。
ハードな試合を繰り返し、受けたダメージも大きく、マルコ・アントニオ・バレラに対しては、
「強いベテラン」
「ピークは数年前」
という意見が多かった。
しかもバレラはこれまで2階級下のバンタム級、1階級下のスーパーバンタム級の選手で、フェザー級で戦うのはプロ12年目にして初めてだった。
 (2300207)

マルコ・アントニオ・バレラ(左)
一方、ハメドは、オージー・サンチェス戦(2000年8月19日の)で右手を骨折していた。
そのため7ヶ月間、ジムから離れ、4月のマルコ・アントニオ・バレラ戦に向けてトレーニングを再開したのは、試合2ヵ月前の2月。
オスカー・スアレスとのトレーニング初日、体重はフェザー級のリミット、57.153kgを15.8kgオーバーしていた。
8週間で15.8kg落とすために厳しい減量トレーニングが始まった。
「自分をゆでる感じで、死にそうでした。
ただ体重を落とすことでいっぱいでした。」
というハメドの体は体重と共にエネルギーも失っていった。
試合3週間前、エマニュエル・スチュワートがトレーニングキャンプに合流。
スパーリングをみて、そのパフォーマンスにもメンタルにも不満だった。
『ナジームの調子はどうですか?』
「よくないね。
今日はダメだ。
パンチは長すぎ、広すぎ・・・
これからが大変だよ。
1~2週間後には大丈夫かも・・・
でも今日はよくないね」
エマニュエル・スチュワートは、マルコ・アントニオ・バレラの前戦(2000年2月19日、WBCスーパーバンタム級チャンピオン:エリック・モラレス vs WBO世界スーパーバンタム級チャンピオン:マルコ・アントニオ・バレラの王座統一戦、2000年度リングマガジン年間最高試合)に解説の仕事で参加し、その強さに驚いた。
帰ってハメドに電話し
「試合、どう思った」
と聞くとハメドは試合を観ていなかった。
それでTV局に頼み、試合の映像をハメドに送るよう手配。
「ビデオをみて研究して対策を準備しろ」
とアドバイス。
トレーニングキャンプに入ったとき
「ビデオ、どうだった」
と聞いたが、ハメドは、まだ観ていなかった。
その後も何度が観るようにアドバイスしたがハメドが従うことはなかった。
トレーニングキャンプが終わってもハメドの体重は落ち切らず、試合会場のMGMグランドガーデンがあるラスベガスに移動からもサウナスーツを着て激しい減量トレーニングをしなければならなかった。
最上階のスイートルームで朝5時からランニングマシンで走って、サウナの中でシャドーボクシングを行い、熱湯風呂に限界まで入った。
「明日、世界のベストと戦わなければいけないんだ。
でもまず体重を落とさなければ、計量をパスしなければ・・・」
試合前日、ハメドはそう思いながら、最後の2ポンド(0.9kg)を落とすために計量ギリギリまで熱い風呂には入り、なんとかリミットまで落とすことに成功した後は頭を上げることができないほどだった。
しかしいくらコンディションが悪くてもマルコ・アントニオ・バレラを倒す自信はあった。
 (2300210)

2001年4月7日、「Playing with Fire(火が出るような試合)」と銘打たれた試合の当日。
ファイトマネーは、ハメドが、軽量級では破格の600万ドル(7億5千万円)。
バレラはその約3割の180万ドル(2億4千万円)。
またこの試合は軽量級では異例のPPV(ペイパービュー、有料放送)だった。
通常、PPVは、宣伝や申し込み受付などのコストがかかるため、有名な重量級や中量級の選手の試合でしか行われない。
しかしハメド vs バレラ戦は、確実に利益が見込め、それほど注目されてた。
試合前の予想は圧倒的に「ハメド有利」
間合いを詰めてくる相手をノックアウトするのが得意なハメドにとって、バレラのように倒しにくるタイプは相性がよかった。
また以前に比べ輝きが多少衰えてきたとはいえ、まだ無敗のチャンピオンだった。
試合前、ハメドはMGMグランドホテル29階のスイートルームで何度も「またの名はカシアス・クレイ」のビデオを繰り返しみた。
ときどき口に含む水はメッカの地下水。
神のご加護が信じられている水だった。
ラスベガスは珍しく朝から小雨が降っていたが、イスラムにとって雨は神の恵みで、砂漠の街に降る雨は縁起がよかった。
試合が近づき、控え室でグローブをはめたが、親指のフィーリングが合わず、違うものを要求。
試合の2、30分前になってやっと新しいグローブが届き、つけ直した。
14時30分、スイートルームを出て、キャリア最大の入場パフォーマンスに向かった。
会場にイスラムの旋律が響き渡り、激しく吹き上がるスモークと紙吹雪の中からハメドが登場。
左右に掲げられているアラビア文字は「預言者ムハンマド」と「アッラー」の署名だった。
壇上から階段を降りたところで火柱が上がった。
大観衆はド派手な入場にどよめきっぱなし。
ハメドが2本のワイヤーに吊られた大きなリングに乗って飛び立ち、100フィート(30.48m)まで釣り上げられ、空中移動。
「少し離れた席だと細いケーブルはみえなかっただろう。
それでも1本で445kgまで耐えられるワイヤーだったから怖くはなかった。
腰に命綱もつないでいた。
空飛ぶ絨毯よりも不安定だったけどね」
(ナジーム・ハメド)
エマニュエル・スチュワードは
「バレラはハメドのキャリアで飛び抜けて最強の相手。
非常に厳しい試合になる。
この大勝負に限っては不要なパフォーマンスは要らない」
と進言したがハメドは
「大丈夫だ」
と笑った。
ハメドにとって観客が喜ぶ声は、戦う理由の1つであり、大きなエネルギー源で、パフォーマンスはそのために必要な儀式だった。
 (2300223)

大きなリングはゆっくりと花道に降りようとしたとき、客席から飲み物が投げられた。
命綱をつけているとはいえ、非常に危険な行為だった。
会場には、いつも自信満々で、なにがあっても自己肯定形なハメドを嫌悪し、彼が負ける姿を望む客も少なからずいた。
リングに上がる階段でハメドは胸騒ぎがした。
「ロープをみて、アッと思い出したんだ。
そうだ宙返りするんだと。
ロープを掴んで感触を確かめたけどグローブの親指が滑ってしまった。
あのグローブだ。
仕切り直そうと思ったけど、なぜかロープをくぐってしまった」
(ナジーム・ハメド)
こうして恒例の前転リングインは行われなかった。
選手コールが始まった。
事前に控え室でハメドと打ち合わせを行っていたリングアナ、マイケル・バッファーは
「彼は奥深く宗教的な男です。
世界中のイスラム教のために精力を捧げるといいました。
彼は父と家族に敬意を示すために一言いいたいと願いました」
と紹介し、マイクをハメドに向けた。
「私は勝利を証言します。
神は唯一である。
そしてムハンマドは神の最後の預言者である」
ハメドが勝利宣言した後、マイケル・バッファーはマイクを自分に戻しコール。
「レディース・アンド・ジェントルメン。
イギリス、シェフィールド、無敗、3回フェザー級世界チャンピオン、ボクシングの王族、プリンス、ナジーム・ハメド!!」
先に入場し一連のパフォーマンスをみていたマルコ・アントニオ・バレラは思った。
「プリンスはエンターテインメントではキングだな」

Marco Antonio Barrera Vs Prince Naseem Hamed Highlights (Barrera Boxing Lesson)

1R、バレラはいつものように好戦的にガンガン打ち合うメキシカンスタイルで戦うと予想されていたが、上下にジャブを散らすボクサースタイルにチェンジし、みんなを驚かせた。
バレラのコーナーには、バレラを7歳の頃から指導してきたルディ・ペレスと共に帝拳ジムの田中繊大トレーナーがいた。
宮城水産高校でボクシングを始め、プロデビューした後、メキシコで武者修行し、ルディ・ペレスの知己を得た田中繊大は、選手としてはそこそこ、トレーナーとしては超一流となった。
今回の試合に向け、仮想ハメドとして日本から本田秀伸(WBA、WBC世界ライトフライ級2位、紙一重で相手のパンチを見切りもらわない「ディフェンスマスター」)を招聘し6週間で約60Rのスパーリングを行った。
「ハメドはハードパンチャーですから、それを喰わないポジションを取ることが課題でした。
『クリーンヒットしても欲を出して突っ込むな。
くっつくか、離れるかして焦らせ。
3Rまで落ち着いてやれば、リズムに乗れるから』と指示しました」
(田中繊大)
バレラは、その通りに左ジャブから懐に入ってパンチを当てると、すかさず距離を取った。
パンチを何度もヒットさせながら、決して深追いしたり、バランスを崩すほどの大きなパンチは出さない。
ポジショニングと距離の維持を何よりも最優先させた。
その効果は抜群で1R早々からパンチでハメドをのけ反らせたかと思うと、最後までコンパクトな左を合わせ続けた。
ゴングが鳴るとTV解説者は興奮気味にいった。
「第1ラウンドはすべてバレラのものです!!」
2R、ハメドはペースを取り戻すため前進。
フットワークが軽くガードも固いバレラに攻撃が当たらず、逆にカウンターパンチを合わされてしまい、クリンチでヘッドロックを離さずレフリーが注意を受けた。
バレラは大人のボクシングで完全にペースを握った。
「ハメドはスウェーでパンチを避けますから、ボディーが有効だったんです。
これまでの対戦者も同じことを考えたと思いますが、プレッシャーで入れなかったんでしょうね」
(田中繊大)
3R、ハメドはフェイントを増やし、手を出させ、いきなり左を狙うが、バレラのディフェンスは固い。
4R、ここまで頑張って前進し続けていたハメドが、バレラの右フック-左フックで顔面が大きく揺らされ、初めて後退。
いつものバレラなら一気に出ていくが、深追いせず、あくまでも慎重さを忘れず忠実に作戦を遂行し、4R終了。
「ジャブだよ
ジャブでコントロールできる
フェイントをかけてジャブで距離をとらせろ」
(ルディ・ペレス)
「ポイントではボロ負けだぞ。
このままいくと王座を失うぞ。
ヤツの勝ちになってしまうぞ」
(エマニュエル・スチュワート)
5R、セコンドの激にハメドは頑張って前に前進していったが、攻めあぐみ、結局、攻撃を当てられないままラウンドが終了。
コーナーに帰ると
「手数が少ない」
「もっと積極的にいけ」
と指示を受けた。

Marco Antonio Barrera vs Cocky Opponent (Nassem Hamed)

6R、ハメドはリズムを変えるために右構えにスイッチし、右ストレート、左フック。
しかし当たらず、直ぐに打ち返された。
ボクシングでは「カウンターにはコンビネーション」といわれ、カウンターに勝つためにはコンビネーションで攻めることがセオリーだったが、ハメドはノーガードからの単発で攻め続けた。
ハメドはオーソドックスにスイッチし、バレラを捉えることはできない。
「自分の首を絞めるようなことをしてくれて、よほど焦っているのだろう」
リング下で田中繊大トレーナーはほくそ笑んだ。
7R、ハメドの左フックがカウンターとなってヒット。
バレラは「もっと打ってこい」とアピールしつつ、決して無理には反撃せず、スタイルを貫き通した。
8R、バレラの右でハメドが大きくバランスを崩した。
9R、ハメドが極端に上体を反らしてスウェーした所にバレラの左が顔面を捉えた。
10R、ノーガード攻めるハメドに、バレラは手数を減らして守りに徹し、相手の打ち終わりに、ジャブもしくは1・2を確実に返した。
「あそこまで完璧にハメドのスタイルを殺せるとは思わなかったけど、こちらはペースをつかみましたから、流れを変えるのは難しかったでしょうね。
それでもハメドの1発を警戒して、深追いはするなと言い続けました」
(田中繊大)
終了後、エマニュエル・スチュワートは
「KOを狙っていくしかない」
と無敗のチャンピオンに気合を入れた。
11R、ハメドは前進するが、パワーは感じられない。
12R、最終ラウンド。
ポイントでは優っているから無理に打ち合わないようにというセコンドの指示を無視するようにバレラはパンチを浴びせた。
へロへロのハメドは圧倒されてしまい、ロープに詰まり相手に背中を見せるほど大きくパンチを空振り。
その後も倒しにくるバレラにハメドも1発逆転を狙うが当たらない。
『無謀な王子が的を大きく外します。
王子は左の大きな1発を狙っています。
一晩中、その1発を狙っています』
テレビ解説がそうコメントしたとき終了のゴングがなった。
『1時間の拷問でした』
レフリーは2人を分け、最終ラウンド、まったくダメージを与える事が出来なかったハメドは、笑顔で自分のコーナーへ戻っていった。
「判定は満場一致。
マルコ・アントニオ・バレラ」
マイケル・バッファーが勝者をコール。
判定は、0-3(111-116、112-115、112-115)でマルコ・アントニオ・バレラを支持していた。
「プリンスはプリンス、でも今の俺はキングだ」
(マルコ・アントニオ・バレラ)
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  • 犬マン 2022/3/11 20:33

    メイウェザーもハメドの素質を認めててvsバレラ戦はハメドの勝ちを予想したような・・・
    歴史を変えれるボクサーだっただけに残念

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